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週刊スモールトーク (第266話) 太平洋戦争の原因~石油でも満州国でもなく~



丁度、韓国文喜相の天皇陛下の戦争謝罪が、日韓の話題になっているので、
筆者の見解は、世界の感覚であり、当ブログの見解とも合致する。
ルーズベルトが戦争を希求したと、フーバーも言っている。



BeneDict 地球歴史館

週刊スモールトーク (第266話) 太平洋戦争の原因~石油でも満州国でもなく~


カテゴリ : 戦争歴史
2014.08.30
http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-266/

太平洋戦争の原因~石油でも満州国でもなく~
■風と桶屋の話

太平洋戦争はなぜ起こったのか?

アメリカが日本への石油輸出を止めたから、日本が満州国を建国したから、軍部が暴走したから ・・・

もし、それが本当なら、「風が吹けば桶屋(おけや)が儲かる」も本当だろう。

風が吹くと、ホコリが舞い上がり、人の目に入る。すると、盲人が増えて、三味線がたくさん売れる(盲人は三味線で生計を立てるので)。三味線は猫の皮を材料にするので、猫がたくさん捕獲される。猫はネズミの天敵なので、ネズミの数が増えて、桶をたくさんかじる。結果、桶屋が儲かる ・・・ というわけだ。

話としては面白いが、真に受ける人はいないだろう。仮に「桶屋が儲かった」としても、原因は他にいくらでもあるから。

たとえば、銭湯ブームが起こったとか、公共事業が増えて洗濯物が増えたとか、景気が良くなったり、人口が増えても、桶の需要は増えるだろう。しかし、「風が吹いた」が原因になるとは思えない。たとえ、そのとき、風が吹いていたとしても。

このように、ある結果が出て(桶屋が儲かった)、その原因が複数想定されたとき(風が吹いた、銭湯ブーム ・・・)、それぞれの原因が「本当の原因」である確率を求めるのが「ベイズ理論(ベイズ確率)」である。

そして今、このベイズ理論が熱い。

ビル・ゲイツが「21世紀のマイクロソフト社の戦略はベイズ・テクノロジー」と宣言し、グーグルがベイズ・テクノロジーを取り入れて大成功し、ハード屋のインテルまでがベイズ型アプリケーションのツールを開発中という。

猫もしゃくしもベイズ理論というわけだ(なんか偉そう)。

これは、おちおちしていられない、零細企業のメンツにかけても頑張らなくては ・・・ というわけで、「IFの歴史」を創造する「魔法のコンピュータ」にベイズ理論を採用することにした。歴史を創造するエンジンの確率論的推論に使うのである。

ところが、問題が2つ。

まず、ベイズ理論は、そのままでは使えない。

さらに、「IFの歴史」を真面目に計算すると、スパコンなみの計算力が必要になる。

現状では、最高スペックのパソコン、プレステ4でも能力不足。小数計算がゼンゼン追いつかないのだ。そこで、専用マシンが必要になるのだが、貧乏な零細企業は「自作パソコン」で組むしかない。とはいえ、高価で電力バカ食いの浮動小数点演算ユニット(少数計算専用ハード)が何枚(何十枚?)も必要になる。仮に、実装できたとしても、電源ユニットの容量はハンパではない。そうなると、価格も全然ハンパではない。

「IFの歴史」を見るために、ん百万円(ん千万円?)払う人いる?

いません ・・・

ということで、ケチな商売はあきらめて、定年退職後、または会社をクビになったら、趣味でやるしかないかなぁ~

おっと、話はそこではない。

桶屋が儲かったら、原因は「風が吹いた」?

いや違う。

太平洋戦争はなぜ起こったか?

ベイズ理論風に言うなら ・・・

まず、「太平洋戦争」という結果があって、想定される原因をリストアップし、それぞれが太平洋戦争の本当の原因である確率を求める。その中で、確率が高い原因が「尤(もっと)もらしい」原因というわけだ。つまり、事象の原因を、ピンポイントで特定するのではなく、確率で表すというのがミソ。その分、科学的といえるだろう。
■アメリカの参戦はなかった

じつは、第二次世界大戦には、ヨーロッパを戦場とする「ヨーロッパ戦線」と、環太平洋を戦場とする「太平洋戦線」があった。日米が戦った太平洋戦争は後者である。

地球の双極で起こったこの2つの戦線に、何か関係があるかというと、これが大ありなのだ。もし、第二次世界大戦がなければ、太平洋戦争が起こる確率は半減していただろう。

1939年9月1日、イギリス首相チェンバレンの不用意な約束が引き金となり、第二次世界大戦が始まった。その後、国民に愛想をつかされたチェンバレンは失脚し、戦争屋チャーチルが首相に就任した。ところが、チャーチルの勇ましい演説とは裏腹に、フランスはドイツ軍に2週間で占領され、大陸に駐屯していたイギリス軍は命からがら、イギリス本土に逃げ帰った。

その結果 ・・・

イギリス軍の参謀たちは、単独ではドイツに勝てないと悟り、首相のチャーチルに泣きついた。

「アメリカが参戦しない限り、わが国に勝ち目はありません」

そこで、今度はチャーチルがアメリカ合衆国大統領ルーズベルトに泣きついた。アメリカが参戦してくれないと、われわれはおしまいだと。

ところが、アメリカは「モンロー主義」を標榜していた。モンロー主義とは、アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが唱えた外交方針である。内容は、

「アメリカ合衆国はヨーロッパの紛争に対して中立を守る」

しかも、1935年には「中立法」が制定され、参戦はおろか、戦争中の国に武器はもちろん、軍需物資を輸出することもできないのだ。

さらに、史上初の「大西洋単独無着陸飛行」で世界の英雄となったリンドバーグも、ドイツとの戦争に強く反対していた。というのも、リンドバーグはドイツを訪問したとき、下にも置かない「おもてなし」をうけ、ヒトラーの指導力とドイツの目覚ましい復興に好感をもったのである。

そして、何より、アメリカ国民が戦争を望んでいなかった。それはそうだろう。遠く離れたヨーロッパの、しかも、他人の戦争に、なぜ、アメリカ人が血を流さなければならないのか?

というわけで、この時点で、「アメリカの参戦」はありえなかった。

もちろん、アメリカが参戦しなければ、イギリスは「おしまい」である。

というのも ・・・

まず、1943年9月の連合軍のイタリア侵攻と、1944年6月のノルマンディー上陸作戦が歴史から消える。いずれの戦いも、アメリカ軍なしでは成立しないからである。

その場合、ソ連が連合国側を離脱する可能性がある。

なぜか?
■ソ連の事情

この頃、ソ連軍はドイツ軍と熾烈な消耗戦を戦っていた。この「独ソ戦」は、史上最大の陸上戦で、ソ連側の戦死者は2000万人ともいわれる(民間人が多い)。一方の、ドイツ側の戦死者は数百万人(ほとんどが軍人)。想像を絶する犠牲者の数である(太平洋戦争の日本の犠牲者は200万人)。

そのため、ソ連のスターリンはアメリカとイギリスに強い不信感をもっていた。

ソ連がこれだけ犠牲を払っているのに、アメリカとイギリスは何もしてくれない。

ソ連とドイツが共倒れになるのを待って、漁夫の利を狙っているのではないか?

うまいこと言って、我々を利用しているだけではないか!

そんな疑心暗鬼にかられたスターリンは、アメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルに、第2戦線を構築するよう、再三迫った。第1戦線が「ドイツ Vs ソ連」で、第2戦線が「ドイツ Vs アメリカ・イギリス」である。実史のノルマンディー上陸作戦は第2戦線にあたる。

では、アメリカが参戦せず、ノルマンディー上陸作戦が幻となったら、歴史はどう変わったのか?

第2戦線は画に描いた餅となり、業を煮やしたスターリンはドイツと休戦するだろう。ソ連単独では、大敗はないが、大勝もない。つまり、不毛の消耗戦が延々と続く。そんなことは、スターリンもヒトラーも望まないだろう。実史では、独ソの休戦交渉は、中立国スウェーデンを介して、ひかえめに行われたが、この場合、ガチになる。

もし、独ソ休戦が実現すれば、ドイツは占領したヨーロッパ全土の生産力をフル稼働し、軍備を極大化させるだろう。その後、ドイツ軍はイギリス本土に侵攻する。実史で中止された「あしか作戦」である。

その場合、イギリスのシナリオは2つ。チャーチルが徹底抗戦を訴えて、王室と政府をカナダに移し、掛け声だけの抵抗を続けるか、チャーチルが失脚して、イギリスがドイツと講和するかである。いずれにせよ、ヨーロッパの戦争は終わる。もちろん、勝者はヒトラーだ。ただし、独ソ戦は必ずぶり返す。そのときはソ連も準備万端なので、壮絶な消耗戦になるだろう。

ところが ・・・

実史では、ありえない「アメリカの参戦」が現実になった。あれだけ参戦を妨げる条件がそろっていたのに、なぜ?

アメリカ合衆国大統領がフランクリン・ルーズベルトだったから、その一点に尽きる。
■ルーズベルトの野望

ところが、そのルーズベルトでさえ、

「アメリカの若者を戦場には行かせない」

と公約していたのだ。さらに、副大統領のジョン・ナンス・ガーナーは頑迷な孤立主義者で、他人の戦争に関わるべきではないと強く主張していた。

では、一体何が起こったのか?

ルーズベルトが歴史をひっくり返す、「一石三鳥(二鳥ではなく)」の手を思いついたのである。

具体的には ・・・

日本に先に銃を抜かせ、日米戦争を引き起こす。日本とドイツは軍事同盟を結んでいるので、これで、ドイツとの戦争も視野に入る。結果、イギリスを助けることができるわけだ。さらに、日米戦争が実現すれば、大嫌いな日本も叩ける。

じつは、ルーズベルトは中国びいきだった。ルーズベルトのフルネームは「フランクリン・デラノ・ルーズベルト」、真ん中の「デラノ」は母方の姓である。デラノ家は、中国のアヘン貿易で財をなした家系だった。中国(アヘン)なくして、今のデラノ家はない。だから、ル-ズヴェルトは中国に好意をもっていたのである。

ところが、その中国が日本と戦争をしている(日中戦争)。だから、日米開戦にこぎつければ、イギリスの敵ドイツと、中国の敵日本、両方やっつけることができる。つまり、一石二鳥。

では、あと一つは?

じつは、アメリカのモンロー主義は「ヨーロッパに中立」であって、「アジアに中立」とはいっていない。この頃、アメリカは「環太平洋圏」を構想していた。太平洋を囲む南北アメリカ、中国、日本、東南アジアの地域で、アメリカが主導権を握ろうとしていたのだ。ところが、この構想は日本がアジアを主導する「大東亜共栄圏」と競合する。

アメリカは中国侵出で、ヨーロッパ列強に後れを取ったが、あきらめたわけではなかった。中国の権益を虎視眈々と狙っていたのである。その中国を日本が攻撃している ・・・ ムカツク話だ。

さらに、アメリカは日露戦争の勝利で日本が獲得する南満州鉄道の権益まで狙っていた。1905年8月、アメリカの鉄道王E・H・ハリマンが来日し、南満州鉄道を日米で共同管理しようと申し出たのだ。ところが、この時点で、日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」はまだ締結されていない。気の早い話である。

ところが、ポーツマス条約をまとめて帰国した小村寿太郎外相は、これを聞いて仰天した。そして、「日米共同管理」に猛反対したのである。南満州鉄道は、日露戦争で何万人という日本人の命、さらに多額の戦費の引き替えに得たものである。それをアメリカと分け合うとは、一体何を考えているのだ!と。

結局、小村の主張が通り、南満州鉄道の権益は日本が独占することになった。当然、アメリカは面白くない。実際、この時期を境に、アメリカは日本に敵対していく。そして、その敵意は、1920年代に入って一気に表面化する。

まず、日本とイギリスの日英同盟を破綻させた。日英同盟は、1902年に調印され、その後、1905年、1911年と継続更新された。ところが、1923年8月、イギリス側が同盟更新を断ってきたのである。これは、アメリカの強い要望によるものだった。

さらに、翌年の1924年7月、アメリカで「排日移民法(ジョンソン=リード法)」が施行された。アジアからの移民が全面的に禁止されたのである。日本人ではなく「アジア人」だから、ただの被害妄想でしょ?

ノー!

当時、アジアからの移民の大半は日本人だった。仮想敵国日本を狙い撃ちにしたのである。

ということで ・・・

日本に先に銃を抜かせ、日米戦争を始めれば、
1.イギリスを助けることができる。
2.中国を助けることができる。
3.環太平洋圏を実現できる。

一石三鳥!

ところが ・・・

ルーズベルトが戦争をしたい理由はまだあった。自分の失政を隠蔽(いんぺい)するためである。
■フーヴァーの恨み

ルーズベルトの前任者はハーバート・フーヴァーという、運のない大統領だった。彼が第31代アメリカ大統領に就任したのが、1929年3月。その7ヶ月後に、ニューヨーク・ウォール街の株式大暴落が起こっている。この大暴落は、世界中に飛び火し、資本主義の崩壊さえささやかれるほどだった。歴史上有名な世界大恐慌である。

定説によれば ・・・

フーヴァーは無為無策で、大不況を悪化させるばかりだった。結果、1932年の大統領選で、歴史的大差でルーズベルトに敗北。その後、ルーズベルトは、ニューディール政策(公共事業にカネをバラまく)を実施し、アメリカは大不況から脱した。さらに、第二次世界大戦に参戦し、悪の枢軸ドイツと日本を打ち破った。その功績で、アメリカ政治史上、唯一人、四選されたのである。

つまり、ルーズベルトは歴史に残る偉大な大統領、一方のフーヴァーはマヌケというわけだ。

ところが ・・・ いずれも事実ではない。

まず、ニューディール政策は失敗だった。数字を見れば明らかだが、失業率が激減するのは1942年、日米開戦の1年後である。つまり、1929年に始まる世界大恐慌は、戦争以外に解決方法がなかったのである(特に資源の豊かな国は有利)。だから、ルーズベルトが偉大というわけでも、フーヴァーが無能というわけでもない(フーヴァーの無策は本当だが)。

一方、ルーズベルトは無能ではなかった。この大不況がニューディール政策ではどうにもならないことに気づいたのである。

そこで思いついたのが、先の一石三鳥だった。際限のない消費で、巨大な需要を生み出し、景気をV字回復させる ・・・ つまり、戦争経済。

とはいえ、6000万人の人命と引き替えにしたのだから、禁断の手か、悪魔の手か、どちらにせよ、ロクなものではない。

じつは、フーヴァーはこれに気づいていた。

ルーズベルトは運が良かっただけ、むしろ、あいつは悪党だ、それなのに、なぜ、オレだけが無能よばわりされるのだ?

そんなこんなで、フーヴァーはルーズベルトが大嫌いだった。事実、フーヴァーは、戦後来日したとき、進駐軍最高司令官マッカーサーにこう言っている。

「日米戦争は、ドイツと戦争するための口実だった。あの戦争の責任はすべて”狂人”ルーズベルトにある」

”狂人”とはすごいが、やったことを考えると当たらずとも遠からず。

実際、ルーズベルトのやり方は悪魔のそれだった。主権国家なら到底呑めない条件を突きつけ(ハルノート)、日本に先に銃を抜かせる。それが真珠湾攻撃だったのだ。このとき、ルーズベルトは日本を卑怯者よばわりしたが、一体、どっちが卑怯者なのだ?

こうして、アメリカは東アジアという「バックドア」から、第二次世界大戦に参戦することができた。

というわけで ・・・

石油の輸出禁止、満州国建国、軍部の独走、何が起ころうが、「ルーズベルト大統領」が存在しない限り、アメリカの参戦はない。もちろん、太平洋戦争も起こらない。

つまり、太平洋戦争の引き金を引いたのは、日本ではなく、アメリカ大統領ルーズベルトだったのである。

ここで、歴史のIF ・・・

1933年2月15日、大統領に当選したばかりのルーズベルトは、シカゴ市長のアントン・サーマクとマイアミに遊説にでかけた。そこで、ルーズベルトが演説していると、ジュゼッパ・ザンガラというイタリア移民が、ルーズベルトに向けて拳銃を乱射した。ところが、不思議なことに、ルーズベルトには一発も当たらなかった。代わりに、サーマクが銃弾をうけ、死亡したのである。

もし、ザンガラの乱射がほんのわずかにずれて、ルーズベルトに命中していたら ・・・ 世界の歴史は一変していただろう。
■戦争犯罪の偽善

さらに ・・・

第二次世界大戦の引き金を引いたのは、ヒトラーではなく、イギリス首相チェンバレンだった。

つまり、太平洋戦争も、第二次世界大戦も、真実が隠蔽(いんぺい)されている。もっとも、「隠蔽」という表現は正しくないかもしれない。頭隠して尻隠さず、すべて丸見えだから。

ではなぜ、日本とドイツだけが悪者にされるのか?

戦争に負けたから。

簡単な証明をしよう。

戦争が終わった後、日本とドイツは「戦争犯罪」で裁かれた。日本は極東軍事裁判で、ドイツはニュルンベルク裁判で。ところが、捕虜の虐待、民間人の虐殺などの戦争犯罪は、日本・ドイツのみならず、連合国もやっている。

その最たるものが、
1.1945年2月13日~15日のドイツの古都ドレスデンへの無差別爆撃(死者15万人)
2.1945年3月10日の東京大空襲(死者10万人)
3.1945年8月6日の広島原爆投下(最終的に20万人が死亡)
4.1945年8月9日の長崎原爆投下(最終的に15万人が死亡)

いずれも、人口が密集する都市爆撃で、狙いは民間人の大量虐殺にある。これが、民間人虐殺でないなら、一体、何が民間人虐殺なのだ?

ところが、連合国側はこの件で一切裁かれていない。それどころが、起訴さえされていないのだ。

つまり、今、世界を支配しているルールは、

「第二次世界大戦の勝者が正義、敗者が悪」

なのである。

とはいえ、今さら、アメリカや連合国を非難したところで、問題解決にはならない。もちろん、お隣の国のように「1000年の恨み」を吹聴すれば、次の戦争を招くだけ。愚かなことだ。すべて終わったこと、これから平和な世界を築いていけばいいのだ。

しかし ・・・

今の日本は、あまりに自虐的過ぎる。太平洋戦争で日本は戦争を起こしました、だから、何を言われても、何をされても、文句は言えません ・・・ 過去を詮索(せんさく)すれば、非のない国など一つもないのに。

太平洋戦争は、日本の歴史始まって以来の「総力戦」だった。200万人が犠牲になり、東京を初め、主要都市は焼け野原になった。日本はそこから再出発したのである。そして、今では、GDP世界第三位、ハイテク分野では世界トップクラス、さらに、ノーベル賞受賞者も18人で世界8位。これほどの国なのに、なぜ、あれだけ卑屈になるのか分からない。

だから ・・・

隣国が何を言おうが、どう思うがかまわないが、せめて、当事者の日本人だけは真実を知り、誇りを取りもどして欲しいのである。
■国民の暴走

ただ、「太平洋戦争の原因」を考えるとき、ぬぐいきれない疑念がある。

軍部の暴走?

そうではなく、「国民の暴走」。

たとえば、日本が満州事変を起こし、満州国を建国し、国際連盟を脱退し、国際的孤立を選んだとき、国民は政府と軍部を非難したか?

ノー!

国民は「ちょうちん行列」で祝ったのである。

さらに、国際連盟の総会で、外相の松岡洋右が、

「日本政府は日中紛争で、国連に協力したのに、もう限界だ」

と大演説をブチあげると、帰国後、国民的英雄となった。

こんな大衆に迎合し、戦意を煽ったのがメディアだった。有識者で、これに異を唱えたのは、東洋経済新報の石橋湛山(たんざん)ぐらいだった。

当時、松岡洋右が演説でブチ挙げた、

「満蒙(満州と蒙古)は我が国の生命線である」

が国民の流行語になったが、石橋湛山はこれに真っ向反対したのである。

「我が国の満蒙の特殊権益を無理押ししても、結局は、中国民衆のナショナリズムにつぶされる」

これは、単なる道義論ではなく、冷徹な国益論であることに注意が必要だ。だからこそ、一聴に値するのである。

それゆえ、太平洋戦争の(間接)原因を、政府と軍部だけに押しつけるのはフェアではない。むしろ、政府は、国民とメディア、つまり民意を無視できなかったのである。

一方、このような民意には背景があった。

1929年の世界大恐慌の波が日本にも押しよせ、未曾有の大不況に陥ったのである。食糧難で欠食児童が増え、農村では娘の身売りが横行し、餓死者まで出ていた。特に、農村部は悲惨だった。農作物の価格が暴落する一方、工業製品の価格が高止まりしたからである。ところが、政府は失策つづきで、国民の不満はつのるばかりだった。

そんなとき、日本を揺るがすテロ事件が起こる。

井上日召なる僧侶が結成した「血盟団」が要人暗殺を決行したのである。2月9日に民政党・幹事長の井上準之助が、3月5日に三井・理事長の団琢磨が射殺された。

日本は絶望感と閉塞感で、窒息寸前だったのである。

そこで、期待されたのが、「満州の権益」だった。日露戦争後のポーツマス条約で正式な手続きを踏んで獲得した利権である。大陸に進出すれば、現状を打破できるかもしれない。それに、日本は建国以来1500年間、戦争に一度も負けたことがないのだ。

そんな気運が、松岡洋右の「満蒙は我が国の生命線」と共鳴し、政府と軍部の膨張主義に同調したのである。結局、それが、ルーズベルトの日米開戦に利用されたのだが。

しかし ・・・

これは、平和な今だから言えること。あの時代のことは、あの時代に身を置かないとわからない。それに、結果だけ見て、どうこう言っても始まらない。結果は人間の尺度であって、真実ではないから。真実は、プロセスにこそ宿るのである。
■日本本土決戦

結局、日本は太平洋戦争でアメリカに負けた。原子爆弾まで落とされて。それでも、日本は徹底抗戦しようとした。もし、天皇の英断がなかったなら、日本はポツダム宣言を拒否し、日本本土決戦に突入していただろう。そして、一億玉砕、日本国民が全滅するまで戦うのである。

そのときは、軍民あげてのゲリラ戦が展開されただろう。日本はドイツと違って平野が少なく、地形が複雑である。しかも、海という障壁もある。その分、ドイツより降伏は遅れただろう。戦争は泥沼化し、ベトナム戦争のように20年続いたかもしれない ・・・

戦争が20年!?

村上龍の「五分後の世界」を彷彿させる ・・・

この小説は歴史改変SFなのだが、設定が恐ろしくリアルで、歴史シミュレーションと言ったほうがいいだろう。ただし、村上龍の筆力が冴えて、小説としても読み応えがある。

そして、肝心のストーリーだが ・・・ 広島、長崎、小倉、新潟、舞鶴に「5個」の原子爆弾が落とされ、それでも、日本は降伏しない。アメリカ軍が日本に上陸し、日本本土決戦に突入し、ゲリラ戦が今も続く ・・・

でも、本当にそんなことが起こりえただろうか?

可能性は十分あった。少なくとも、日本本土決戦に突入した可能性は高い ・・・ 原爆が投下されようが、ソ連が参戦しようが。それを示唆する証拠もある。

太平洋戦争が始まる前の1938年3月、防諜研究所が創設された。後のスパイ養成学校「陸軍中野学校」の前身である。もちろん、スパイの任務は敵の動向を探る諜報活動にある。ところが、戦争末期になると、陸軍中野学校では、日本本土決戦を想定したゲリラ戦の教育が中心になったという。

こうしてみると、あの時代、冷静に、平和を愛し、国民の幸せを願っていたのは、天皇だけではないだろうか?

そんな気がしてならない。もちろん、これも今になって言えることだが。
参考文献:
(※)第二次世界大戦(上・下) リデル ハート (著), B.H.Liddell Hart (原著), 上村 達雄 (翻訳)
(※)太平洋戦争の新事実 普遊舎




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【主張】 韓国国定教科書 事実無視し反日あおるな



韓国の歴史教科書が、事実に基づかない捏造である事を考える。


2017.2.3 05:03更新
【主張】
韓国国定教科書 事実無視し反日あおるな

http://www.sankei.com/column/news/170203/clm1702030002-n1.html

 韓国の中学と高校で来年から導入される国定歴史教科書の内容が明らかになった。旧日本軍が慰安婦を「集団殺害」したとする荒唐無稽な記述まで盛り込んでいる。
 事実を無視して反日をあおるのは、いいかげんにしてほしい。
 韓国教育省が先月末に公表した最終版では高校用の慰安婦に関する記述で「劣悪な環境下で、疾病、暴行、自殺で死んでいく人も多かった」という見本版の内容に「戦争に敗北し、逃亡する日本軍に集団殺害されたりもした」との記述が加えられた。教育省は慰安婦問題で「集団虐殺事例を新しく本文に明示」したと説明しているという。
 根拠はない。
 そもそも韓国側が主張する慰安婦が「強制連行された性奴隷」というのは、「慰安婦狩り」をしたとする吉田清治証言などにより広がった虚説だ。実証的な歴史研究で否定されており、これを報じた朝日新聞も証言は虚偽であったことを認めている。
 1996年の国連のクマラスワミ報告では、元慰安婦の証言などとして残虐な危害を加えた例が書かれているが、これも事実無根である。

 中学用の教科書にはソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置された経緯も書かれた。これは外国公館の尊厳や安寧を守る国際法に違反する恥ずかしいことだと教えるべきだろう。
 日本統治時代の「親日行為」についても、反民族的行為だとして詳しく書いているという。歴史教育で重要な、多面的なものの見方を損なうものだ。
 もともと教科書の国定化は、朴槿恵大統領が「歴史教育の正常化」を目指したものだった。
 韓国の中高校用歴史教科書は、日本と同様、検定制度のもとで民間の出版社などが編集した複数の教科書から選ぶ方式だった。
 だが、教科書に左派色が強く、歴代政権を否定的に描くなど、北朝鮮寄りの記述が目立つといった背景があった。だがこれでは、かえってひどいものになったとしか評価できないではないか。
 韓国では、朴氏の弾劾訴追に伴い、大統領候補が反日を争う事態に陥っている。日韓の分断を誰より喜ぶのは、北朝鮮であろう。反日一辺倒は、決して韓国のためにならない。冷静に考えれば分かりそうなものだが。

国際条約無視の「反日」世論に迎合した判決 観音寺関係者嘆く「異邦人どころか異世界人」


2017.1.26 22:43更新
【対馬の盗難仏像判決】
国際条約無視の「反日」世論に迎合した判決 観音寺関係者嘆く「異邦人どころか異世界人」

http://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260039-n1.html

「観世音菩薩坐像」

観音寺の長崎県指定有形文化財「観世音菩薩坐像」=2013年1月、韓国・大田(聯合=共同)

 仏像は返ってこなかった-。長崎県対馬市の観音寺から盗まれた仏像「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」を、韓国・大田(テジョン)地裁は、証明しようもない700年前の略奪を根拠に、同国内の浮石寺に引き渡すよう命じた。韓国内の「反日」世論に迎合した司法判断といえ、観音寺の関係者は「盗んだ物を返すという当たり前の理屈すら通じない。異邦人どころか異世界人としか思えない」と嘆いた。(九州総局 中村雅和)
 「想像したくなかったけれど、想像はできていた」
 観音寺の田中節孝・前住職は憤りを超え、やりきれない感情を吐露した。
 ずんぐりとした体形で、優しげな仏像は、長く地域の信仰の対象だった。「集落のみなが、像を待ち望んでいる」。田中氏は平成25年1月に窃盗団が韓国で逮捕され、仏像が回収されて以降、韓国側に返還を求め続けた。
 だが、“異世界人”との交渉は、進展しなかった。
 韓国・浮石寺が所有権を主張し、25年2月、大田地裁が仏像返還差し止めの仮処分を出した。
 これまでの研究で、観音寺の仏像は1330年ごろ、浮石寺の本尊として造られたと判明している。
 浮石寺側は「14世紀に倭寇に略奪された」と主張する。一方、対馬では李氏朝鮮による仏教弾圧を逃れるため、島に持ち込まれたと伝わる。
 日本に来た経緯は、はっきりしないのだ。これは韓国側も認める。
 同国文化財庁は2014年、「略奪された蓋然性は高いが、断定は困難」と結論付けた。今回の訴訟において韓国政府の代理人は昨年7月、「浮石寺が所有者だという証拠が不足している」と指摘した。
 韓国・中央日報の2014年4月の記事(日本語電子版)によると、韓国政府の海外文化財返還公式窓口である「国外所在文化財財団」の理事長が「文化財と関連した不法行為は容認してはならない。浮石寺の仏像の場合、日本に戻すのが正しい」と語った。
 にも関わらず、大田地裁の文(ムン)宝頃(ボギョン)裁判長は「略奪や盗難で対馬に渡ったとみるのが妥当」と数百年前の出来事を見てきたかのように断じ、「浮石寺の所有と十分に推定できる」とした。
 同じ大田地裁が、仏像窃盗団に有罪判決を出しながら、返還は認めないという非常識な司法判断だ。
 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の文化財不法輸出入等禁止条約では、盗難文化財の原則返還を定める。
 日韓はともに、同条約の批准国だ。
 広島女学院大学専任講師の永野晴康氏(文化法)は「韓国側が主張するようにユネスコ条約締結前の略奪があったとしても、条約上の返還義務は別問題だ。まずは観音寺に戻した上で、歴史上の経緯について議論すべきだ」と述べた。
× × ×
 判決の背景には、根強い「反日無罪」の世論がある。
 田中氏は昨夏、日本のテレビ局の取材に同行し、韓国を訪れた。街頭インタビューでは「朝鮮半島から持ち出されたもので返還は不要」との答えが多かった。「街中に日本製品があふれ、日本への観光客が増えても、公的な場では反日がステータスになる。『反日』であれば、皆がまとまる。異論を許さない雰囲気を感じた」と振り返った。
 反日世論が、国際条約や国家間合意に優先する韓国の振る舞いは、仏像事件に限らない。
 昨年12月、釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置された。「公館の安寧や威厳を守る」ことを定めたウィーン条約や、27(2015)年12月の日韓合意に反する。
 さらに、韓国大統領選への出馬を表明した潘基文(パンギムン)前国連事務総長は、日韓合意で日本が拠出した10億円について、「少女像撤去と関係があるものなら間違っている」と返還に言及した。
 この理屈がまかり通るのであれば、韓国とはあらゆる交渉が成立しない。
 韓国側の姿勢に、日本政府は長嶺安政駐韓大使と森本康敬釜山総領事を一時帰国させるなどの対抗措置を取った。この措置について、毎日新聞が今年1月21、22日に行った世論調査では、74%が「支持する」と回答した。
日本側の我慢は限界に来ている。
× × ×
 ただ、対馬にとって韓国は、切っても切れない隣国だ。
 長崎県によれば、平成27年に対馬に宿泊した韓国人は延べ22万人だった。島への全宿泊者延べ77万9千人の3割近くを占める。対馬の観光産業を、韓国人が支えているのは間違いない。
 「仏像の件だけでなく、旅行客のマナーなどで不満は持っている。ただ、地理的にも歴史的にも切っても切れない関係だ。島でお金を落とすのであれば、それが誰でも歓迎する」
 旅館を経営する男性は、こう語った。
 島最大の夏祭り「対馬厳原港まつり」では、「朝鮮通信使行列」が行われる。仏像窃盗後の25年は取りやめたが、26年から再開した。祭りを主催する対馬厳原港まつり振興会の山本博己会長は「誤解されることも多いが、韓国をたたえるためのものではない。かつて対馬を治め、日本と朝鮮の仲立ちをした宗家の功績を振り返るものだ。判決を受けた対応は、仲間と話し合って決めたい」と語った。
 国境の島の苦悩が、ここにある。

日本がユネスコ分担金38億円を支払い 南京登録で保留分 拠出停止で記憶遺産の登録制度改善に支障


2016.12.22 09:23更新
【歴史戦】
日本がユネスコ分担金38億円を支払い 南京登録で保留分 拠出停止で記憶遺産の登録制度改善に支障

http://www.sankei.com/politics/news/161222/plt1612220010-n1.html

 政府が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)への今年の分担金約38億5千万円を支払っていたことが21日、分かった。ユネスコが昨年、「南京大虐殺」の文書を「世界の記憶」(記憶遺産)に一方的に登録したことに反発し、支払いを保留していたが、今週始めに拠出に踏み切った。支払い保留を続ければ加盟国の反発を招き、日本が求める記憶遺産の登録制度改善にも支障をきたすと判断した。
 ユネスコ分担金は加盟国の義務で、日本は例年4~5月に支払っており、12月まで保留したのは異例といえる。今年の任意拠出金約7億7千万円も保留していたが、11月に支払った。
 記憶遺産をめぐっては今年、日中韓などの民間団体が慰安婦問題の関連資料の登録を申請し、年明けから審査が始まる。政府は透明性確保など登録制度の改善を求めているが、成否は見通せない。自民党内には「慰安婦資料の登録が見送られるまで支払うべきではない」との意見も根強い。
 ただ、拠出しないまま越年すれば加盟国の反発を招き、制度改善の動きがかえって停滞するというジレンマもある。また、分担率2位の日本が拠出を停止すれば、3位の中国の存在感が増すという懸念もある。日本が登録を目指す世界文化・自然遺産などの他の審査にも影響が及びかねない。

 分担金を支払った上で来年の慰安婦資料の登録を許せば、政府への批判が高まることは必至。外務省幹部は「登録制度改善を強く働きかける」と強調する。

戦後の対韓協力と韓国の仕打ち 恩に仇する〝何が何でも日本隠し〟


韓国の日本隠しと言う主題が、現実味を伴って迫ってくる。
主題は、日本マスコミの報道しない自由と軌を一にしている。

憲政史の重大事件である蓮舫氏二重国籍事件に対する報道は極めて少ない。
だが、ネットで周知されては、ごまかしも限界だと考える。二重国籍事件は中国と日本とを
天秤にかけたところが、重大問題である、中国人が日本国宰相に成るというのも問題であるが、
現実に安倍晋三首相の次に宰相になる身分であるから重大な法令違反であると申し上げる。
して見ると、報道しないマスコミは外国人に日本国の政治の主導権を握って欲しいと考えているかの様相である。
日本政治の重大な危機と言っても過言ではない。



戦後の対韓協力と韓国の仕打ち 恩に仇する〝何が何でも日本隠し〟
『別冊正論』 総復習『日韓併合』 豊田有恒(作家)

http://ironna.jp/article/1970

一事が万事「日本人=悪」

 先年なくなった萩焼の名匠、十二世坂(さか)高麗左衛門(こうらいざえもん)さんから、うかがった話である。坂家は、萩藩毛利家の官窯である萩焼の宗家で、かつて豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、日本へ渡った陶工の子孫である。この出兵は、しばしば陶磁器戦争とも呼ばれる。
 薩摩の沈(シム)寿官(スグアン)、伊万里の李(イ)参平(チャムピョン)など、攫(さら)われてきた陶工が少なくない。坂氏も、こうした陶工の子孫にあたり、代々にわたって、高麗左衛門を襲名している。高麗という名乗りからも判るように、朝鮮半島の出自を隠そうとしなかったが、そのことにより、名声や地位が損なわれることはなかった。日本が、外来文化に寛容な社会だからである。

 ある時、KBS(韓国国営放送)が、取材に坂家を訪れた。記者は、のっけから、こう切り出した。
 「日本では、ずいぶん、ご苦労なさったのでしょうね?」
 坂氏は、こう答えられたという。
 「冗談ではない。わたしは、日本人ですよ」

 KBSの記者は、朝鮮の役で連行された陶工たちが、日本人に虐待されたと、思い込んでいるのである。手仕事を賤しむ朝鮮と異なり、日本では手に職を持つ人は尊ばれる。坂家は、代々、藩侯から士分(しぶん)として苗字帯刀を許され、テクノクラートとして優遇されてきたのである。記者が、十二代を経た坂家の当主を、いまだに韓国人であるかのように錯覚し、誤解、偏見、思い込みに捕らわれているため、インタビューは、いっこうに噛みあわなかったという。
 秀吉の役は、たしかに日韓間の悲劇のひとつだが、文化というものは、一方的に伝播するわけではない。このころ、日本から、唐辛子が、朝鮮半島に伝えられる。唐辛子は、朝鮮では、初め倭(ウェ)芥子(キョジャ)と呼ばれた。文字通り、日本の芥子である。
 韓国人は、しばしば、日本文化は、すべて韓国起源だと妄言を弄する。妄想が昂じて、剣道も韓国起源だと言い出す始末である。その伝でいえば、世界遺産のキムチは、日本人が教えたと言えるかもしれない。こっちは、妄言ではなく、それなりに根拠のある話だからである。
 韓国人の日本観は、一事が万事、こうした日本人=悪という史観から、捏造されたものである。かつて、1970年代の初頭から、繰り返し訪韓したが、当時、日帝(イルジェ)時代(シデー)などと呼ぶ人は、ひとりもいなかった。まれに植民地(シンミンチ)時代(シデー)と呼ぶ人が、いないわけではなかったが、ふつうの韓国人は、日本(イルボン)統治(トンチ)時代(シデー)と呼んで、むしろ懐かしんでくれた。

 グレゴリー・ヘンダーソンをはじめ、多くの欧米の歴史家が、朝鮮の近代化は、日本統治によって、もたらされた事実を、例証している。日本は、朝鮮を併合したのであって、決して植民地として搾取したわけではない。日本教育を受けた世代は、こうした史実を知っていたから、一方的な日本非難には与(くみ)しなかった。

無知・無経験の李承晩が戦後始動

 日本統治が終焉した1945年8月15日は、韓国では光復節(クヮンボクチョル)として祝日になっているが、そのとき待ち受けていたのは、途方もない無秩序(anomie)状態でしかなかった。

 アメリカに亡命していた李(イー)承晩(スンマン)が、アメリカ人の夫人を伴い帰国し、初代大統領となったものの、日本統治時代を体験していないから、朝鮮の実情に無知であり、また実務の経験もなく、ひたすら日本を敵視し、反日教育を行ない、日本漁船を拿捕するなどしただけで、国内的にも失政を重ねるばかりだった。

朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済の三国に分かれていた時代から、抗争が絶えなかった。地政学上から見れば、南北は、気質も風土も異なっている。南には大韓(テハン)民国(ミングク)が、北には朝鮮(チョソン)民主(ミンチュ)主義(チュウィ)人民(インミン)共和国(コンファグク)(誇大広告のようだ!)が成立したものの、双方ともにちぐはぐな国家だった。

 総延長500㌔を越える洛東江(ナクトンガン)、漢江(ハンガン)の流域は、韓国の穀倉地帯である。半面、農業地帯韓国には、僅かな石炭を除いて天然資源はほとんどなく、また工業施設にも乏しく、日本が整備した半島全体の発電設備のうち、僅か五%しか存在しなかった。逆に、北朝鮮には、日本が残した水豊(スプン)ダムをはじめとするインフラが多く、天然資源にも恵まれている。しかし、平地に乏しい北朝鮮には、農業生産力が、欠けていた。つまり、南北が補完しあっていかないと、存立が難しい国土なのである。

かつての高句麗の領土のうち、鴨緑江(アムノッカン)以南が、現在の北朝鮮領となり、旧新羅・百済の故地が、現在の韓国領となっている。

 さる人が数えたところ、古代の「三国史記」から、近世まで、朝鮮半島は、実に960回も、異民族の侵入を受けているという。ほぼ二年に一回の割である。こうした過酷な歴史から形造られた国民性は、歪んだものにならざるをえない。
 韓国人は、絶対に非を認めない。自説がまちがっていても、証拠をつきつけられないかぎり、撤回しない。また、どれほど世話や恩を受けても、感謝しないどころか、世話になった事実すら、隠蔽、否定しようとする。さらに、できるだけ、自分を大きく見せようとする。
 なぜ、こうなるかというと、相手が異民族の場合、非を認めれば殺されるかもしれない。また、下手に世話や恩義を認めれば、さらなる過酷な要求を突きつけられるかもしれない。また、自分を大きく見せないと、利用価値のないものと見なされ、殺されないまでも、社会的に葬られるかもしれないのだ。
 こうした傾向は、特に対日本という関係では、被害妄想のように顕著に現れる。これら韓国人の歴史、民族性を踏まえたうえで、特に戦後の日韓関係を眺めると、日本人の対韓認識が、どれほど誤っていたか、はっきりする。

発展には日本教育世代が活躍

 昭和40(1965)年、日韓基本条約が、締結される。今年は、その五十周年に当たるが、日本は、僅か18億㌦しかなかった外貨準備のなかから、有償無償あわせて五億㌦を、韓国に提供した。この資金が、韓国の高度成長の基礎を築いたのである。逆説めくが、韓国の発展は、すべて日本のおかげだということを、日本人も、常日頃から、言いたてないと、日韓関係は好転しない。

当時の朴(パク)正熙(チョンヒ)大統領は、国民の反日傾向のなかで、日本との修好を進めたわけだが、これは、韓国動乱(朝鮮戦争)の戦火さめやらぬ時代だったため、北朝鮮との間で、復興の遅れから、溝を開けられていることを、計算に入れたからである。

この日本からの資金が、京釜(キョンブ)高速(コーソク)道路(トーロ)をはじめ、韓国の高度成長の基礎となるインフラにまわされた。つまり、日本のおかげなのである。日本人は、こういう事実を、絶えず韓国に対して言いつづけないと、日韓関係の好転は望めない。

 以後、日本人は、熱心に韓国へ関わって行く。そこに、“元日本人”への共感と、一種の贖罪感が作用したから、あらゆる面で、心から韓国の復興、繁栄を願って、惜しまず協力したのである。先進国の仲間入りした韓国の現代の繁栄は、日本人の協力によってもたらされたものと、はっきり断言できる。しかも、日本人が、恩着せがましくしない点に、今日の問題の全ての淵源がある。
 現在、日韓のあいだには、多くの問題があるが、その多くは、日本人が、こうした事実を、いちいち韓国人に確認しなかったことから発生したのである。日本人は、恩着せがましくされることを嫌うし、相手にも恩着せがましくすることはない。だが、韓国人相手には、言外の言、理外の理は、通じない。
 寅さんの決め台詞だが、日本人は「それを言っちゃあ、おしめえよ」と、言うべきことも言わずに、相手が察するのを待つのが、ふつうである。確かに、日本人同士では美徳だが、韓国人相手では、これは逆効果しか生まない。
 韓国の建国に当たっては、日本で教育を受けた人々が、大きな役割を担った。朝鮮戦争における活躍によって、韓国では救国の英雄とされる白(ペク)善燁(ソニョプ)将軍は、日本での軍事教育を受けている。韓国で栽培される野菜、果物など、ほとんどの品種は、多くの日本人の善意に支えられ、東大に学んだ種苗学者の禹(ウ)長春(チャンチュン)博士が、日本からもたらしたものである。実際、禹博士は、常日頃日本人への感謝を口にしていたそうである。

しかし、こうした日本世代の日本に感謝する気持ちは、現代の韓国では受け継がれていない。林檎のフジという品種は、日本から導入されたものだが、富士と言う漢字を韓国音で読み換えて、プサという名で知られている。一般の韓国人は、プサという林檎が、日本からもたらされたものだという事実を知らない。
 条約の締結の以前から、日韓の協力の動きは、すでに始まっていた。先年、94歳の天寿を全うされた全仲(チョンジュン)潤(ニュン)氏は、韓国屈指のインスタントラーメン会社である三養(サミャン)食品(シクプム)の創立者として、よく知られる。全氏は、朝鮮戦争の惨禍から回復できず、食糧難に苦しんだ1960年代の初め、日本で口にしたインスタントラーメンの味を忘れられず、日本の明星食品の奥井清澄社長を頼った。奥井社長は、国民を食糧難から救いたいという、全氏の志を受け入れて、ラーメンの製法を、無償で提供し、技術指導に当たった。

当時、多くの日本人が、元日(・・)本人(・・)である朝鮮半島の人々に、同胞意識を抱いていたからである。朝鮮半島の人々も、“元日本人”として、本土の日本人に親近感を持っていたからでもある。実際、全会長は、生涯、奥井氏を含めた日本人への感謝を、口にしていたそうである。
 日韓条約によって、日本を知る人々、日本から戻った人々が、日韓の窓口、橋渡しの役割を務め、日本からの技術協力・移転が、さらに加速されていった。

早くからあった〝日本隠し〟

      
 しかし、日本の協力、努力、誠意が、いっこうに韓国人の感謝の対象とならない、いわゆる〝日本隠し〟の事実は、早くから顕在化した。
 1974(昭和49)年、ソウルの地下鉄の一号線が、日本の協力によって竣工した。ソウル駅から、東のターミナル清涼里(チョンニャンニ)駅へのルートである。東京で言えば、東京駅と新宿駅を結ぶような幹線に当たる。建設費用のほとんどが、日本からの借款で賄われたばかりか、日立製の最新型の車両60両が、提供された。
 しかし、その竣工式では、日本の協力があった事実は、すべて伏せられていた。立ち会った日本人関係者は、臍(ほぞ)を噛む思いだったという。
 こうした韓国人の〝日本隠し〟の性癖は、まだ、日本人のあいだでは、広く知られることもなく、日韓の技術提携、技術協力は、加速されていった。日韓の経済協力に関わった松本氏が作成された上記表を見ていただければ、すぐ判る経緯なのだが、昭和60年の時点で、今日の韓国が得意とする技術分野における日本からの技術移転は、広範な規模でほぼ完了しているのである。

これらの技術に関して、私が眼で見たケースだけ眺めても、韓国経済がテークオフするに当たって、日本からの協力が不可欠だったどころか、商売の域を越えた日本人の献身的な努力に支えられたことが判る。

自動車は日本が全面協力

 私事ながら、車とバイクが趣味なので、自然な成り行きで、この趣味は、韓国へも向かって行った。70年代、ソウルの太平路(テピョンノ)の世宗(セジョン)会館(フェグァン)の向かいに、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)のショールームがあり、なんどか通った。現代ポニーは、最初の量産車だった。貧しかった韓国では、外貨節約のため。せめてタクシー需要だけでも、国産でまかないたいという当時の朴大統領の命令で、いわば国策として進められたプロジェクトであり、日本の三菱自動車が、エンジンの提供などをふくめて、おおいに協力した。

 昭和53年「韓国の挑戦」を上梓した際、韓国の自動車産業の発展のポテンシャルに言及したが、当時、韓国が自動車生産国になると予見した日本人は、口はばったいようだが、私以外にはいなかった。
 当時、拙著を読まれた業界の関係者と思われる方から、丁重な手紙を頂戴した。その方は、専門家らしく、多くの論拠をあげて、韓国の自動車産業が発展する可能性は皆無だと断定しておられた。
 現代ポニーは、三菱からランサーのシャシー、サターン・エンジンなどを提供されたが、デザインは、イタリアのスーパーカーで有名なジョルジエット・ジウジアーロに委託した。私も、ハンドルを握らせてもらったことがある。タクシー需要を見こんだため、サスペンションは固く、乗り心地が良くなく、造りも雑だったが、流麗なファストバックのボディは、いかにも魅力的で、商品性があると思えた。

このポニーの成功が、韓国の自動車生産の基礎となる。エンジン、シャシーの技術は、日本に仰いだが、デザインには金を惜しまず、それが成功につながった。日本車と酷似したデザインを臆面もなく採用する今日と比べると、当時の韓国には、それなりのプライドがあった。
 自動車業界の日韓提携の動きは、この現代だけに留まらない。起亜((キア)自動車は、日本時代からの部品メーカーで、老舗の少ない韓国では例外的な存在だが、マツダと提携して早くからオート三輪の生産を行なっていて、マツダ・ファミリアをプリサの商品名で生産するようになり、自動車業界の一翼を担うことになった。ただ、乗用車としては、現代ポニーに及ばなかったため、ワンボックスワゴンに特化して、マツダ・ボンゴのライセンス生産に力を入れた。

 私も、日本のテレビ局のコメンテーターとして、なんども韓国での取材に参加したが、ロケバスは、ボンゴばかりだった。ちなみに、韓国では、今も、ワンボックスワゴンのことを、ボンゴと呼ぶほど、普通名詞化しているのである。
現代、起亜という老舗ばかりでなく、韓国の自動車産業には、多くの日本メーカーが関わっている。日産も早くから、現地メーカー新進(シンジン)と提携していたが、これにトヨタが加わったため提携を解消している。代わったトヨタも、コロナなど現地生産したものの、やがて手を引いた。
 部品の国産化比率を引き上げられ、達成不可能だとしたせいだとするが、巷説では当時のKCIAの実力者李(イ)厚洛(フラク)氏が関わっていたため、あまりにも露骨に賄賂を要求され、嫌気がさしたとも言われている。

 やがて新進自動車は、大宇(テーウ)グループの傘下に入り、再編されることになる。グローバル戦略からGM系列に加わったため、日本からスズキも提携することになり、スズキ・アルトを生産している。
 アメリカ大使館の裏手の大林(テーリム)産業(サノプ)のショールームにも、なんどか足を運んだ。ここでは、日本のホンダと提携してバイクを生産していた。70~80年代には、韓国のモータリゼーションも未だしの感があり、バイクは趣味的なものではなく、大きな荷台を取り付けて輸送用にも使われていたが、日本のバイクは、こうした過酷な使用法にも、じゅうぶん応えられたのである。
 見栄っ張りな韓国人の国民性からか、カラフルなカウルをつけた荷物用バイクが街中を走り回っていた。これには違和感をおぼえた。フロントカウルは、空気抵抗を減らすためだろうから、街中を低速で走る荷物用バイクには、必要あるまい。

感謝はなく、技術まで盗む

 今から30年ほど前、新日鉄に勤める知人T氏に頼まれ、同社の独身寮で講演した。韓国人の国民性、文化、歴史など、入門的に話し、好評だったが、帰り際に、T氏は、思いがけないことを口にした。なんと、こう言ったのである。
 「講演、たいへん面白かったのですが、うちの会社には、韓国が好きだという人間は、ひとりもいませんからな」
 そのときは唖然としたものである。訊いてみると、浦項(セハン)製鉄所(現POSCO)に、同社はじめ日本の各社が技術援助し、当時最新鋭の君津製鉄所とほぼ同じレイアウトの工場を完成させ、操業に漕ぎつけたものの、相手からはなんの感謝もなく、その後は、新日鉄のシェアを奪うばかりで、多くの新日鉄社員が、肚に据えかねる思いなのだという。

 日本人なら、双方ともに感謝を口にし、和を保つところだが、韓国人は、得意の〝日本隠し〟に走り、まったく日本の援助がなかったかのように振る舞ってしまう。
 一時期、家族ぐるみでつきあった国際人のT氏は、海外勤務も長く、スイス人の奥さんを持ち、偏狭なナショナリストではない。この方が、そこまで言われるのだから、技術移転に当たり、相当なトラブルがあったのだろうなと、鉄鋼業界には素人ながら、妙に納得した記憶がある。
 その後、推理作家協会の訪韓団で、POSCOを訪れる機会ができた。迎賓館のような豪華なゲストハウスに泊めてもらい、工場も見学したのだが、すべて自社開発したかのような説明に終始し、日本側の協力に関しては、一言も言及されなかった。その際、あのときT氏が口にした言葉が、真実だと、実感した。
 こうした際、日本人なら提携相手先の協力に感謝するだろう。そのほうが、単に相手を立てるばかりでなく、より自分を立派に見せることにつながるのだが、韓国人は、そういう大人の態度が取れないのである。
 その後、新日鉄と、POSCOのあいだで、係争が発生する。新日鉄を辞めた技術者が、方向性電磁鋼板という最新技術を、POSCO側に売ったというのだが、この件では、アメリカも絡んで、複雑な展開に至っている。現・新日鉄住金は、POSCOの大株主でもあるわけで、告訴に至ったのは、よほど肚に据えかねる事情があったからなのだろう。
 総じて、韓国の企業は、自意識過剰と言うか、自社製品を誇大に言いたてるきらいがあるが、日本の技術がからんでいるとなると、なんとかして隠そうとする。他の多くの分野でも知られる〝日本隠し〟という性向のためだが、事実を枉(ま)げても、あたかも全てを、自社開発したように、捏造するから問題なのである。

排斥してもケロリ顔で輸入再開

 私と関わりのある例を、もう一つ挙げてみよう。韓国のアニメである。かつて日本国内の人件費高騰から、日本アニメ界は、韓国に進出した。
 私の知り合いでも、技術指導に行ったアニメーターは少なくない。例えば「コンバトラーV」というアニメは、韓国で製作されたものである。韓国は、日本の善意と協力によって、アニメ技術をマスターした。しかし、そのうち、例の悪い癖も出てくる。私がSF設定を担当した「宇宙戦艦ヤマト」そっくりのシリーズが登場した。「銀河(ウナ)艦隊(ハムデ)地球号(チグーホ)」という。これには、あきれた。

70~80年代から続く傾向なのだが、韓国は、対日貿易赤字を抱えている。ライセンス料、精密加工機器、中間原材料など多くを日本に負っているからで、それだけ、日本が韓国の発展に協力した証でもある。
 ところが、奇妙で歪んだ歴史観からか、韓国では、対日赤字が許せないものに思えてきた。当時、貿易(モヨク)帝国(チェグク)主義(チュウィ)という穢(きたな)い言葉が、日本に向けて、投げつけられたものである。つまり、日本が、技術、原材料などを餌に、韓国を隷属させようとしているというのである。
 しかし、韓国経済が日本に依存したのは、かれらが選択した事実であり、ことさら無視しようとするから、そこに無理が生じる。
 三菱自動車のサターン・エンジンのように、ただ同然のライセンス料で、提供された技術に関しては、旧式な技術を韓国に輸出し、有利な立場に立とうとしているという言いがかりのような非難もあった。もし、ライセンス料が高額だったら、それはそれで、日本に搾取されているというような非難が、一斉に沸き起こったことだろう。
 こうした際、主義主張が先立ち、冷静に事実が見えなくなるのは、韓国人の悪い癖である。日本から恩恵を受けたくないという願望からか、盧(ノ)泰愚(テウ)政権のころだったと思うが、輸入先多角化法案が成立した。つまり、日本から輸入されている部品、中間原材料などを、なるべく別な国からのものにシフトするというもので、助成金も設けられた。

法令に基づいて、これまで日本から輸入していた部品などを、まったく取引のなかった欧米メーカーから輸入してみたものの、規格が合わないケースが続出したばかりか、法外な技術料を請求される事態も起こった。韓国のほとんどの産業は、親韓的でお人よしの日本という国からの、善意あふれる協力で、これまで発展してきた。いきなり欧米からの部品に切り替えようとしても、すぐさま応用がきくわけではない。
 規格が合わない部品によって、工場の操業が停止に追い込まれた例もある。また、これまで通り、日本製の部品を輸出したため、日本のメーカーの社員が、ソウルへ到着するなり逮捕される事件も起こった。日韓双方に、混乱を招いただけで、韓国経済にとって、なんの利益も生まない空しい結果に終わる。
 輸入先多角化法案は、まもなく骨抜きになり、日本からの輸入に頼ることに戻ってしまった。こうした際、あれほど、日本を排斥したのが、まるで嘘だったかのように、けろりとした顔で、取引の再開を求めてきたので、あきれたという日本側担当者の感想を、耳にした。

つけ込んで生き延びる歴史

 繰り返すが、このケースのように、韓国人は、主義主張が先走り、現実が見えなくなることが少なくない。意見が対立した際、日本や欧米のように、それぞれ論拠を挙げて、最善の方法を選択することが、きわめて苦手である。自分と異なる意見にでくわすと、自分の主張を押し付け、なんとしても相手を黙らせようとする。議論が成り立たない社会なのである。大声を上げ、相手を罵(ののし)り、力ずくで意見を圧殺するのが、ポピュラーな展開である。それが通じないときは、話題をすり替える。
 たとえば、竹島の不法占拠でも、竹島領有の根拠を、日本側が示そうとすると、まず怒って怒鳴りちらす。しかも、日本が、もともと朝鮮王朝のものだった竹島を、日韓併合の布石として、軍事力を背景に奪い取ったのだと、頑強に主張する。
 確かに、竹島を国際法上の無主地(むしゅち)として、日本が領有宣言をしたのは、明治三十八年、日韓併合に先立つこと五年である。しかし、竹島領有と日韓併合は、なんの関係もない。あの帝国主義の時代である。併合の布石として本気で奪うつもりなら、竹島では、岩山ばかりで利用価値がないから、鬱陵島(ウルルンド)か済州島(チェジュド)のほうが、軍事的に利用価値がある。

 韓国側は、もともと韓国領だった獨島(トクト)(竹島)を、日本が奪ったという虚構から、出発するのだから、まったく議論にならない。それが通じないと見てとると、今度は、日本が竹島領有を主張するのは、日本で軍国主義が復活したからだと、言い返してくる。軍国主義の話をしているわけではなく、竹島領有の根拠について、議論しているつもりだが、これが韓国人相手では通じないのだ。

 過酷な歴史の後遺症で、韓国人は、自国に不都合なことは、忘れようと努力する。特に、異民族から、なんらかの恩恵を受けた際には、かならず過大な対価を課せられたから、なんとしても認めないのである。認めないうちに、自分に納得させるためか、恩恵を受けても受けなかったことにしてしまう。事実と異なっても、そう考えるほうが、精神衛生上も、好ましい効果を上げる。特に日本の朝鮮統治は、実際には近代化の引き金ともなったが、それを認めると、プライドが傷つくと見えて、断固として認めない方針を貫こうとし、算盤勘定ができなくなる。
 日本人としては、これまで、全て逆の対応をしてきたのである。韓国人の気持ちを忖度(そんたく)して、配慮を示すことが、日韓友好に寄与すると、錯覚したのである。だが、ここが、ボタンの掛け違いのはじまりである。
 こちらの好意は、疚(やま)しさ、弱さとしか、受け取られない。強大な異民族の征服者と伍していくためには、相手の好意、譲歩などに、つけ込むしかなかった歴史である。好意、善意を示せば示すほど、言葉は悪いが付け上がる民族性なのである。
 島根県が、竹島の日を制定したとき、民主党政権は、韓国を刺激することを恐れ、政府高官の派遣を手控えた。ところが、韓国からは、マスコミをはじめ、大勢が松江に押し掛け、路上で暴れまわるなど、乱暴狼藉を働く始末だった。つまり、こちらが、疚しいことがあるから、譲歩したと見てとり、かさにかかった態度に出たわけだ。

「はず」「べき」民族

 韓国人は、はずべき民族である。ヘイトスピーチを始めたのではない。韓国は、“はず”と“べき”の社会ということだ。われわれは、優れている“はず”だ。日本などに、してやられる“はず”がない。竹島は、われわれのものである“べき”だ。われわれの婦女子は、日本軍など相手に、売春などす“べき”でないし、した“はず”がない。われわれの会社は、日本から技術援助されたりす“べき”でないし、された“はず”がない。そう言っているうちに、事実と“はず”、“べき”が、しだいに混同してくる。

 その結果、竹島は、韓国のものになり、日本の技術提供はなかったことに、されてしまうのだ。
 ここは、日本人も、声を大に叫ばないといけない。庶民は文盲が多く、王朝は人民そっちのけで権力闘争に明け暮れ、中国への事大主義にしがみついた。その朝鮮に、鉄道、工場、学校、炭鉱、発電所など、多くの社会基盤を整備したのは、まぎれもなく日本である事実を再認識してもらおう。当時、日本と韓国は併合していたのである。自国民を強制的に、軍隊相手の売春婦に仕立てたり、勝手に、殺したりすることは、許されなかった事実も、はっきり伝えよう。

戦前のことだけではない。今日、韓国が先進国並みになれたのは、自国の努力があるにしても、総じて誰のおかげかを、データを挙げて、懇切丁寧に説明しようではないか。歴史認識が、必要なのは、どっちの国かも、改めて示してやらないと、理解できないらしい。インスタントラーメンから、鉄鋼にいたるまで、すべて日本人が技術を提供したのだ。こうした事実を改めて示そう。
 ここまでやらないと、眼を覚ましてくれそうにない民族であることも、厳然たる事実なのである。もし、将来、日韓友好がもたらされるとすれば、日本側が有無を言わせず強硬に振舞った後のことだろう。

とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第一回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。五十年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。



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