竹林の国から 2012年9月 3日 (月) 竹島、従軍慰安婦問題から私たち日本人が学ぶべきこと。

竹林の国から
山本七平学のすすめ


2012年9月 3日 (月)
竹島、従軍慰安婦問題から私たち日本人が学ぶべきこと。
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 私が中高生の頃、竹島付近で日本人漁師が拿捕・抑留されたり銃撃され死亡したりするニュースをよく聞いたものです。(1952年李承晩ライ ンの一方的設定から1965年の日韓基本条約までの間、日本漁船328隻が拿捕、日本人44人が死傷(うち5人が死亡)、3,929人が抑留された)最近 では、ロンドンオリンピックのサッカー三位決定戦で、韓国が勝利した後のパフォーマンスで、韓国のMFパク・ジョンウが「独島はわが 領土」とのプラカードを掲げた問題がありました。
 なぜ、韓国人はたかが竹島問題であんなに異様なほどエキサイトするのだろう?と不思議に思っていましたが、8月24日のフジテレビプライムニュー ス「竹島、尖閣、北方領土、日本外交は機能不全?」と題する番組の中で、元外務省条約局長東郷和彦氏と評論家松本健一氏の解説を聞いて、なるほどと得心す る所がありました。
松本:日本政府は、1905年に竹島は日本に編入された(1905年(明治38年1月28日)、島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定し、以降、竹 島は行政区画では島根県隠岐郡隠岐の島町竹島官有無番地であり、正式に日本の領土となった。)という。しかし、韓国人は、それは、第二次日韓協約 (1905年11月17日)―― 韓国は外交権を日本に譲渡し、日本の保護国となった――が締結される直前に行われたものであり「日韓併合」を象徴するものとなっている。故に、韓国は「他 国によって併合されるような民族ではなかった」ということを主張するためにも、この時の日本の竹島領有は認められないのだ。
東郷:竹島が島根県に編入されたことは、韓国人は全員、併合前夜の出来事だと思っている。韓国人の前でこの問題を持ち出すと韓国人の顔色が変わる。魚の問題ではないのだ。
 まあ、常識的に見れば、こうした韓国人の言動は単なるナショナリズムの発露であって、国際的な理解を得られるものではありません。まして、その実 効支配が、「国際法上の慣例」を無視した李承晩ライン(軍事境界線)の設定(1952年1月18)によって武力的に推し進められて来たものである以上、国 際紛争の解決の手段としての「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄している日本としては、これを認めるわけにはいきません。
 では、1905年以前はどうなっていたかというと、
 日本側は「竹島は日本が島根県に編入するまで他国に実効支配されたことはなく」つま り、実質的に日本が実効支配していた。」従って、「竹島の編入手続きは、国際法に照らしても全く合法的である。」とする。これに対して、韓国側は、 「1905年1月の日本による竹島編入は、軍国主義による韓国侵略の象徴であり強制的に編入された。もし日本領であったなら編入する必要はない。この年 11月に締結された第二次日韓協約によって、大韓帝国は外交権が事実上奪われていたため、独島(竹島)の島根県編入を知った後、日本が敗戦するまで抗議で きなかった。」(wiki「竹島」参照)としています。
 要するに、韓国が現在やっていることは、竹島を、日韓併合の歴史的怨みをはらすための「抵抗のシンボル」としているということです。従って、その 実効支配が武力を用いてなされたことについては、その国際法上の当不当ということより、むしろ、実力でもって日本の韓国併合の残滓を跳ね返した英雄的行為 としての意味合いの方が強いのです。これが、現代の日本人には容易に理解できないところです。
 結論からいえば、韓国が竹島を実効支配しそれを武力で守る意志を持ち、一方日本がそれを武力で奪還する意志を持たない以上、現状のまま推移するほ かないでしょう。日本にできることは、この問題をICJに提訴して、韓国による竹島の実効支配を国際法上不当であるとアピールすることだけです。しかし、 提訴しても韓国が応じなければ裁判は成立しませんから、これで日本と韓国の和解が成立するということにはならないと思います。
 ではどうすればいいか。日本としては、「日韓併合」が、韓国人が言うように本当に非道かつ侵略的・収奪的なものであったかどうかの歴史的検証を行 い、その実相を把握し歴史観を共有する必要があります。というのは、次の、従軍慰安婦問題に見るように、韓国人の日本人に対する批判には常軌を逸したもの があり、これをこのまま放置していては、日本人の国際社会における信用が毀損される恐れがあるからです。
 もちろん、それが事実に基づく非難であればやむを得ませんが、そうした非難・攻撃の対象となっている歴史的事実の認識に、甚だしい事実の歪曲や誤 認があることは、すでに多くの研究によって明らかだからです。おそらく、こうした傾向は、独立後の韓国の反日教育によって拡大再生産されたものなのでしょ うが、こうした隣国に対する悪意に満ちた虚偽宣伝を、これ以上、漫然と放置すべきではありません。
 なお、こうした韓国人の不可解な行動を理解するためには、かって小室直樹氏が指摘した次のような観点を念頭に置く必要があります。
 「独立は自ら勝ち取らなければならない、という大原則」・・・ 
 「大韓臨時政府主席金九は、亡命地の重慶で、日本敗北のニュースを聞いたとき、思わず絶句した・・・。
金九は言った。
日本が敗戦して朝鮮解放の日は近づいた。嬉しくてたまらないはずなのに、少しも嬉しくない。韓国光復軍が日本軍を破ることによって、韓国は独立を獲得したかった。このままだと韓国には発言権かないことになってしまう。
 予言的な言葉である。と言いたいところだが、そうではない。これぞ国際政治の常識。韓国光復軍といったところで、実は、何もしなかったのであった。
 いくら何でも、正式の会戦で日本軍を破れ、ここまでは、ルーズベルトもチャーチルも、蒋介石も周恩来も要求はするまい。いや、考えてもみないだろ う。しかし、重慶に本拠をおく大韓臨時政府の軍隊たる韓国光復軍。せめて、対日ゲリラくらいには参加してもよかったのではないか。
 韓国の「解放」が、日帝から戦いによって奪取したものでなく、日帝とアメリカとの取引によって得られたものであること。
 この外傷が致命的な後遺症となって大韓民国を呪縛することになる。・・・
 大韓民国には、韓国人民によってではなく、アメリカによって処刑された、大日本帝国の亡霊かまといついて離れないのである。宿命か作為か。」(『韓国の悲劇』小室直樹p66)
 おそらく、韓国人の日本に対する理不尽とも思える敵対心の背景には、こうした心理作用が働いているのでしょう。だとすれば、日本人が彼らの前に言 うべきことを言わず、小心よくよくとした臆病な姿をさらすことは、彼らの目には、その日本に反攻できなかった自分らへの、さらなる屈辱感として、跳ね返っ ていくのではないではないしょうか?
 なお、以上のような心理は、韓国人の「従軍慰安婦」問題の扱いにより露骨に見る事ができます。これは、戦時中日本は、韓国人の女子を強制的に狩り 立て、戦地に送り日本軍兵士の慰安婦とした、ということを国際社会に宣伝することで、日本人を道徳的に貶めようとするものです。この問題の解決策として 「アジア女性基金」制度が発足したのですが、あくまでこの受け取りを拒否して、日本政府が強制連行を認め国家賠償することを求めています。
 しかし、戦時中に慰安所を作り慰安婦を置くことは、日本だけがやったことではなく、戦場での強姦を防ぐなどのためにどの国もやったこと(もちろん 韓国も)です。また、当時は公娼制度もあり、韓国などでは、戦後も外貨獲得の手段として近年まで行ってきたのであって、日本だけが道徳的に非難される”い われ”はありません。もちろん、戦中、そうした職業に就いた女性の多くが、気の毒な境遇にあったであろうことは容易に想像できます。
 まあ、この時、日本が戦争なんかしておらず、また、日韓併合なんかしていなければ、こんなことにはならなかったわけですが、こうして慰安婦になっ た女性たちの約4割は日本人、約2割が韓国人(秦郁彦)だったそうですから、韓国人が特に標的にされたというわけではありません。といっても、貧困の度合 いは韓国の方がひどかったようで、それだけ未婚女性が慰安婦になるケースが韓国では多かったといいます。
 ただ、こうして慰安婦として働く期間は、「前渡金」を返済するまでの期間が基本であって、奴隷的に拘束され働かされたというわけではないようで す。また、賃金は、二等兵兵士の約数十倍から百倍だったそうで、雇い主との折半割合もほぼ半々であり、早い人では約1年で故郷に帰る人もいたそうです。も ちろん、雇い主はあくまで民間人であってその条件はいろいろだったでしょうが・・・。
 いずれにしても、こうした日本の戦中における慰安婦制度によって、約2万人の韓国人慰安婦が生まれたことは事実です。ただし、日本の敗戦後、戦争 賠償問題が李承晩大統領との間で話し合われた際、その補償対象にはこれらの慰安婦は含まれていなかった。このことを、その後起こったことと対比してみる と、この問題は、金銭的な問題というより、慰安婦の名誉回復の問題であった、と見る事もできます。
 このことに関わって、いわゆる「河野談話」の作成にあたった石原信雄元官房副長官は、次のように述懐しています。(当時その取材に当たった産経新 聞の阿比留瑠比氏のインタビュー記録。「1回目はアポなしで石原氏の自宅に押しかけ、家の前で長時間立ったまま話を聞いてノートにメモし、2回目 (2005.7)はきちんと約束して指定先に出向いて取材し」た、その時のメモを元にまとめたもの)
「Q  河野談話からは、甘言、強圧の主体が誰かが欠落している

石原氏 これはまさに日韓の両国関係に配慮して、ああいう表現に なった。普通の談話であれば、物的証拠に基づく手法ではああいうものはできない。だから、論者によっては当然、そこまでいかないのになぜ強制を認めたのか という批判はあるでしょう。あの当時、「絶対強制なんかなかった」「とんでもない話だ」と反対意見もあったし。だけども、本人の意思に反して慰安婦にされ た人がいるのは認めざるをえないというのが河野談話の考え方、当時の宮沢内閣の方針なんですよ。それについてはいろいろとご批判はあるでしょう、当然。当 時からあったが。

Q  石原さんは反対しなかったのか

石原氏 私は補佐役だから、弁解なんかしない。過程はいろいろ あるが、政府として内閣として補佐にあたった以上は私は全責任を負わないといけない。個人的にどうだとか言ってはいけない、組織の人間としては。まとまる までは中で議論があったが、まとめた以上はそこにいた人間は逃げられない。

Q  河野談話が出された結果、国連人権委員会などでも「セックススレイブ」という言葉が使われるようになった

石 原氏 それはもちろん、そういうことに利用される可能性は当然ある。限られた状況の中で意に反した人がいたと認めれば、やはり訴訟している人たちは一事が 万事、すべてが強制だと主張している。それを認めることになるというリスクは当然、あの談話にはあるわけだ。それは覚悟した。そういう風に言われるだろう と。だから出すべきでないという意見も中にはあった。だけど、政府として決めたんだから、我々関係者は少なくとも弁解がましいことはいえない。

Q  宮沢首相の政治判断か

石原氏 それはそうですよ。それは内閣だから。官房長官談話だけど、これは総理の意を受けて発表したわけだから、宮沢内閣の責任ですよ、もちろん。

Q  国家賠償請求につながるとは思わなかったのか

石 原氏 全く想定していない。それはもちろん、あの談話をまとめるにあたっては外務、財務、法務省すべて関係者は承知している。われわれはあの談話によっ て、国家賠償の問題が出てくるとは全く想定していなかった。当然、当時の韓国側も、あの談話をもとに政府として要求するということはまったくありえなかっ た。

(中略)慰安婦問題はすべて強制だとか、日本政府として強制したことを認めたとか、誇大に宣伝して使われるのはまことに苦々しくて仕方ない。もちろん、こういうものをいったん出すと悪用される危険はある。外交関係とはそういうものだから。だけど、あまりにもひどいと思う。
(河野談話発表の)あのときは、これで日韓関係は非常に盤石だ、お互い不信感がとれたと日韓間で言っていた。韓国側も、自分たちが元慰安婦たちの名誉のた めに意に反してというのを認めろと求めたのを日本が認めた。これで未来志向になると言っていた。それが(韓国は)今日まで、いろんな国際会議で日本政府が 政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にしたと言っているが、全く心外そのものだ。 (後略、おわり)」

 つまり、政府の調査の結果、 軍が強制的に慰安婦を集めたという物的証拠はなく、ただ、元慰安婦の訴えを聞いただけであること。また、それが事実かどうかは調べようもなく、本人の証言 を信用するしかなかった。その時、韓国側が元慰安婦たちの名誉のために「意に反して」というのを認めてくれ、それで日韓関係は盤石になる、といったので、 そういう書き方をした。まさか、国際会議で、それが日本政府の意図で韓国女性を強制的に慰安婦にした、と宣伝されるとは思ってもいなかった、というので す。
 この国際会議とは、1992年2月に韓国「挺対協」が、国連本部やジュネーブの人権委員会に代表を送り、これを国際的な人権問題として訴えたこと を指しています。結果的には、慰安婦問題は、家庭内暴力を主題とする「クマラスワミ報告書」の付属文書という扱いで、「そういう報告があったと”聞きお く”程度の意味で拘束性もない」(『慰安婦と戦場の性』秦郁彦P271)ものとなりました。
 しかし、これを不満とする日本人も沢山いて(坂本義和、吉見義明、田嶋陽子、山崎朋子他)その後、慰安婦の国家補償の議員立法化や、「アジア女性 基金」の受け取りを拒否する運動が展開されるようになりました。その後、この運動はさらにエスカレートし、2000年には、昭和天皇を有罪と宣告した女性 国際戦犯法廷、2007年には、アメリカ下院に次のような対日決議案が提出されるに至りました。
(その決議の内容)
 決議一二一号
 日本政府による軍事的強制売春である「慰安婦」システムは、その残酷さと規模の大きさで前例の ないものと考えられる。集団レイプ、強制妊娠中絶、辱めや性暴力を含み、結果として死、最終的には自殺に追い込んだ二十世紀最大の人身売買事件になった。 日本の学校で使用されている新しい教科書のなかには、「慰安婦」の悲劇や第二次世界大戦中の日本のその他の戦争犯罪を軽視しているものもある。
 日本の官民の当局者たちは最近……河野談話を薄め、もしくは無効にしようとする願望を示している。……’』のため、以下、下院の意思として決議する。
 日本政府は、
(1)日本帝国軍隊が若い女性に「慰安婦」として世界に知られる性奴隷(Sexual Slavery)を強制したことを、明確にあいまいさのないやり方で公式に認め、謝罪し、歴史的責任をうけいれるべきである。
(2)日本国首相の公的な資格でおこなわれる公の声明書として、公式の謝罪をおこなうべきである。
(3)日本帝国軍隊のための性の奴隷化および「慰安婦」の人身売買はなかったといういかなる主張にたいしても、明確、公式に反論すべきである。
(4)「慰安婦」にかんする国際社会の勧告に従い、現在と未来の世代に対しこの恐るべき犯罪についての教育を行うべきである。
 こうした動きに対して、日本の国会でも「河野談話」の取り扱いをめぐる議論がなされるようになり、安倍首相は、2007年3月1日記者会見で、 「強制性を裏付ける証拠はなかったのではないか」「(強制性の)定義が(狭義から広義へ)変わったということを前提に考えなければ」などと注釈しました。 しかし、これをニューヨーク・タイムスなどが「首相が河野談話を全面否定した」と書きたて、さらに国粋主義者、歴史修正主義者と批判したため、安倍首相は 3月5日の参議院における質疑で、あらためて「河野談話は基本的に継承していく」と答えました。
 この件について、大阪の橋本市長は、8月24日の記者会見で次のように語っています。
「Q赤旗 慰安婦問題だが、橋下市長は強制の事実は確たる証拠はないといったが、河野談話をみていると強制の事実を認めているが見直すべきか

橋 下氏「2007年の閣議決定はどうか。鳥の目というか全体の視野を持たないと。2007年の閣議決定では、強制連行の事実を直接示す記述は見当たらなかっ たと、そういう閣議決定が安倍内閣のときになされている(※「政府が発見した資料の中に、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たら なかった」)。僕は歴史家ではないから、すべての資料について、古文書等含めて行政文書を含めて全部調べたわけではないので、政治家として93年の河野談 話と、それについての2007年の閣議決定、この2つをもとにして自分の意見を組み立てている。

河野談話でいろんな表現はあるけれど も、しかし2007年に強制連行を示す、それを裏付けるような、直接の証拠はなかったということを2007年の安倍内閣のときに閣議決定がされているわけ です。そうであれば河野談話の中身をもう一度しっかり疑義がないように内容を見直すのか、それとも2007年の閣議決定が間違ったのかどちらかですよ。

で、僕は2007年の閣議決定というのは、河野談話出した以降、日本政府が閣議決定をやっている以上は責任をもってやっていると思いますよ。河野談話は、閣議決定されていませんよ、それは河野談話は談話なんですから。」

  要するに、2007年に安倍内閣のもとで、慰安婦の募集に「強制性を裏付ける証拠はなかった」ことが閣議決定されている。つまり、河野談話で「慰安婦の募 集において官憲等が直接これに加担した」と解釈されている部分については、それを裏付ける証拠はなかったということで訂正されている。また、この見解は閣 議決定されているから、これが日本国政府の正式見解だ、と言うのです。
 しかし、前述した通り、安倍首相は「河野談話は基本的に継承していく」と言っています。ただし、その強制制の意味は、「強制連行を示す」狭義の意 味ではなく、「本人の意志に反して集められた」という広義の意味だ、といったのです。しかし、それが大変わかりにくく、言い逃れに聞こえたために、国際的 な非難を浴びることになった。そんなことなら、はじめから「官憲による強制連行はなかった」だけで押し通した方が良かった、と秦氏は言っています。
 橋下氏は、秦氏のこの見解を支持し、あえて、2007年に閣議決定した慰安婦の募集に関する政府見解を、「強制連行がなかったこと」の表明としているのです。
 ところで、この慰安婦問題がどのような経緯で河野談話という形で発表されることになったか、については、自民党の片山さつき氏が次のように簡潔にまとめています。
 「一九六五年の日韓基本条約において、五億ドルの賠償を支払う等により、日韓間の戦争に拘わる賠償は最終的に解決されました。時の李承晩大統領 は、「反日」政策で有名ですが、日本への要求リストに「従軍慰安婦」はありません。戦争で徴用、徴兵された人々に対する補償は、同条約で解決したのに慰安 婦は、話題にもなかったという重要な事実があります。

 一九八三年に吉田清治という日本人が「私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行」という本 を出し、「軍命令で済州島に行き、若い未婚の女性等を連行した」と名乗り出た。八九年にこの本が韓国語に訳され、現地新聞が取材したが、住民は「そんな事 実はなかった。吉田氏は嘘をついている」と証言。九一年にNHKも現地取材したが「軍に連行された」人も一人もいなかった。(この取材に池田信夫氏も当た り同様の証言をしている)
 九一年八月十一日付けの朝日新聞が金学順氏を取り上げ、「「女子挺身隊」の名で、戦場で連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた。」と報じ た。しかし、金氏は韓国向けの会見では、「貧しさのため母親に40円でキーセンに売られた。自分を買った義父に連れられて日本軍慰安所に行った」と証言し ています。彼女は日本政府相手に訴訟を起こしていますが、訴状にも「親に売られた」と書いています。この記事を書いた植村隆記者の妻は、韓国人で、その親 は日本政府相手に裁判を起こしている遺族会の幹部でした。

 九二年一月に朝日が報道した「軍の関与」とは、なんと「慰安婦募集業者がトラブルをおこさないように取り締まること」でした。

 日本政府は、一年近く調べたが、慰安婦を権力によって強制連行したという文書は出てこなかった。

 韓国ソウル大安乗直教授は、名乗り出ていた40人の「慰安婦」の聞きとり調査を行い、「権力による連行は証明されていない」といっている。」
 つまり、(この問題は)吉田清治という商業的「ザンゲ屋」の、慰安婦狩りの作り話が発端で、それを真に受けた朝日新聞が、1982年の紙面に「告 白」と題して彼を初登場させ、また、「慰安婦問題がホットな話題となった91年半ば頃から、1年間に四回も吉田を紙面に登場させ」たこと。さらに、応募投 書を単行本化した『女たちの太平洋戦争』(朝日新聞社刊)には、吉田関連記事をはめ込んだことで一般に知られるようになったものだということ。(『慰安婦 と戦場の性』P240)
 その後、秦氏の調査で吉田証言が全くの作り話と判った後も、朝日は、それまでの報道の真偽を確認することも訂正することもせず、「それどころか、 別の場所では「〈強制〉を〈強制連行〉に限定する必要はない。強制性が問われるのは、いかに元慰安婦の〈人心の自由〉が侵害され、その尊厳が踏みにじられ たか、と言う観点からだ」と論点をそらし、社説では、「歴史から目をそらすまい」との一般論で逃げを打っている」と、秦氏は朝日を批判しています。
 最近、朝日新聞は、韓国の李明博大統領が慰安婦問題に関して日本側に「謝罪」を求めたことが日本側の反発を呼んでいることに対して、8月31日の社説で次のように批判しています。
 「見過ごせないのは、松原仁・国家公安委員長や安倍晋三元首相ら一部の政治家から、1993年の河野官房長官談話の見直しを求める声が出ていることである。
 河野談話は、様々な資料や証言をもとに、慰安所の設置や慰安婦の管理などで幅広く軍の関与を認め、日本政府として「おわびと反省」を表明した。
 多くの女性が心身の自由を侵害され、名誉と尊厳を踏みにじられたことは否定しようのない事実なのである。
 松原氏らは、強制連行を示す資料が確認されないことを見直しの理由に挙げる。枝を見て幹を見ない態度と言うほかない。」
 ここでは、枝=「強制連行などを示す」狭義の意味での強制はなかったが、幹=「本人の意志に反して集められた」という広義の意味での強制はあっ た。だから、慰安所の設置や慰安婦の管理などで幅広く軍の関与を認め「お詫びと反省」を表明した河野談話を見直すのはおかしい、と言っているのです。(産 経新聞の阿比留氏は、この問題の「幹」は「強制連行の事実関係」であるはずなのに、朝日は「本人の意志に反して集められた」を「幹」、「強制連行」を 「枝」にして論点をすり替えていると批判しています。)
 この部分を読んで私は、かってベンダサンが『日本教について』で指摘した日本人の「雲の下」論を思い出しました。これは、「雲の上に現れた峰に過 ぎない」ものの信憑性が「かりに」「自白の任意性または信憑性の欠如から否定されても」、「雲の下が立証されている限り・・・立証方法として十分であ る」、従って、(表に現れた細かい)点の矛盾点を故意にクローズアップして、それによって「事実」がなかったかのような錯覚を起こさせる方がむしろ正しく ない、という論法です。
 しかし、これは、「事実か否かが立証されていない(雲の下の)『語られた事実』をまず『事実』と断定しておいて、その上に組み立てた議論である。 しかし、人間が知りうるのは『語られた事実』だけであって、その「語られた(複数の相矛盾する)事実」から、ぎりぎり決着の『推論』で「事実」に到達しよ うというのに、その前に(雲の下の)「語られた事実」を『事実』と断言してしまえば、もう何の証拠も要らなくなる」。
 ベンダサンは、これを本多勝一氏との「百人斬り競争」論争の中で指摘したのですが、これは、先ほどの朝日新聞の慰安婦問題における「枝・幹」論そ のものです。つまり、枝である慰安婦の強制連行が、それを自白した吉田証言が全くの「作り話」であったことで明らかになっても、それを無視して、幹である 「本人の意志に反して集められた」ことは事実だから、枝である強制連行がなかったとは言えない、と言っているのです。
 しかし、ここで証明さるべきは、慰安婦募集における軍や官憲による強制性の有無であって、戦中の慰安婦制度によって「多くの女性が心身の自由を侵 害され、名誉と尊厳を踏みにじられたこと」の事実関係ではありません。なのに、ここでは、この異なった二つの事象が、枝と幹の関係で一体化されているので す。そして、後者を”自明=証明済み”とすることによって、前者の強制性が証明されたとしているのです。
 これは、一見正しい議論のように見えますが、実は、後者が”自明=証明済み”だと言っても、その内実は様々であって、それは慰安婦の雇い主の問題 であったり、親の意志あるいは本人の覚悟の問題であったり、あるいは貧困、公娼制、戦争を含めたその時代の制約であったりするわけで、その原因を特定する ことは困難です。まして、その責任者を特定し処罰の対象とすることはほとんど不可能です。
 つまり、「幹」と称する部分の事実関係や責任関係が証明されているわけでもないのです。従って、これをもって、「枝」の部分の事実関係や責任関係 が、すでに「幹」によって証明されたということはできません。また、この「強制性の証明」に「狭義」「広義」の概念を導入することも問題を分かりにくくす るだけです。強制性の有無は、あくまで軍あるいは官憲による慰安婦募集の強制性を示す証拠によるべきです。
 もともと、こうした分類法は、朝日新聞が女子挺身隊を慰安婦として報道したことに同調して、「強制連行説」を唱えた吉見義明氏が、90年代半ば以 降、「慰安所生活に自由がなかったとする「広義の強制論者」に転向した」際に主張したものだと言います。安倍首相は、この敵の論理を、慰安婦募集における 軍や官権の強制がなかったことの論拠にしようとしたのですが、逆に、これに足を掬われた格好になった。
 では、なぜこうした論法を、朝日新聞が採ったかというと、それは第一に、慰安婦に対する贖罪意識を先行させることで、事実関係の究明を曖昧にでき る。第二に、事実関係の究明ができず責任関係を特定することができなくても、「ゴメンナサイ」と謝る、それによって謝った人の責任は解除され、逆に、謝ら ない人はその責任を追求され断罪される。こうした日本的相互懺悔・相互告解方式に無意識に従ったからです。
 しかし、こうした論理は、日本以外では通用しない。実は日本政府も、この論理に乗って、慰安婦の募集に軍や官憲の強制の事実を証明する資料が見つ からなかったのに、相手の気持ちをおもんぱかって「ゴメンナサイ」と謝った。それで和解が成立することを期待した。しかし、逆にそうして謝ったことが、慰 安婦募集における軍や官憲の強制の証拠とされるようになった。
 では、こうした状態から脱却するにはどうしたらいいか。これは今までの論述から明らかな通り、この問題についての事実関係の究明を徹底すること。 すでに「ゴメンナサイ」といったために「事実」とされたもので、実は証拠がなく事実と認定できないものは訂正する、そして、そうした議論を世界に向けて発 信する。韓国政府による悪質なデマ宣伝には逐一断固として反撃することです。
 で、その事実関係の究明としては、私は、秦郁彦氏を初めとする研究者やジャーナリストの努力によって、すでにその作業は完了していると考えます。 ここでは、慰安婦の実態を理解するために、秦郁彦氏が「〈慰安婦伝説〉を再考する――その数量的考察」でまとめた、いわゆる「従軍慰安婦」(正確には慰安 婦は軍属ではなかったから「従軍・・・」とはいわない)についての8項目の結論部分を紹介しておきます。(『現代史の対決』秦郁彦p106)
1,慰安所には軍専用と軍民共用の二種があった。
2,軍専用慰安所にいた慰安婦の総数は一万数千人。
3,慰安婦の民族別では内地人(日本人)が最多。
4,戦地慰安所の生活条件は平時の遊郭と同レベルだった。
5,思案婦の95%以上が生還した。
6,軍を含む官憲の組織的な〈強制連行〉はなかった。
7,主要各国の軍隊における性事情は第二次大戦時の日本軍と相似している。
8,慰安婦たちへの生活援護は、他の戦争犠牲者より手厚い。
 近年は、池田信夫氏や大阪市の橋本市長のように、徹底した論争スタイルを持つ論者が現れています。その結果、朝日新聞に典型的に見られるような「ゴメンナサイ」方式=相互懺悔・相互告解方式による情緒的な問題解決法は、論理的にも現実政治上でも破綻しつつあります。
 また、池田氏や橋本市らの論争スタイルは、日韓併合の論議についても適用すべきです。先日、金美齢氏の講演を聴きました。金氏は、日本の植民地政 策が決して悪逆非道なものではなかったこと。光の部分と影の部分があるが、精算すれば光がプラスだったこと。このことは、先の東日本日本大震災における台 湾からの義援金が、他の世界全体の義援金の総計より多かったことで証明された、と言っていました。
 私たちは、韓国が事実に基づかない「反日教育」や「反日宣伝」を繰り返していることについて、あくまで事実論を基礎として、徹底した論争を挑んでいく必要があります。それが、日本のためにも韓国のためにもなると確信します。
最終校正 H24.9.6 17:00
2012年9月 3日 (月) 時事問題 | 固定リンク
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美しい国への旅立ち    同一野菜の日本産と中国産両方を扱っている食品会社を疑え!


食品の産地偽装、妖しい商品は選別するべきである。
記事にもある手口は氷山の一角であろう。


美しい国への旅立ち
同一野菜の日本産と中国産両方を扱っている食品会社を疑え!
作成日時 : 2013/04/23 20:10
http://nihonnococoro.at.webry.info/201304/article_23.html

先日、近所のスーパーで漬け物を買った。
もちろん、日本産の野菜(小松菜)で製造した漬け物である。(中国産の小松菜の漬け物はなぜかない)

私が、買い物カゴにその漬け物を入れた時、買い物カゴを持たない、中年男性二人が、中国産のキュウリの粕漬けを商品を相次いで戻した。
たぶん、買い物カゴに入れてから、奥さんから中国産だと言われ返品したのであろう。

と同時に、私は中国野菜不買の静かな動きが始まっていることに気づいた。

さて、フキの産地偽装表示の事件があった。

―――――――――――――――――――――

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130421/crm13042116560006-n1.htm

岩手産ではなく中国産だった フキの産地偽装容疑で社長逮捕 

2013.4.21 16:56
 岩手県警生活環境課は21日、加工食品に使った中国産のフキを岩手県産と偽って販売したとして、不正競争防止法違反容疑で、岩手県二戸市浄法寺町の食品加工会社社長、三浦定夫容疑者(71)を逮捕した。三浦容疑者が経営する三浦食品工業も書類送検する方針。

 逮捕容疑は昨年12月15日ごろ、岩手と青森両県の食品卸2社に中国産フキを使った「ふき水煮」を岩手産と表示し、計約59キロを約4万円で販売した疑い。

 岩手県から情報提供を受け捜査していた。県警によると、中国産のフキは国産と違い、皮がむかれて出荷されており、三浦容疑者は「むく手間を省いて人件費 を抑えたかった」と容疑を認めている。商品は宮城、山形、東京など少なくとも6都県に販売されており、県警は調べを進める。

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ブランド米の虚偽納入もあった。自衛隊員だと文句を言わないと思ったのに違いない。

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陸自駐屯地にブランド米と偽って納入、4人逮捕

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130422-OYT1T00760.htm?from=main2


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フキまで産地偽装する時代なのであるから、今年は、山菜採りに行かざるを得ない。
目的は、日本産野菜を確保するためである。

さて、近所のスーパーの漬け物コーナーを観察していて気づいたことがある。

・今のところ、日本産野菜だけの漬け物として販売されているのは小松菜くらいであること
・キュウリ、ナスビの漬け物の大半は中国産であること
・ダイコンは、日本産と中国産が両方であること
・混合野菜の漬け物には、中国野菜が使われているケースがほとんであること

である。

ただ、困ったことが一つあった。
それは、同一の食品会社にて、日本産のダイコンの漬け物と中国産のダイコンの漬け物を販売しているケースがあることだ。

岩手県のフキを販売した食品製造会社のニュースを知り、同一の野菜で日本産と中国産両方を販売している会社については、私は、買うつもりはない。

疑っているからだ。

立ち入り検査を常時やってほしいくらいである。

過去の毒入り餃子事件のことを振り返ると、被害補償、謝罪の点でいい加減な対応どころか、日本国民を恫喝した中国のことを私は、決して忘れない。

そういう経緯なのであるから、中国産、日本産、両方を原材料にしている食品加工会社については立ち入り検査漬けにすべきなのだ。

そして、このブログを読まれた方には、近所のスーパーにて、同一野菜の日本産と中国産を扱っている食品会社の有無をご確認いただき、私と同様の問題意識をお持ちなら農水省(大臣、副大臣、政務官、都道府県農政事務所)に情報提供いただきたいところである。


ネガティブ・リスト方式の外国軍隊、ポジティブ・リスト方式の自衛隊


降りかかる火の粉は払わねばならない。
法律が自然権を禁止する。

hinekuremono883雑記帳
http://hinekuremono883.blog11.fc2.com/blog-entry-4558.html
ネガティブ・リスト方式の外国軍隊、ポジティブ・リスト方式の自衛隊

北朝鮮のミサイル発射が浮き彫りにした日本の問題 危機に対応できない「自衛隊法」の限界が明らかに
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35002

『2009年3月27日、北朝鮮が「光明星2号」の打ち上げを予告した際、当時の浜田靖一防衛大臣が初めて「破壊措置命令」を発令した。今回は2度目のせいか、国民もマスメディアも当たり前のようで、誰一人この法律について疑問を呈しない。』
『ここで言う「破壊措置命令」とは、自衛隊法第八十二条の三に規定する「弾道ミサイル等に対する破壊措置」を根拠とする。
この法律は、簡単に言えば、弾道ミサイル等が日本の領域に飛来や落下して、人命、財産への被害防止のため必要と認めるとき、防衛大臣がこの弾道ミサイル等を破壊する命令を発令できるというものである。
諸外国にはこういった法律はない。軍隊は国家、国民を守るために存在しているのであり、仮に落下物を迎撃する以外に防護手段がなければ、それを用いて国民を守るのは軍隊の当然の任務であるからだ。
今回の自衛隊の行動は、別に外国の基地を攻撃しようとするものではない。また正常に飛行している衛星を打ち落とすわけでもない。自国の領域に誤って落ちてくる物体に対して、国民の被害を最小限に食い止めるために打ち落とす行動である。いわば自然権の行使にすぎない。
自然権行使を法律で縛ること自体、奇怪なことである。頭上に降りかかる火の粉を振り払うのに、親の許可をもらわなければいけない子供のようなものである。
その度ごとに、防衛大臣による命令がなければ自然権行使さえできないという法体系は国際常識から大きくかけ離れている。』
『百歩譲って、法律での規定を是としよう。だが、命令によって迎撃するということは、論理的には命令が出されないこともあり得るということである。
「人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるとき」に命令を出さなければ、国民を見殺しにすることになる。』
『命令を出すいとまのない奇襲や、何らかのミスが重なって命令が出されないという事態は十分に考えられる。その時はPAC-3部隊やイージス艦が仮に日本に落ちてくる弾道ミサイルを探知しても、自衛隊はこれを撃ち落とすことはできない。

この法律に限らないが、現在の法体系は政治がタイミング良く、適切な命令を下すという政治の無謬性を前提にしている。
弾道弾ミサイル等が飛来して「人命又は財産に対する被害を防止するため必要があると認めるときは」政治がタイムリーに命令を出すという前提である。そうあってもらいたい。
だが、政治の無謬性を前提に自衛隊の行動を規定するのは無謀であろう。政治はそこまで有能ではないし、常に予期せぬ「想定外」が起きるのが戦の常だからだ。
ただ同法の第三項には「事態が急変し同項の内閣総理大臣の承認を得るいとまがない」場合、防衛大臣が作成し、内閣総理大臣の承認を受けた緊急対処要領に従って命令ができるとも定められている。
だが、緊急対処要領は常に作成しているわけではない。さらに「措置をとるべき期間」も限定することになっている。
仮に緊急対処要領を作成したとしても、「とるべき期間」に該当しなければ、部隊指揮官は身動きが取れない。こういう事態が生起してしまったら、また「想定外だった」というのだろうか。
今回のような弾道ミサイル騒動のない平穏な時でも、空自のPAC-3部隊は不測の事態に備えて、15分程度で発射できる即応態勢を1年中継続している。
だが、「頭上に火の粉が降りかかったら、これを払いのけよ」といった命令が平時から出されていない限り、即応態勢はとっていても現行法制下では何ら対応できないのが実情である。』

『一般的に軍隊の権限規定は、「原則無制限」であり、やってはならないことだけ規定する、ネガティブ・リスト方式と呼ばれる。有事にあって予測しがたいすべての法令を整備することは不可能との認識があるからだ。
また軍隊の活動を規制するのは国際法であり、国際法の主体であり客体であるのは、主権国家である。また国際法の基本的法理には主権絶対の原則がある。
従って主権国家の行動は、「原則無制限」となり、それゆえ軍隊に対する法規制は、「原則無制限」であるという考え方もある。』
『自衛隊法の場合、策定時はネガティブ・リスト方式の共通認識であったという。
だが、戦前のトラウマもあり、国会の論議を通じ、文民統制の見地から、国民の自由及び財産に関係すると否とにかかわらず、およそ自衛隊の活動については、すべて法律の根拠を要するとされてきた。
作戦行動にあっても警察と同様、ポジティブ・リスト方式を採るのであれば、もっと詳細で精緻な規定が必要だ。
だが近年の作戦様相の複雑化、任務の多様化に法体系は追随できていない。』
『事態のエスカレーションに応じ、自衛隊に権限を逐次与えて行くことによって、紛争の拡大を防止するという「拡大抑止」の考えは現行法制では取れないのである。』
『もしポジティブ・リスト方式であれば、あらゆる事態について、微細にわたり精緻に法律で規定していなければ、ほとんど対応は困難となろう。』

『我が国周辺は既に平時でも有事でもないグレーゾーン状態にある。明日何が起こっても不思議ではない状況だ。急がねばならない。国の守りに「想定外」があってはならないのだ。』


私的憂国の書   辻元清美の超党派議連「立憲フォーラム」と、その欺瞞


私的憂国の書
辻元清美の超党派議連「立憲フォーラム」と、その欺瞞
2013/04/19 Fri 07:36
http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-1202.html

 辻本清美が高らかに、「立憲フォーラム」なる超党派の議連設立を宣言した。曰く...

超党派の議員連盟「立憲フォーラム」を立ち上げます (辻元清美ブログ)
いまは立憲主義の危機です。
改憲手続きを定めた96条を変えようとする国会の動きが激しくなっていますが、これは、ルールにしばられる人が自分の都合でルールを変えることに等しい。野球でいえば、「三振」では困るから「四振」にしよう、とバッターが言い出すようなもの。

憲法は、「この範囲で政治をやりなさい」という、権力に対する国民からの命令です。自民党の新憲法草案などは、それを国民への命令に変えようという代物になっています。

さらに、もっとも憲法に縛られるべき行政府の長たる総理大臣自ら、「憲法のここが問題だから変えよう」などと発言することは論外です。(以上、抜粋)

  辻元は、「改憲・護憲などの立場に関わらず、立憲主義を否定する動きに与することはできないから、同じ考えをもつ超党派の国会議員に参加を呼び掛けてい く」と綴っている。なんのことはない。立場に関わらないどころか、立ち位置は護憲そのものだ。まぁ天下の辻元清美が言いだしっぺである限り、改憲論者から の闊達な議論などもともと期待しておらず、護憲派による憲法改正阻止のためのチーム作りとみて間違いないだろう。一緒に立ちあげメンバーに名を連ねるの が、近藤昭一である。リベラルの会の代表世話人である近藤は、1998年、北朝鮮がミサイル発射実験を行った際、日本政府が抗議したことに関し、金正日に 謝罪文を送ったほどの反日政治家。まさに、朝鮮半島の利益を追求するために政治家になったような人物だ。同じ穴の狢とは良く言ったものだ。

  辻元らが主唱しているのは、今の改憲機運の盛り上がりは、立憲政治の危機であるということだ。では、立憲政治とはなんなのか。ひと言で言ってしまえば、政 治権力を法によって規制しようという原則のことだ。これが左巻きの法律家、弁護士などの通訳を介すと、「個人の権利や自由を保障し、国家権力による個人の 領域への介入を防ぐことだ」ということになる。この立憲政治議論は、自民党が憲法改正草案を出したあたりから、ところどころで取り上げられてきた。特に、 9条信者の活動が活発だ。凡例はこことかここ。そういった批判の集積が、「立憲フォーラム」の呼び掛けに表れている。
既 に明らかにされた自民党の憲法改正案は天皇を元首とし、自衛隊を国防軍にかえ、基本的人権を制限できるように「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」にすり かえるなど、戦後日本社会の規範・枠組みを根本から変える内容となっています。憲法は政府を縛るのではなく、国民を拘束するものだという考え方は主権在民 という立憲主義の原則を根本的に否定するものです。
 
 この主張は明らかに歪曲に基く。私も自民党の改憲草案 を読んでみたが、自民党の改憲草案で基本的人権を制約するような文章は見当たらない。あたかも「憲法が政府を縛ることから、国民を拘束するものにすり変わ る」という印象操作には、辻元らの悪意すら感じられる。自衛隊を国防軍に変えることと同列に、天皇陛下を国家元首に戴くことをも否定している。

  辻元は、“憲法は、「この範囲で政治をやりなさい」という、権力に対する国民からの命令です。”と説く。だが、憲法が国民の政治に対する命令であり、主権 が国民にあるのなら、その“憲法という命令”を出し直すことも、同時に可能なはずだ。憲法96条に触るな、憲法改正阻止と叫び続け、その命令を出し直す機 会すら国民から奪うようなことがあれば、彼等が説く“主権在民”に、彼等自身が反しているということになる。この矛盾を、辻元らは一体どう考えているのだ ろうか。

 下に、改憲フォーラムの、無駄に長い呼び掛け文を載せておく。が、読んだら頭がおかしくなるかもしれないので、閲覧は自己責任でお願いしたい。
「立憲フォーラム」設立総会の案内

日時:4月25日(木)午後5時~
場所:衆議院第二議員会館1階 多目的会議室
記念講演:武村正義元官房長官(元さきがけ代表)
藤井裕久元財務大臣(民主党顧問)

立憲フォーラム設立趣旨書

い ま、時代は大きな転換期に入っており、新しい世界の協調・共生関係の構築が求められています。そうしたなかで、日本はどういう立ち位置をとるのかが問われ ています。先の大戦での日本国民の死者は軍人から市民まで多大な数にのぼり、世界もおびただしい犠牲者を出しました。戦後の日本は、その反省に立ち大日本 帝国憲法を改正し、その体制を民主主義へと移行させました。

私たちは「人権の保障を宣言し、権力分立を原理とする統治機構を定めた憲法」を基礎にすえた立憲主義の立場をいま一度確認すべきだと考えます。

憲 法とはそもそもどのようなものであるのか、戦後、現憲法がどのような役割を果たしてきたのか、はたして現憲法に追加されるべきことはあるのか、現在語られ ている96条を抜き出して憲法を「改正」するということの意味するものは何か、といったことを闊達に論議し、立法府の構成員たる議員としての責任を果たし たいと、ここに立憲フォーラムを立ち上げるものです。

既に明らかにされた自民党の憲法改正案は天皇を元首とし、自衛隊を国防軍にかえ、基 本的人権を制限できるように「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」にすりかえるなど、戦後日本社会の規範・枠組みを根本から変える内容となっています。憲 法は政府を縛るのではなく、国民を拘束するものだという考え方は主権在民という立憲主義の原則を根本的に否定するものです。

日本維新の会は綱領で「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改定」との立場を明らかにしています。

これらの動きは、憲法改正の是非の立場をこえて、立憲主義そのものの危機であると考えます。

私たちはこうしたさまざまな動向に平和・人権・環境を重視する立場から国会や言論の場で検証と同時に提言を行うために、立憲フォーラムに、是非多くの議員の皆さんの参加をお願いいたします。

2013年4月18日
立憲フォーラム呼びかけ人
阿部知子、江崎孝、大河原雅子、近藤昭一、篠原孝、武内則男、
辻元清美、那谷屋正義、松野信夫、水岡俊一、吉川元、吉田忠智

いすけ屋の戯言 黄文雄の「日中戦争真実の歴史」

いすけ屋さんには素晴らしい記事の紹介を感謝します。
言われてみれば当然ですが、歴史問題の解決は史実の共有が欠かせません。
是まで各人が各々に行ってきた事を良い記事で共有する事が誤りを質すのに
有力な橋頭堡を築き上げてくれます。


いすけ屋の戯言

黄文雄の「日中戦争真実の歴史」
2013/04/07 19:32
http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/3043915/
(いすけ屋)
 今日は天気予報では強烈な春一番の風が吹くとされていたが、案外低気圧は早く去ってしまい、比較的穏やかな一日だった。こういった気候と政治はリンクしないはずだが、このところ国会でも大した論議はなされていない様に思う。竹島、尖閣問題も小康状態だし、北の「雄叫び」も最近では「お笑い」に近い。
 
 先日の米韓合同軍事演習「フォールイーグル」(野戦機動演習)にステルス戦闘機F22が参加し、さらにはステルス戦略爆撃機B2が3月27日夜、米国ミズーリ州ホワイトマン空軍基地から約15時間をかけて韓国中西部、全羅北道郡山の韓国空軍射撃場にやってきて、その威力をみせつけるように一度も着陸せず、模擬爆弾投下訓練後はそのまま米国に帰還したという。
 
 専門家によると、「ステルス戦闘機F22はおそらく平壌上空に侵入しただろう。通常なら国際社会に『米帝が領空侵犯の暴挙』などと騒ぐはずだが、これまで一切反応してこなかったのは「捕捉不能なステルス戦闘機に北朝鮮空軍機は緊急発進すらできなかったから」だと言う。これでは金正恩も震え上がったのではないか。
 
 さて、我々日本人は戦後教育で、「日本は中国を侵略した」と洗脳され、いまだにそれを信じ込んでいる人が多い。正しい歴史を系統だって教えられていないからだ。私をして近現代史を再勉強させる気にさせたのは、井沢元彦著「なぜ中国人、韓国人に媚びるのか」と言う本であったが、自分の平和ボケ度を恥ずかしく思わせたのは、黄文雄著「日中戦争真実の歴史」であった。何はともかかく、その本のさわりの部分、「はじめに」を紹介する。
 
 
はじめに
 
◎日中戦争を語るのに必要な姿勢とは 
 
 
 あるテレビ討論番組に出演したとき、一人の政治家先生から、「それではあなたは日本が中国侵略をした史実を認めないのか」と質されたため、私は「まったくそう思っていない」「日中戦争とは中国内戦への日本の人道的、道義的介人だった」と即座に返した。これは、私が数十年、アジアの近現代史に関心を持った末に得た、総括的な日中戦争史観である。
 
 たしかに多くの日本人は、中国を 侵略した過去があると信じて疑わない。反省や謝罪を繰り返してきたのも、それなりに理由があるわけだ。「侵略史観」はすでに日本で定着し、「常識」になっ ているのだろう。日米収争については「帝国主義間の戦争」あるいは「日本の正当防衛」と見ても、日中戦争だけはやはり「侵略戦争」だとする者は民族派のな かでも多い。
 
 満州事変後、松岡洋右外相は国際連盟での演説で、「日本はむしろ被害者だ」と論じたが、当時の常識は、今日の非常識になっている。日中戦争に閏して、現在そうした提え方をすることは皆無に近い。
 
 私は日中戦争を新興の日本帝国VS復活を目指す中華帝国の戦争と考えているが、こうした見方はあまりないようだ。
 
 私はよく台湾や中国の問題での国際シンポジウムに出席するが、欧米人の間で「日本は中国を侵略した」と考えている者は、予想外に少ない。「日本の常識は世界の非常識」とは、こういった面でもいえそうだ。 つまり日本人の敗戦ショックは、今でも歴史観に影を落としているということだろう。
 
 日本政府はよく、「過去の一時期」において「中国に迷惑をかけた」などとして、謝罪と反省を繰り返してきた。
 
 この一時期とはいつかといえば、中国のいうところの「八年抗戦」、つまり盧溝橋事件を発端とする支那事変のこと、あるいは同じく「十五年戦争」というところの満州事変以降のことだろうが、今ひとつ明確ではない。
 
 ちなみに本書では、盧溝橋事件以後の八年にわたる日中の衝突を当時の呼び方どおり「支那事変」と記し、満州事変以後の十五年のようにより広義な意味での日中衝突を「日中戦争」と呼んで、区別している。
 
 中国で「日本の中国侵略」といえば、日清戦争から大東亜戦争の終結までを指す とするのが常識だが、最近では明治維新直後の琉球処分に「侵略」の起点を求める説も有力になりつつある。さらには驚くことに、豊臣秀占の「征明」(朝鮮出 兵)、または倭寇の時代にまでそれを遡らせる主張もよく闘かれるようになった。要するに日本は伝統的に「侵略国家」であるというわけで、こうした「侵略史 観」「日本悪玉史観」がすっかり定着しているわけだ。
 
 そうした中国の幼稚な歴史の提え方は別としても、史実を考える上では、「過去 の一時期」だけに限定してそれを論じたところで、必ずしも真実を見出せるとは限らない。なぜなら歴史とはさまざまな出来事の積み重ねだからである。仏教が いう囚縁、囚果、つまり超歴史的な視点に立たなくても、少なくとも日中の歴史問題を論じるなら、まずは近代という歴史背景から検証しなければならないだろ う。
 
 よく指摘されるように、戦後の日本人は、戦後の価値観で歴史を語る者が多 い。、しかしいかなる時代でも、そのときそのときの主流価値というものがあり、主流の精神というものがある。その時代ごとの「限界」というものもあるだろ う。たとえば古代の中国では、王道、覇道は語りつくされたが、「民道」(民主主義)については欠落している。なぜなら人権や自由といった概念は、あくまで も近代になってから生まれた主流価値だからだ。だからそうしたものをもって近代以前の歴史を論じても、それは偏見でしかないのである。
 
 十九世紀に支配的だった人類の理想といえば、植民地主義である。それは二十世紀における社会主義のようなものだろう。しかし二十一世紀の今日、今なお社会主義を理想とする者は主流ではなくなっているのだ。
 
 十九世紀から二十世紀にかけての列強の時代には、もちろんその時代の精神があり、その時代の限界があった。当時の日本の歴史問題についても、まずは戦後の主流史観などに同調せず、その時代の精神と限界を考慮しながら、史実を求めていかなければならない。
 
 私はそのような姿勢から、日中戦争というものを語ろうと思う。
 
◎日本の東亜大陸進出前の中国の惨状  
 
 大航海時代以降の地球規模の変化といえば近代化である。つまり優勢となった西洋的価値体系の拡散にともなった世界の植民地化である。それが当時の不可抗力ともいうべき一つの時代の潮流だった。
 
 それは、ユーラシア大陸の東端に位置する東亜世界に限って見れば、十九世紀に入って西風東漸だけでなく、ロシアの東進と南下、アメリカの西進、西来というかたちとなって現れた。
 
 このような時代変化のなかで国際的力学関係も人きく変わり、日本も中国も鎖国を維持することは不可能になった。そうしたなか、東亜世界は大漬帝国を中心に、旧態依然のままだったというより、没落の一途をたどり、それまでの大朝朝貢秩序という東亜世界秩序は崩壊へと向かったのだった。
 
 同大陸では、漬帝国とならぶもう一つの世界大国オスマン・トルコも崩壊へと向かった。それはなぜかといえば、これらの老大国が、列強の時代のなかで、列強の仲問入りを果たすべく近代国民国家造りに邁進したものの、それに失敗したからである。
 
 ところが非西洋世界で、日本だけはそれに成功した。その理由はもちろん単一ではないが、重要なことは当時の東亜世界のなかで、日本だけが特別だったからだ。逆にいえば日本以外の地域は、中国をはじめどこでも悲惨な社会状況にあったからである。
 
 台湾、朝鮮、満州も基本的には同様だが、とくに中国の場合は少なくとも次のような五つの惨状が挙げられる。
 
 1 水旱が頻発し、災民、流民が溢れ、餓死者が百万人、千万人単位で発生することも珍しくなかった。
 2 衛生環境が劣悪で、疫病が流行し、内戦中も病死者が戦死者を上回った。
 3 匪賊が跋扈し、この武装勢力は正規車の十倍もあった。
 4 内乱、内戦がえんえんと続き、太平天国の乱や回乱のように人口の五分の一や十分の一が消滅するほどの大乱もあった。
 5 貪官汚吏による苛斂誅求によって民草は、毛沢東の言うところの「一窮二白」(一に貧窮、二に文化水準が低い)のどん底にあった。
 
 以上のように、つまり日本以外の地城では、とても近代化ができるような状況ではなかったのである。
 
◎日本の東亜新秩序建設の真義  
 
 十九世紀から中国は、自然環境と社会環境の連鎖的な崩壊が加速度的に拡大し、それにともない内戦、内乱という有限資源の争奪戦が頻発するといったカオス状態に陥っていた。こうした天下大乱の状況もまた、先に挙げた「五つの惨状」の背景になっていたのだ。
 
 このような社会秩序を維持し、国際社会における。川家として存在させるために は、列強が駐兵を行うしかなかった。義和団の反乱での中国国内の外国人やキリスト教徒への襲撃、虐殺事件を受け、一九〇〇年に北清事変が起こり、その結果 清国は、列強との間での条約で各国の駐兵権を承認した。その列強の中には、日本も含まれていた。
 
 そしてなによりこの日本が、中国=東亜世界の秩序の再建と維待に大きな役割を果たすのである。中国のカオス状態がようやく収拾へと向かったのは、日中戦争によって日本がこの国に進出し、大きく平和安定の勢力を扶植したことによる。
 
 中華世界、さらに東亜世界の秩序が崩壊したのは、しばしば日清、日露戦争で日本が進出しかからだとされるが、それはまったくの歴史捏造である。なぜなら日清戦争以前、秩序崩壊はすでに昂進していたからだ。それについては本書で詳述する。
 
 日本が「五つの惨状」を持つ東亜世界に対して行った貢献とは何かというと、それは「戦争」だった。
 
 開国維新で殖産興業、文明開化という近代化を果たし、富国強兵という列強の道をつき進んだ日本は、まず清国とぶつかり、日清戦争の結果、台湾が日本に割譲され、それまで「化外の地」(文明の及ばない土地)、「瘴癘の島」(風土病蔓延の島)とされていた台湾が近代化した。
 
 つづいて日露戦争の後、ほとんど国家の体をなさず、東亜の安定にとって障害となっていた朝鮮(韓国) が日本と合邦し、近代国民社会が形成された。次の満州事変では、満州国の建国によって「荒蕪の地」だったこの地が一大産業国家として生まれ変わった。もち ろん近代化にともない、これら地域では匪賊が消滅して治安が確立され、近代社会が打ち建てられて衛生環境は改善され、法治社会の下で苛斂誅求は禁じられ、 農業の発展で食糧不足が改善され、かくして「人の住める地」となし、人口が倍増したのである。
 
 そして支那事変(日中戦争)が起こると、日本の占領地では汪兆銘の雨京政権が樹立され、反内戦の近代的な平和建設が着手されたのだった。
 
 これが日本による近代化という名の東亜世界秩序の再建の真実である。
 
 真実というからには物的証拠がある。戦後は、日本が台湾、 朝鮮、満州を「植民地」とし、住民への搾取、略奪を行ったといわれているが、それが事実なら今日のこれらの地域と、アジア、アフリカなど欧米の旧植民地と を比較したらいい。後者は近代国家の支配を長年受けながらも、現地住民の性格や文化に大きな変化が見られず、独立後も近代化に苦労しているが、前者の場 合、たとえば台湾、韓国は近代国家として発展し、満州も中国産業の屋台骨を支える役割を果たしてきたのである。これこそがだれも隠蔽しようがない証拠である。
 
 しかしそれに対して中国では、戦後なぜ近代化が遅れたかといえば、それは日本 が新秩序建設の途上で敗戦し、ふたたびそこが内戦、内乱世界に逆戻りしたからである。 日本が日中戦争に敗れたため、中国の平和建設、近代化建設が後退し たという史実を直視するべきではないだろうか。
 
 大日本帝国は東亜世界のために戦い続けた「功労者」であるとともに、その過程で中国から攻撃を受け、ついには大東亜戦争で崩壊し去った「被害者」なのである。
2005年6月 黄 文雄
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