戦後の対韓協力と韓国の仕打ち 恩に仇する〝何が何でも日本隠し〟


韓国の日本隠しと言う主題が、現実味を伴って迫ってくる。
主題は、日本マスコミの報道しない自由と軌を一にしている。

憲政史の重大事件である蓮舫氏二重国籍事件に対する報道は極めて少ない。
だが、ネットで周知されては、ごまかしも限界だと考える。二重国籍事件は中国と日本とを
天秤にかけたところが、重大問題である、中国人が日本国宰相に成るというのも問題であるが、
現実に安倍晋三首相の次に宰相になる身分であるから重大な法令違反であると申し上げる。
して見ると、報道しないマスコミは外国人に日本国の政治の主導権を握って欲しいと考えているかの様相である。
日本政治の重大な危機と言っても過言ではない。



戦後の対韓協力と韓国の仕打ち 恩に仇する〝何が何でも日本隠し〟
『別冊正論』 総復習『日韓併合』 豊田有恒(作家)

http://ironna.jp/article/1970

一事が万事「日本人=悪」

 先年なくなった萩焼の名匠、十二世坂(さか)高麗左衛門(こうらいざえもん)さんから、うかがった話である。坂家は、萩藩毛利家の官窯である萩焼の宗家で、かつて豊臣秀吉の朝鮮出兵のとき、日本へ渡った陶工の子孫である。この出兵は、しばしば陶磁器戦争とも呼ばれる。
 薩摩の沈(シム)寿官(スグアン)、伊万里の李(イ)参平(チャムピョン)など、攫(さら)われてきた陶工が少なくない。坂氏も、こうした陶工の子孫にあたり、代々にわたって、高麗左衛門を襲名している。高麗という名乗りからも判るように、朝鮮半島の出自を隠そうとしなかったが、そのことにより、名声や地位が損なわれることはなかった。日本が、外来文化に寛容な社会だからである。

 ある時、KBS(韓国国営放送)が、取材に坂家を訪れた。記者は、のっけから、こう切り出した。
 「日本では、ずいぶん、ご苦労なさったのでしょうね?」
 坂氏は、こう答えられたという。
 「冗談ではない。わたしは、日本人ですよ」

 KBSの記者は、朝鮮の役で連行された陶工たちが、日本人に虐待されたと、思い込んでいるのである。手仕事を賤しむ朝鮮と異なり、日本では手に職を持つ人は尊ばれる。坂家は、代々、藩侯から士分(しぶん)として苗字帯刀を許され、テクノクラートとして優遇されてきたのである。記者が、十二代を経た坂家の当主を、いまだに韓国人であるかのように錯覚し、誤解、偏見、思い込みに捕らわれているため、インタビューは、いっこうに噛みあわなかったという。
 秀吉の役は、たしかに日韓間の悲劇のひとつだが、文化というものは、一方的に伝播するわけではない。このころ、日本から、唐辛子が、朝鮮半島に伝えられる。唐辛子は、朝鮮では、初め倭(ウェ)芥子(キョジャ)と呼ばれた。文字通り、日本の芥子である。
 韓国人は、しばしば、日本文化は、すべて韓国起源だと妄言を弄する。妄想が昂じて、剣道も韓国起源だと言い出す始末である。その伝でいえば、世界遺産のキムチは、日本人が教えたと言えるかもしれない。こっちは、妄言ではなく、それなりに根拠のある話だからである。
 韓国人の日本観は、一事が万事、こうした日本人=悪という史観から、捏造されたものである。かつて、1970年代の初頭から、繰り返し訪韓したが、当時、日帝(イルジェ)時代(シデー)などと呼ぶ人は、ひとりもいなかった。まれに植民地(シンミンチ)時代(シデー)と呼ぶ人が、いないわけではなかったが、ふつうの韓国人は、日本(イルボン)統治(トンチ)時代(シデー)と呼んで、むしろ懐かしんでくれた。

 グレゴリー・ヘンダーソンをはじめ、多くの欧米の歴史家が、朝鮮の近代化は、日本統治によって、もたらされた事実を、例証している。日本は、朝鮮を併合したのであって、決して植民地として搾取したわけではない。日本教育を受けた世代は、こうした史実を知っていたから、一方的な日本非難には与(くみ)しなかった。

無知・無経験の李承晩が戦後始動

 日本統治が終焉した1945年8月15日は、韓国では光復節(クヮンボクチョル)として祝日になっているが、そのとき待ち受けていたのは、途方もない無秩序(anomie)状態でしかなかった。

 アメリカに亡命していた李(イー)承晩(スンマン)が、アメリカ人の夫人を伴い帰国し、初代大統領となったものの、日本統治時代を体験していないから、朝鮮の実情に無知であり、また実務の経験もなく、ひたすら日本を敵視し、反日教育を行ない、日本漁船を拿捕するなどしただけで、国内的にも失政を重ねるばかりだった。

朝鮮半島は、高句麗、新羅、百済の三国に分かれていた時代から、抗争が絶えなかった。地政学上から見れば、南北は、気質も風土も異なっている。南には大韓(テハン)民国(ミングク)が、北には朝鮮(チョソン)民主(ミンチュ)主義(チュウィ)人民(インミン)共和国(コンファグク)(誇大広告のようだ!)が成立したものの、双方ともにちぐはぐな国家だった。

 総延長500㌔を越える洛東江(ナクトンガン)、漢江(ハンガン)の流域は、韓国の穀倉地帯である。半面、農業地帯韓国には、僅かな石炭を除いて天然資源はほとんどなく、また工業施設にも乏しく、日本が整備した半島全体の発電設備のうち、僅か五%しか存在しなかった。逆に、北朝鮮には、日本が残した水豊(スプン)ダムをはじめとするインフラが多く、天然資源にも恵まれている。しかし、平地に乏しい北朝鮮には、農業生産力が、欠けていた。つまり、南北が補完しあっていかないと、存立が難しい国土なのである。

かつての高句麗の領土のうち、鴨緑江(アムノッカン)以南が、現在の北朝鮮領となり、旧新羅・百済の故地が、現在の韓国領となっている。

 さる人が数えたところ、古代の「三国史記」から、近世まで、朝鮮半島は、実に960回も、異民族の侵入を受けているという。ほぼ二年に一回の割である。こうした過酷な歴史から形造られた国民性は、歪んだものにならざるをえない。
 韓国人は、絶対に非を認めない。自説がまちがっていても、証拠をつきつけられないかぎり、撤回しない。また、どれほど世話や恩を受けても、感謝しないどころか、世話になった事実すら、隠蔽、否定しようとする。さらに、できるだけ、自分を大きく見せようとする。
 なぜ、こうなるかというと、相手が異民族の場合、非を認めれば殺されるかもしれない。また、下手に世話や恩義を認めれば、さらなる過酷な要求を突きつけられるかもしれない。また、自分を大きく見せないと、利用価値のないものと見なされ、殺されないまでも、社会的に葬られるかもしれないのだ。
 こうした傾向は、特に対日本という関係では、被害妄想のように顕著に現れる。これら韓国人の歴史、民族性を踏まえたうえで、特に戦後の日韓関係を眺めると、日本人の対韓認識が、どれほど誤っていたか、はっきりする。

発展には日本教育世代が活躍

 昭和40(1965)年、日韓基本条約が、締結される。今年は、その五十周年に当たるが、日本は、僅か18億㌦しかなかった外貨準備のなかから、有償無償あわせて五億㌦を、韓国に提供した。この資金が、韓国の高度成長の基礎を築いたのである。逆説めくが、韓国の発展は、すべて日本のおかげだということを、日本人も、常日頃から、言いたてないと、日韓関係は好転しない。

当時の朴(パク)正熙(チョンヒ)大統領は、国民の反日傾向のなかで、日本との修好を進めたわけだが、これは、韓国動乱(朝鮮戦争)の戦火さめやらぬ時代だったため、北朝鮮との間で、復興の遅れから、溝を開けられていることを、計算に入れたからである。

この日本からの資金が、京釜(キョンブ)高速(コーソク)道路(トーロ)をはじめ、韓国の高度成長の基礎となるインフラにまわされた。つまり、日本のおかげなのである。日本人は、こういう事実を、絶えず韓国に対して言いつづけないと、日韓関係の好転は望めない。

 以後、日本人は、熱心に韓国へ関わって行く。そこに、“元日本人”への共感と、一種の贖罪感が作用したから、あらゆる面で、心から韓国の復興、繁栄を願って、惜しまず協力したのである。先進国の仲間入りした韓国の現代の繁栄は、日本人の協力によってもたらされたものと、はっきり断言できる。しかも、日本人が、恩着せがましくしない点に、今日の問題の全ての淵源がある。
 現在、日韓のあいだには、多くの問題があるが、その多くは、日本人が、こうした事実を、いちいち韓国人に確認しなかったことから発生したのである。日本人は、恩着せがましくされることを嫌うし、相手にも恩着せがましくすることはない。だが、韓国人相手には、言外の言、理外の理は、通じない。
 寅さんの決め台詞だが、日本人は「それを言っちゃあ、おしめえよ」と、言うべきことも言わずに、相手が察するのを待つのが、ふつうである。確かに、日本人同士では美徳だが、韓国人相手では、これは逆効果しか生まない。
 韓国の建国に当たっては、日本で教育を受けた人々が、大きな役割を担った。朝鮮戦争における活躍によって、韓国では救国の英雄とされる白(ペク)善燁(ソニョプ)将軍は、日本での軍事教育を受けている。韓国で栽培される野菜、果物など、ほとんどの品種は、多くの日本人の善意に支えられ、東大に学んだ種苗学者の禹(ウ)長春(チャンチュン)博士が、日本からもたらしたものである。実際、禹博士は、常日頃日本人への感謝を口にしていたそうである。

しかし、こうした日本世代の日本に感謝する気持ちは、現代の韓国では受け継がれていない。林檎のフジという品種は、日本から導入されたものだが、富士と言う漢字を韓国音で読み換えて、プサという名で知られている。一般の韓国人は、プサという林檎が、日本からもたらされたものだという事実を知らない。
 条約の締結の以前から、日韓の協力の動きは、すでに始まっていた。先年、94歳の天寿を全うされた全仲(チョンジュン)潤(ニュン)氏は、韓国屈指のインスタントラーメン会社である三養(サミャン)食品(シクプム)の創立者として、よく知られる。全氏は、朝鮮戦争の惨禍から回復できず、食糧難に苦しんだ1960年代の初め、日本で口にしたインスタントラーメンの味を忘れられず、日本の明星食品の奥井清澄社長を頼った。奥井社長は、国民を食糧難から救いたいという、全氏の志を受け入れて、ラーメンの製法を、無償で提供し、技術指導に当たった。

当時、多くの日本人が、元日(・・)本人(・・)である朝鮮半島の人々に、同胞意識を抱いていたからである。朝鮮半島の人々も、“元日本人”として、本土の日本人に親近感を持っていたからでもある。実際、全会長は、生涯、奥井氏を含めた日本人への感謝を、口にしていたそうである。
 日韓条約によって、日本を知る人々、日本から戻った人々が、日韓の窓口、橋渡しの役割を務め、日本からの技術協力・移転が、さらに加速されていった。

早くからあった〝日本隠し〟

      
 しかし、日本の協力、努力、誠意が、いっこうに韓国人の感謝の対象とならない、いわゆる〝日本隠し〟の事実は、早くから顕在化した。
 1974(昭和49)年、ソウルの地下鉄の一号線が、日本の協力によって竣工した。ソウル駅から、東のターミナル清涼里(チョンニャンニ)駅へのルートである。東京で言えば、東京駅と新宿駅を結ぶような幹線に当たる。建設費用のほとんどが、日本からの借款で賄われたばかりか、日立製の最新型の車両60両が、提供された。
 しかし、その竣工式では、日本の協力があった事実は、すべて伏せられていた。立ち会った日本人関係者は、臍(ほぞ)を噛む思いだったという。
 こうした韓国人の〝日本隠し〟の性癖は、まだ、日本人のあいだでは、広く知られることもなく、日韓の技術提携、技術協力は、加速されていった。日韓の経済協力に関わった松本氏が作成された上記表を見ていただければ、すぐ判る経緯なのだが、昭和60年の時点で、今日の韓国が得意とする技術分野における日本からの技術移転は、広範な規模でほぼ完了しているのである。

これらの技術に関して、私が眼で見たケースだけ眺めても、韓国経済がテークオフするに当たって、日本からの協力が不可欠だったどころか、商売の域を越えた日本人の献身的な努力に支えられたことが判る。

自動車は日本が全面協力

 私事ながら、車とバイクが趣味なので、自然な成り行きで、この趣味は、韓国へも向かって行った。70年代、ソウルの太平路(テピョンノ)の世宗(セジョン)会館(フェグァン)の向かいに、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)のショールームがあり、なんどか通った。現代ポニーは、最初の量産車だった。貧しかった韓国では、外貨節約のため。せめてタクシー需要だけでも、国産でまかないたいという当時の朴大統領の命令で、いわば国策として進められたプロジェクトであり、日本の三菱自動車が、エンジンの提供などをふくめて、おおいに協力した。

 昭和53年「韓国の挑戦」を上梓した際、韓国の自動車産業の発展のポテンシャルに言及したが、当時、韓国が自動車生産国になると予見した日本人は、口はばったいようだが、私以外にはいなかった。
 当時、拙著を読まれた業界の関係者と思われる方から、丁重な手紙を頂戴した。その方は、専門家らしく、多くの論拠をあげて、韓国の自動車産業が発展する可能性は皆無だと断定しておられた。
 現代ポニーは、三菱からランサーのシャシー、サターン・エンジンなどを提供されたが、デザインは、イタリアのスーパーカーで有名なジョルジエット・ジウジアーロに委託した。私も、ハンドルを握らせてもらったことがある。タクシー需要を見こんだため、サスペンションは固く、乗り心地が良くなく、造りも雑だったが、流麗なファストバックのボディは、いかにも魅力的で、商品性があると思えた。

このポニーの成功が、韓国の自動車生産の基礎となる。エンジン、シャシーの技術は、日本に仰いだが、デザインには金を惜しまず、それが成功につながった。日本車と酷似したデザインを臆面もなく採用する今日と比べると、当時の韓国には、それなりのプライドがあった。
 自動車業界の日韓提携の動きは、この現代だけに留まらない。起亜((キア)自動車は、日本時代からの部品メーカーで、老舗の少ない韓国では例外的な存在だが、マツダと提携して早くからオート三輪の生産を行なっていて、マツダ・ファミリアをプリサの商品名で生産するようになり、自動車業界の一翼を担うことになった。ただ、乗用車としては、現代ポニーに及ばなかったため、ワンボックスワゴンに特化して、マツダ・ボンゴのライセンス生産に力を入れた。

 私も、日本のテレビ局のコメンテーターとして、なんども韓国での取材に参加したが、ロケバスは、ボンゴばかりだった。ちなみに、韓国では、今も、ワンボックスワゴンのことを、ボンゴと呼ぶほど、普通名詞化しているのである。
現代、起亜という老舗ばかりでなく、韓国の自動車産業には、多くの日本メーカーが関わっている。日産も早くから、現地メーカー新進(シンジン)と提携していたが、これにトヨタが加わったため提携を解消している。代わったトヨタも、コロナなど現地生産したものの、やがて手を引いた。
 部品の国産化比率を引き上げられ、達成不可能だとしたせいだとするが、巷説では当時のKCIAの実力者李(イ)厚洛(フラク)氏が関わっていたため、あまりにも露骨に賄賂を要求され、嫌気がさしたとも言われている。

 やがて新進自動車は、大宇(テーウ)グループの傘下に入り、再編されることになる。グローバル戦略からGM系列に加わったため、日本からスズキも提携することになり、スズキ・アルトを生産している。
 アメリカ大使館の裏手の大林(テーリム)産業(サノプ)のショールームにも、なんどか足を運んだ。ここでは、日本のホンダと提携してバイクを生産していた。70~80年代には、韓国のモータリゼーションも未だしの感があり、バイクは趣味的なものではなく、大きな荷台を取り付けて輸送用にも使われていたが、日本のバイクは、こうした過酷な使用法にも、じゅうぶん応えられたのである。
 見栄っ張りな韓国人の国民性からか、カラフルなカウルをつけた荷物用バイクが街中を走り回っていた。これには違和感をおぼえた。フロントカウルは、空気抵抗を減らすためだろうから、街中を低速で走る荷物用バイクには、必要あるまい。

感謝はなく、技術まで盗む

 今から30年ほど前、新日鉄に勤める知人T氏に頼まれ、同社の独身寮で講演した。韓国人の国民性、文化、歴史など、入門的に話し、好評だったが、帰り際に、T氏は、思いがけないことを口にした。なんと、こう言ったのである。
 「講演、たいへん面白かったのですが、うちの会社には、韓国が好きだという人間は、ひとりもいませんからな」
 そのときは唖然としたものである。訊いてみると、浦項(セハン)製鉄所(現POSCO)に、同社はじめ日本の各社が技術援助し、当時最新鋭の君津製鉄所とほぼ同じレイアウトの工場を完成させ、操業に漕ぎつけたものの、相手からはなんの感謝もなく、その後は、新日鉄のシェアを奪うばかりで、多くの新日鉄社員が、肚に据えかねる思いなのだという。

 日本人なら、双方ともに感謝を口にし、和を保つところだが、韓国人は、得意の〝日本隠し〟に走り、まったく日本の援助がなかったかのように振る舞ってしまう。
 一時期、家族ぐるみでつきあった国際人のT氏は、海外勤務も長く、スイス人の奥さんを持ち、偏狭なナショナリストではない。この方が、そこまで言われるのだから、技術移転に当たり、相当なトラブルがあったのだろうなと、鉄鋼業界には素人ながら、妙に納得した記憶がある。
 その後、推理作家協会の訪韓団で、POSCOを訪れる機会ができた。迎賓館のような豪華なゲストハウスに泊めてもらい、工場も見学したのだが、すべて自社開発したかのような説明に終始し、日本側の協力に関しては、一言も言及されなかった。その際、あのときT氏が口にした言葉が、真実だと、実感した。
 こうした際、日本人なら提携相手先の協力に感謝するだろう。そのほうが、単に相手を立てるばかりでなく、より自分を立派に見せることにつながるのだが、韓国人は、そういう大人の態度が取れないのである。
 その後、新日鉄と、POSCOのあいだで、係争が発生する。新日鉄を辞めた技術者が、方向性電磁鋼板という最新技術を、POSCO側に売ったというのだが、この件では、アメリカも絡んで、複雑な展開に至っている。現・新日鉄住金は、POSCOの大株主でもあるわけで、告訴に至ったのは、よほど肚に据えかねる事情があったからなのだろう。
 総じて、韓国の企業は、自意識過剰と言うか、自社製品を誇大に言いたてるきらいがあるが、日本の技術がからんでいるとなると、なんとかして隠そうとする。他の多くの分野でも知られる〝日本隠し〟という性向のためだが、事実を枉(ま)げても、あたかも全てを、自社開発したように、捏造するから問題なのである。

排斥してもケロリ顔で輸入再開

 私と関わりのある例を、もう一つ挙げてみよう。韓国のアニメである。かつて日本国内の人件費高騰から、日本アニメ界は、韓国に進出した。
 私の知り合いでも、技術指導に行ったアニメーターは少なくない。例えば「コンバトラーV」というアニメは、韓国で製作されたものである。韓国は、日本の善意と協力によって、アニメ技術をマスターした。しかし、そのうち、例の悪い癖も出てくる。私がSF設定を担当した「宇宙戦艦ヤマト」そっくりのシリーズが登場した。「銀河(ウナ)艦隊(ハムデ)地球号(チグーホ)」という。これには、あきれた。

70~80年代から続く傾向なのだが、韓国は、対日貿易赤字を抱えている。ライセンス料、精密加工機器、中間原材料など多くを日本に負っているからで、それだけ、日本が韓国の発展に協力した証でもある。
 ところが、奇妙で歪んだ歴史観からか、韓国では、対日赤字が許せないものに思えてきた。当時、貿易(モヨク)帝国(チェグク)主義(チュウィ)という穢(きたな)い言葉が、日本に向けて、投げつけられたものである。つまり、日本が、技術、原材料などを餌に、韓国を隷属させようとしているというのである。
 しかし、韓国経済が日本に依存したのは、かれらが選択した事実であり、ことさら無視しようとするから、そこに無理が生じる。
 三菱自動車のサターン・エンジンのように、ただ同然のライセンス料で、提供された技術に関しては、旧式な技術を韓国に輸出し、有利な立場に立とうとしているという言いがかりのような非難もあった。もし、ライセンス料が高額だったら、それはそれで、日本に搾取されているというような非難が、一斉に沸き起こったことだろう。
 こうした際、主義主張が先立ち、冷静に事実が見えなくなるのは、韓国人の悪い癖である。日本から恩恵を受けたくないという願望からか、盧(ノ)泰愚(テウ)政権のころだったと思うが、輸入先多角化法案が成立した。つまり、日本から輸入されている部品、中間原材料などを、なるべく別な国からのものにシフトするというもので、助成金も設けられた。

法令に基づいて、これまで日本から輸入していた部品などを、まったく取引のなかった欧米メーカーから輸入してみたものの、規格が合わないケースが続出したばかりか、法外な技術料を請求される事態も起こった。韓国のほとんどの産業は、親韓的でお人よしの日本という国からの、善意あふれる協力で、これまで発展してきた。いきなり欧米からの部品に切り替えようとしても、すぐさま応用がきくわけではない。
 規格が合わない部品によって、工場の操業が停止に追い込まれた例もある。また、これまで通り、日本製の部品を輸出したため、日本のメーカーの社員が、ソウルへ到着するなり逮捕される事件も起こった。日韓双方に、混乱を招いただけで、韓国経済にとって、なんの利益も生まない空しい結果に終わる。
 輸入先多角化法案は、まもなく骨抜きになり、日本からの輸入に頼ることに戻ってしまった。こうした際、あれほど、日本を排斥したのが、まるで嘘だったかのように、けろりとした顔で、取引の再開を求めてきたので、あきれたという日本側担当者の感想を、耳にした。

つけ込んで生き延びる歴史

 繰り返すが、このケースのように、韓国人は、主義主張が先走り、現実が見えなくなることが少なくない。意見が対立した際、日本や欧米のように、それぞれ論拠を挙げて、最善の方法を選択することが、きわめて苦手である。自分と異なる意見にでくわすと、自分の主張を押し付け、なんとしても相手を黙らせようとする。議論が成り立たない社会なのである。大声を上げ、相手を罵(ののし)り、力ずくで意見を圧殺するのが、ポピュラーな展開である。それが通じないときは、話題をすり替える。
 たとえば、竹島の不法占拠でも、竹島領有の根拠を、日本側が示そうとすると、まず怒って怒鳴りちらす。しかも、日本が、もともと朝鮮王朝のものだった竹島を、日韓併合の布石として、軍事力を背景に奪い取ったのだと、頑強に主張する。
 確かに、竹島を国際法上の無主地(むしゅち)として、日本が領有宣言をしたのは、明治三十八年、日韓併合に先立つこと五年である。しかし、竹島領有と日韓併合は、なんの関係もない。あの帝国主義の時代である。併合の布石として本気で奪うつもりなら、竹島では、岩山ばかりで利用価値がないから、鬱陵島(ウルルンド)か済州島(チェジュド)のほうが、軍事的に利用価値がある。

 韓国側は、もともと韓国領だった獨島(トクト)(竹島)を、日本が奪ったという虚構から、出発するのだから、まったく議論にならない。それが通じないと見てとると、今度は、日本が竹島領有を主張するのは、日本で軍国主義が復活したからだと、言い返してくる。軍国主義の話をしているわけではなく、竹島領有の根拠について、議論しているつもりだが、これが韓国人相手では通じないのだ。

 過酷な歴史の後遺症で、韓国人は、自国に不都合なことは、忘れようと努力する。特に、異民族から、なんらかの恩恵を受けた際には、かならず過大な対価を課せられたから、なんとしても認めないのである。認めないうちに、自分に納得させるためか、恩恵を受けても受けなかったことにしてしまう。事実と異なっても、そう考えるほうが、精神衛生上も、好ましい効果を上げる。特に日本の朝鮮統治は、実際には近代化の引き金ともなったが、それを認めると、プライドが傷つくと見えて、断固として認めない方針を貫こうとし、算盤勘定ができなくなる。
 日本人としては、これまで、全て逆の対応をしてきたのである。韓国人の気持ちを忖度(そんたく)して、配慮を示すことが、日韓友好に寄与すると、錯覚したのである。だが、ここが、ボタンの掛け違いのはじまりである。
 こちらの好意は、疚(やま)しさ、弱さとしか、受け取られない。強大な異民族の征服者と伍していくためには、相手の好意、譲歩などに、つけ込むしかなかった歴史である。好意、善意を示せば示すほど、言葉は悪いが付け上がる民族性なのである。
 島根県が、竹島の日を制定したとき、民主党政権は、韓国を刺激することを恐れ、政府高官の派遣を手控えた。ところが、韓国からは、マスコミをはじめ、大勢が松江に押し掛け、路上で暴れまわるなど、乱暴狼藉を働く始末だった。つまり、こちらが、疚しいことがあるから、譲歩したと見てとり、かさにかかった態度に出たわけだ。

「はず」「べき」民族

 韓国人は、はずべき民族である。ヘイトスピーチを始めたのではない。韓国は、“はず”と“べき”の社会ということだ。われわれは、優れている“はず”だ。日本などに、してやられる“はず”がない。竹島は、われわれのものである“べき”だ。われわれの婦女子は、日本軍など相手に、売春などす“べき”でないし、した“はず”がない。われわれの会社は、日本から技術援助されたりす“べき”でないし、された“はず”がない。そう言っているうちに、事実と“はず”、“べき”が、しだいに混同してくる。

 その結果、竹島は、韓国のものになり、日本の技術提供はなかったことに、されてしまうのだ。
 ここは、日本人も、声を大に叫ばないといけない。庶民は文盲が多く、王朝は人民そっちのけで権力闘争に明け暮れ、中国への事大主義にしがみついた。その朝鮮に、鉄道、工場、学校、炭鉱、発電所など、多くの社会基盤を整備したのは、まぎれもなく日本である事実を再認識してもらおう。当時、日本と韓国は併合していたのである。自国民を強制的に、軍隊相手の売春婦に仕立てたり、勝手に、殺したりすることは、許されなかった事実も、はっきり伝えよう。

戦前のことだけではない。今日、韓国が先進国並みになれたのは、自国の努力があるにしても、総じて誰のおかげかを、データを挙げて、懇切丁寧に説明しようではないか。歴史認識が、必要なのは、どっちの国かも、改めて示してやらないと、理解できないらしい。インスタントラーメンから、鉄鋼にいたるまで、すべて日本人が技術を提供したのだ。こうした事実を改めて示そう。
 ここまでやらないと、眼を覚ましてくれそうにない民族であることも、厳然たる事実なのである。もし、将来、日韓友好がもたらされるとすれば、日本側が有無を言わせず強硬に振舞った後のことだろう。

とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第一回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。五十年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。



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