【教育】教科書はプロ市民の謀略の一里塚アイテムだ

先に民潭の活動について触れた。教科書採択問題は日本の将来に深く影響を及ぼす事は
論を待たない。東大法学部が反日日本人の巣窟で、司法や官僚に大きな影響を及ぼして
いる事は良く知られている。現況を変えるのには腕力が伴う。
教科書採択は外国人勢力と直接に接する機会と言えば、驚かれる方が大多数であろう。
民潭・在日が日本を、いや、日本人の自立を妨げているのが実情である。
「教科書採択は情報戦争」と称した識者もいる。目に見えない戦場で幾多の人の勇気と
自立心が犠牲になったか、知ってほしいし、理解してほしい。
それらの教育を取り巻く環境に心を注いで欲しいと希望する。
彼ら日本人の姿に、我々日本人保守は、協力を惜しまない。


下記の記事を書かれた、守礼之民さんには大きな感謝を奉げる。



[2ch元スレ] ニュース

【教育】教科書はプロ市民の謀略の一里塚アイテムだ
http://logsoku.com/thread/anago.2ch.net/dqnplus/1327047466/

1 : 守礼之民φφ ★ : 2012/01/20(金) 17:17:46.28 0
さて、年頭の一回目は久しぶりの教育ネタである。先日の産経新聞で
「教科書 陛下“呼び捨て”小6社会3社、皇室軽視強まる」という記事を読んだからだ。

《天皇陛下に敬称を付けず“呼び捨て”の記述が文部科学省の教科書検定をパスし、
今年4月から小学校6年生の教科書として供給・使用されることが10日わかった。
巻末の用語の索引に「天皇」を盛り込まなかった教科書もあった。

天皇、皇后両陛下はじめ「皇室軽視」の傾向はこれまでも教科書でみられたが、
学習指導要領では「天皇への理解と敬愛の念を深める」よう求めている。

専門家からは「指導要領の趣旨が教科書に十分浸透していない」との批判の声が上がる。

敬称がない表記があったのは、小6社会の教科書。文科省の検定を通過した4出版社のうち
教育出版と日本文教出版、光村図書の教科書が、陛下ご自身が写った写真を説明する際に
「文化勲章を授与する天皇」「インドの首相をむかえた天皇」と表記していた》

他にも天皇、皇后両陛下の写真説明で「福祉施設を訪問される天皇と皇后」といった表記もある。
元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんに対してはちゃんと「緒方貞子さん」と敬称があるのだから、
何をかいわんやである。

こういう記事を読んで、よく「なぜ他紙はこういう記事を書かないのだろうか」と疑問を投げかけられることがある。
「キャプションというのは字数に制限があるでしょう。ならば、言葉尻を捉まえた記事ではないのですか」などという声もある。 報じても報じても、他紙は黙っている。確かにそれは他紙の判断である。
私なりに思うところはあるが、「なぜか」と聞かれてもコメントはできない。

ただ、後者の声には「違うんじゃないか」と私は思う。これは教科書検定や歴史認識などをめぐって、
先輩記者の時代から時間を掛けて何度も問題提起してきたスピリッツに属する問題でもある。

教科書記述は些末な問題ではない

「教師が教壇でいかに教えるか、が真の問題であって、教科書記述にこだわるべきではない。教育は教科書『を』教えるものでは なく、教科書『で』教えるものであり、教師がいかに教えようと子供たちのとらえ方もまた千差万別だからである」
教科書問題のさい、この手の冷淡な意見に私たちの問題提起は常にさらされてきた。南京事件やその犠牲者数をめぐる 教科書表記に警鐘を鳴らす記事もまた「南京事件にせよ、南京大虐殺と書くにせよ、事件があったことに変わりはない」とも言われた。
「どちらの表記にしたって日本が侵略したのは事実だ」と片づけられることもあった。

消された大東亜戦争

だが、教科書記述に横たわる問題は多くの人が思っているほど、そう簡単でもない。記述の(たとえ)一端を採り上げた記事にも膨大な問題が潜んでいる。決して些末な問題でもなければ、言葉尻の問題でもないのである。例えば次の政府答弁書を見てほしい。
政府答弁書というのは、議員の質問に閣議決定を経て政府方針や統一見解を示す政府見解である。

《鈴木宗男議員 「大東亜戦争の定義等に関する質問主意書」と「政府答弁書」

問1 大東亜戦争の定義如何。
答 昭和16年12月12日当時、閣議決定において「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ
   生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている。

問2 太平洋戦争の定義如何。
答 「太平洋戦争」という用語は、政府として定義して用いている用語ではない。

問3 大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か。
答 「太平洋戦争」という用語は政府として定義して用いている用語でもなく、お尋ねについてお答えすることは困難である》

続きは>>2-3

ソース(MSN産経ニュース):
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110116/edc11011607020000-n1.htm


2 : 守礼之民φφ ★ : 2012/01/20(金) 17:17:55.25 0
私たちの先人は「太平洋戦争」という名の戦争を戦ったのではない。米国から見れば太平洋を挟んだ戦いだったかもしれないが、日本にとってはあくまで東アジア(東亜)に正義を打ち立てるべく臨んだ「大東亜戦争」という名称だったのである。
この政府答弁は平成18年になって出されたものであるが、注目は問2だ。

「太平洋戦争」という言葉を政府が定義して用いている言葉ではない、と明快に述べたことに極めて新鮮な思いがした。
教科書に載っていようが、一般に太平洋戦争という言葉がいかに定着しようが「太平洋戦争というのは日本政府の
言葉ではないよ、これは」と日本政府がいっている。これは意外に知られていない事実である。「え?」と思う人は多いはずだ。

ちなみに、政府は、いつから大東亜戦争という呼称を用いなくなったのだろうか。それについても鈴木氏は質問しており、
「昭和20年12月15日付け連合国総司令部覚書以降、一般に政府として公文書においてお尋ねの呼称を使用しなくなった」という回答だった。

「洗脳」は続く

今世の中では「大東亜戦争が正確な呼称だ」などと口にすると「おまえは軍国主義者か」と後ろ指をさされる。
しかし、私たちは敗戦後の占領政策で自分たちが戦った戦争の名称を奪われ、使うことを許されず、戦争指導者を悪者にして、 国民はだまされていたのだという話になったのである。あの戦争に日本の大義などない。だから、戦争の名称すら戦勝国であるアメリカから押しつけられ、それを受けいれざるを得なかったのである。

問題はそうしたことをすっかり忘れて、今日に至るも、それを唯々諾々と受けいれ、疑わない後世の私たちの愚かさではないだろうか。 昭和40年生まれの私も学生時代、習った用語は「第二次世界大戦」か「太平洋戦争」だった。断じて「大東亜戦争」ではなかった。
これこそが理不尽な歴史の改竄(かいざん)であり、GHQの謀略、占領政策の恣意(しい)の残滓(ざんし)を押しつけられ続けたというわけである。

アジアへの加害を強調する教科書

ところで最近、この「太平洋戦争」という表記が教育現場で徐々に鳴りを潜めているのをご存知だろうか。
「大東亜戦争」という正しい名称を教えているというわけではない。むしろ、逆である。最近では「アジア・太平洋戦争」と 学校で教えるのが大流行である。試しに教科書をいくつか調べれば出てくるはずだし、そう習っていれば、正しく覚えて、正しく表記しないとテストでは点がもらえないことになっている。

それを10年、20年続けるとどうなるか。今度はいずれ「アジア・太平洋戦争」という名称が定着するだろう。「日本=アジアへの加害者」という認識を疑わなくなった裁判官や政治家、ジャーナリストが現れ、変な判決を書き、おかしな記事を書き、きてれつな政策を打ち出すだろう。
というか、そういう状況なら私たちは今も目の当たりにしている。いっそうひどくなるだろう。

しかし、アジア・太平洋戦争という言葉は、アジアへの侵略、加害を強調するために編み出された後世の造語である。後世の人間がしたり顔で 先人の営みを裁いた、断罪のニュアンスを含む歴史造語を歴史教育の名の下にあたかも真実として子供に教える。真面目に考えると恐ろしいことだと思う。教師が教科書に潜むそうした恣意について無自覚なまま、教壇に立つ場面もあろうが、確信犯であろうと、そうでなかろうと 恐ろしいことに変わりはないのである。

以前NHKの「JAPANデビュー」が問題になったことがあった。そのなかに「日台戦争」という言葉が取り沙汰された。
日本は台湾を統治したのであって、台湾と戦争したわけではない。「日台戦争」ってなんですか、それは!というわけだ。

「南京事件」という言葉も「南京大虐殺」という言葉で教科書に掲載されたことがあった。「従軍慰安婦」も当時なかった言葉である。徴用を「強制連行」としたのも、どれも後世の人間の断罪が伴った色眼鏡の伴った言葉だ。注意深く見ると、どれも後世の人間の 歴史への悪意なり、恣意が宿る、もしくは感じられる方向で改編されたものばかりである。


3 : 守礼之民φφ ★ : 2012/01/20(金) 17:18:12.58 0
狙われた教科書

指摘しておかねばならないのは、教科書は狙われているということだ。冒頭で述べた天皇陛下への呼称に関する記事も例えば 「まあ許容範囲か」「キャプションだから、仕方ないか」とか「言葉尻をとらえている」などと片づけていると、状況はさらに悪化していく。
それは南京事件の犠牲者数が増えていったのを思い出せば合点のいく話だ。教科書に載れば、事実となる。

そして試験を通じて頭のなかに事実としてすり込まれていく。いったん、すり込まれたものはそう簡単には解放されない。

日本の歴史を貶(おとし)める方向には際限がなく走る。これが多くの教科書を見てきた実感である。だからその一里塚を見逃すべきではないのである。冒頭述べた皇室の表記も同様なのである。記事には過去、皇室の表記をめぐってさまざまな出来事があったことを盛り込んでいるが、教科書を通じて子供たちは「天皇」という存在をぞんざいに扱うことを目の当たりにする。授業でも必要性に疑問を植え付ける方向に流されやすい。

学習指導要領が「天皇への理解と敬愛の念を深める」と定めても、多くの学校に浸透してはいないのだ。

《過去の小中高の教科書でも「仁徳天皇陵」の記載が括弧書きや「大仙陵古墳」「大山古墳」「仁徳陵」として検定をパス。「皇太子明仁」の記載が「明仁皇太子」となったり、皇后陛下を「正田美智子」とした記載がパスしたことがあった》

こうした記述の流れを見ても教える側にいかなる意図が横たわっているか、どんな意図が潜んでいるかが読み取れるではないか。

プロ市民に手を貸す愚挙

外国人への地方参政権付与についても教科書は大きな役割を果たしている。教科書で外国人に対する地方参政権について、最高裁が判決で憲法上問題ないかのような立場で書いたからである。判決を大喜びして教科書に盛り込みたい勢力がいたのも事実だし、載せてしまった事実もある。載せてしまえば、学生は、問答無用で正解を覚え、それは事実と化して、学生の頭を縛っていく。それはいずれ世論を縛り、国家を蔑(ないがし)ろに 蝕(むしば)んでいく。教科書に載せるべきかそうでないか。
書く以上、どのように書くべきか、といった問題は実は大変重要な問題であって「教科書検定は表現の自由を侵すものだ」といった議論は実に子供っぽい議論なのである。ついでにいえば、昨年の大学入試センター試験でこの点が出題されたさい同センターの言い分は 「教科書に載っているから出題に問題ない」というものだった。

この問題は教科書に載っているからいい、悪いという次元で済ます話では断じてないはずだが、センターの言いぐさも酷いものである。

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