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ニュースの価値について

 ニュースの価値について
http://kotobukibune.at.webry.info/201205/article_3.html
<<   作成日時 : 2012/05/03 10:00   >>


1.ニュースの価値を構成するもの

昨今、新聞・雑誌などの紙媒体の部数が落ち込んでいるという。ネットがこれだけ普及してくると、それもある意味、必然の流れだとは思うけれど、業を煮やした一部新聞社などは、ニュースの有料化なども検討しているという。

何がしかの情報を有料化するためには、その情報になんらかの「価値」がないといけないのだけれど、今のように情報化が進んだ社会では、通り一遍のニュースは、その価値が低くなる。そんな情報はそこら中に転がっていて、希少価値がないから。

どこからでも、同じニュースを手に入れられる環境が整っていると、ありきたりのニュースなんて金まで払って買う人なんていない。特に日本のメディアのニュースは、横並びで同じ様なニュースばかりだから、尚更、有料化は難しい。

だから、そうした、相対的に低い「価値」しかないニュースで金を取ろうとしたら、そんな「ありきたり」のニュースですら、簡単に手に入れられないようにして、擬似的に「希少価値」を上げるしかなくなってしまう。

たとえば、報道機関同士で「談合」して、全部一斉に有料化してしまうとか。

だけど、そんな「姑息な」手段でお金を取ったとしても、長続きするものじゃない。なぜかといえば、特にネットが顕著なのだけれど、国民ひとりひとりが、自分で情報を伝達できる手段を持っているから。

誰か一人でも、その「つまらない」有料情報を手に入れて、ネットにアップしてしまえば、たちまちのうちにその情報が拡散してしまう。

ネットでは、希少価値が希少でいられる期間は、物凄く短くて、その情報がコピペで拡散する途中で、あっという間に「希少」で無くなってしまう。

だから、これまでのように、「ニュース」しているだけでは、お金を取れる時代じゃなくなってきている。

確かに、ニュースはニュースとして、価値があることはあるのだけれど、もはや、そのニュース自身の中身を問われる時代になっている、ということ。

ニュースの価値を価値たらしめているものは何かといえば、大きく二つある。

ひとつは、希少性。そして、もうひとつは、見識。

ニュースの希少性とは、いわゆる極秘情報。特別なニュースソースを持っているごく限られた人しか知らないこと。

すなわち、特ダネとか、スクープとか、すっぱ抜きだとかの類はこれに近いのだけれど、これは元々、世の中に広く流される性質のものじゃないから、いつもこれをあてにすることは難しい。

また、今のメディアは、記者クラブを作ってしまっているから、自分達で特ダネを探し出すことを難しくしている。

もうひとつの見識というのは、あるニュースに対して、自分達がどういった捉え方をしているか、といった価値判断の部分。具体的には、どのニュースにスポッ トを当てて、普段気付かないような事実をクローズアップするとか、ある事柄に対して、どの識者を選んでコメントしてもらうか、といった編集的な部分。

ニュースの価値は、こうした「希少性」と「見識」の二つの要素で成り立っているのだけれど、今の時代、ニュースそのものに「希少性」を見出すのはだんだん 難しくなっている。だから残るもう一つ、「見識」の部分で、付加価値を付ける時代になっていることを知らなきゃいけない。



2.満足が価値を生む

ニュースにおける「見識」でお金を貰おうと思ったら、お客さんにその見識によって「満足」して貰わなければいけない。お客さんのニーズに応えることは、商売の基本だから。

満足を与えるということは、「抜苦与楽(ばっくよらく)」を行うことと殆ど同じ。

その見識を得ることで、「苦しみ」を抜き、「楽」を与えられるものであって、ようやく「満足になる」ということ。

では、苦しみを抜く見識とはなにかというと、端的には、現在ただ今の、苦境から逃れられるための、役に立つ情報やニュースということになる。

たとえば、麻生前政権が行った経済対策の中に、中小企業向けの雇用調整助成金がある。これによって助かった会社も多々あったと思うけれど、これを知らなかったがために、倒産してしまったところもあったかもしれない。

もし、マスコミが、政府が雇用調整助成金を拡充してますよ、と大々的に報道していたならば、それはまさしく中小企業が陥っていた「経済的な苦しみ」を抜く、役に立つ情報となった筈。それであってこそ、お金を取れる「価値ある」ニュースというもの。

また、「楽」を与えるニュースとは何か、というと、ニュースとは少し違ってくるかもしれないけれど、たとえばスポーツなんかで、日本人選手が大活躍したと か、面白いバラエティ番組であるとかなんかはそうかもしれない。WBCの優勝で、日本中が多いに盛り上がったし、経済効果も上がった。これも「価値ある」 ニュース。

ところが、今のマスコミはといえば、特にテレビなんかはそうなのだけど、昨年からの麻生前総理に対する報道をみれば、「抜苦与楽」なんて全然してなくて、 その反対。「苦しみ」を与えて「楽」を奪う報道ばかり。「抜楽与苦」に成り下がっている。これではテレビ離れも理の当然。

昨今、今のニュースはバラエティ化している、と、よく言われるけれど、それも当然の話。なにせ、ニュースの中身が「抜楽与苦」なのだから、せめてバラエティ化して、そこで「楽」を与えでもしないと、とてもやっていけない。

つまるところ、根本に、視聴者に苦しみを与える報道姿勢を持っていると、いくらバラエティ化して、「楽」を供給したところで限度はある。せいぜいよくて、プラスマイナスゼロ。価値がゼロなのだから、利益は生まない。そんなやり方は、とても長続きするものじゃない。

マスコミは、「考え」や「文化」に金を払う、ということの意義をもっと真剣に考える必要があると思う。

そのニュースを得ることで、人々にどれだけの満足を与え得るのか。

そのニュースが、どれだけ人々の役に立って、苦しみを救う力があるのか。

そういう報道がなされていると、そこに感動が生まれ、感謝となって、沢山の人が見てくれるようになる。スポンサーも名乗りを上げてくれる。それはもはや対価などではなくて、布施になる。

教えてやるから、よおく見ろ、ではなくて、感動を提供して、お布施をいただく。実際は、経営としてやっていけるだけの広告収入なり、なんなりがないといけないのだけれど、精神としてはそうでなくちゃいけない。

今のような、苦しみを与えるだけのニュースをまだ流し続けるようであれば、マスコミの未来は暗い。



3.新聞メディアへの公的支援論議

毎日新聞は2009年8月24日、「新政権に望むメディア政策」と称して、新聞メディアへの公的支援論議を促す社説を載せた。

ネットが普及して、紙メディアから読者が離れ、広告収入が激減している状況を受けてのことなのだろうけれど、新聞ジャーナリズムの公的支援を社会文化政策として考えよ、という。

また、教育文化政策の一環として、カリキュラムを組んだり、15歳の青少年に新聞を1年間無料配布せよなどとも言っている。年500億円で済むそうだ。

こうしたことが是とされるためには、その新聞が公共の益になっている、という前提がないといけない。

公的支援といえば、聞こえは良いかもしれないけれど、要は税金で、新聞社を救ってくれということ。だから、新聞社が、税金を使うほどの存在なのか、ということは厳しく問われなくちゃいけない。

これは、テレビにも言えることなのだけれど、仮に、百歩譲って、もしも、放送メディアに対して、税金による支援を行うというのであれば、その是非の審判は国民に委ねるべき。

つまり、何某かの新聞社なり放送局が、公的支援を希望するのであれば、すべからく選挙して当選しなければならない、ということ。

いっそのこと、4年なり2年なりごとの衆院選や参院選と一緒に、各放送局や新聞社の信任投票をすればいい。

最高裁判所の裁判官は総選挙のときに国民審査を受けることになっている。投票者の過半数が×印をつけられた裁判官は罷免される。

同じように、過半数が×印をつけた新聞社や放送局は公的支援は受けられないようにすればいい。さらには、7割とか8割以上×印が付くようなところは、公共の益になっていない、として、次の選挙まで、放送免許取り消しや新聞発行禁止とかにすればどうか。

そんなことをすれば、多くの社員が路頭に迷うなどと、彼らはきっと反論するだろうけれど、そのあなた方が常日頃叩いて、晒し者にしている政治家は、そういう職業であり、そうした世界に生きている。

マスコミは権力を監視する役目があるというのなら、その『「権力を監視する役目」という権力』を国民に監視してもらうべきではないか。

また、逆に、いい番組を作っているのに、お金が無い余りに、全国ネットで放送できないようなところでも、国民からの信任を得られれば、公的支援を受けられるようにすればいい。その方が、よほど公共の益になる。

そしてそうした信任を受けた局なり新聞社が、落選して免許を取り消されたところの社員を雇って再教育を施せば、更に有為な人材に仕立てあげることができるかもしれない。

くだんの社説は、新聞ジャーナリズムを指して、「公器として権力の監視や社会正義を追求して公共の情報を安価で提供してきた。そして、特定の利害に左右されない道義性の高さを肩代わりできる媒体は、ほかに見当たらない。」といっている。

であるならば、正々堂々と国民の審判を受けた上で、公的支援を受ければいい。政治家もそれくらいの切り返しをしてもいい。

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