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交戦権否認とその解釈問題


交戦権否認とその解釈問題
http://www.kokubou.com/document_room/rance/gendai/kenpou9_kousenken.htm

本作は「昭和憲法の制定過程」並びに「第9条の制定過程と解釈問題」の補完論文です。

 -目次-

1.交戦権とは
2.交戦法規とは
3.戦時国際法とは
4.我が国の交戦権否認と自衛権の関係(判例)
5.我が国の交戦権否認と自衛権の関係(国会答弁)
6.まとめに

1.交戦権とは

交戦権の定義については大きく分けて二つの考え方がある。
まず第一に国家が戦争を行う権利と するもの。第一次大戦まで戦争はそれぞれの国や王或いは領主にとり当然行いうる権利とされていた。当時の戦争観で言えば戦争は儲かるものであり、他国の領 地や資源を収奪し、他国民を奴隷として連行し自国の労働力とし繁栄を図るのは当たり前のことであった。これを慣習として根拠とする説もあるが、第一次大戦 後の戦争観と併せて見ると定かではない。

もっとも自国を侵略してきた国に対して防衛戦を行うことも国家が戦争を行うことに変わりはなく、これは正当防衛の考えを元にしていて、本来はこれが根拠な のかもしれない。「戦争=悪」という考え方にこだわると後ろ向きなイメージが先行しがちであるが、この点を忘れてはならないだろう。


第二に、戦時国際法により交戦国に認められる諸権利の総称とするものがある。
諸権利とは具体的に言えば敵戦力の破壊、殺害から、中立国の船舶に対し、国防上の要請から若しくは戦時禁制品の取り締まり等の為に臨検や拿捕を行え、また 占領地では軍政を敷いて、敵国民やその財産について一定の強制措置(例えば司令部として使う為に家屋を徴発する)を行えるというものである。
つまり、これら諸権利が認められない(交戦権を放棄する)ということは、敵兵を殺害すれば殺人罪となり、施設等を破壊せしめれば器物損壊やその他法令に違反することになる。

2.交戦法規とは
これは戦時国際法に於いて、交戦国間の関係を規律する法規の総称を指す。「戦闘法規」とも呼称する。
例え戦争状態でなくても、敵対行為が在れば適用されるのが特徴である。逆に言えば戦争状態に入っても敵対行為がない場合には、戦時国際法の適用はあっても交戦法規の適用はないということになる。よって交戦法規は戦争と密接な関係を持ちつつも、敵対行為が交戦法規適用の決定的事由となるわけである。

さて交戦法規は「陸戦法規」、「海戦法規」、「空戦法規」と種別される。
ただし空戦法規については1922年~23年にかけてその草案が当時の列強と呼ばれた日米英そしてイタリアとオランダの間で作成されたが、合意には至らず、事実上無いものとみてよいだろう。ただし他の規定により当然空にも適用される条項もあることを付け加えたい。

さて、それぞれの法規の代表的なものをあげてみる。
ほとんどが1907年にオランダのハーグにて締結された諸条約である。

戦闘法規
陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約 (ハーグ第4条約)

陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約付属文書
 陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則

海戦法規
開戦ノ際ニオケル敵商船ノ取扱イニ関スル条約 (ハーグ第7条約)

商船ヲ軍艦ニ変更スルコトニ関スル条約 (ハーグ第7条約)

自動触発水雷ノ敷設ニ関スル条約 (ハーグ第8条約)※

戦時に海軍力ニヨッテナス砲撃ニ関する条約 (ハーグ第9条約)

海戦ニオケル捕獲権行使ニ対スル若干ノ制限ニ関スル条約 (ハーグ第11条約)

(※)自動触発水雷=機械水雷=機雷


さて、「戦争状態」でなくても「敵対行為」があれば適用されるとあるが、これはどういう意味か。
それぞれについて言葉の定義を確認してみる。

 [戦争]

戦争とは戦時国際法の範囲内であらゆる加害手段を用いて相手国の抵抗力を制圧することができる法的状態と言える。戦争は国家間の対立であり、法主体は国家 であると言えるが、その国民も国家と密接な関係にあるので一定の加害行為を加えられ、また財産を制限される。そして一方の戦争意思の表明により始まり、終 了は合意による。

しかし第二次大戦以降、戦争違法化が進み、紛争の解決としての従来の戦争はかつて国際法で認められていた正規のものだけでなく、戦争に至らない武力の行使 も禁止となり、自衛又は制裁を目的とする戦争のみ例外として認容されている。これら根拠として不戦条約、そして国際連合憲章がある。


 [敵対行為]

具体的な例を出せば歩兵が敵兵を銃撃する等の実際上の戦闘行為であり、これが敵対行為の中心を為す。
また、その加害行為を行う為の準備行為と敵国民や敵財産に対する強制行為も含まれる。


こうした敵対行為は、一定の資格を備える者だけが行えると規定されている。
すなわち正規兵(※)であることが要件となり、それ以外の者が行えば当然戦争犯罪となる。
(※)正規兵とは遠方より識別可能な制服或いは固有の標章を着用し、公然と武器を所持し将校等責任 者が率いており、そして交戦法規に従い行動する者である。以下余談であるが、特にこの正規兵とそうでない者との対処において問題となるのが捕虜についてで ある。正規兵は敵に捕らえられた場合当然捕虜として扱われ、1949年「捕虜の状態改善に関するジュネーブ条約」及び1977年に同条約第一議定書に定め るところの保護を受けられる。
しかし、ゲリラ兵や、民兵、義勇兵等正規兵でない者はどうなるか。
民兵や義勇兵など組織団体下にある場合、先述の正規兵の規定に従っていれば捕虜として扱われるとし、郡民蜂起或いはゲリラ兵等については公然と武器を携帯 し、各法規に従っていれば捕虜になれるとした。逆に言えば武器を隠し持っていたりすれば捕虜の資格は与えられず、その場で死刑に処しても問題ない。これは 規則を守らない無法者は保護するに値しないということである。


3.戦時国際法とは
まず、第一に戦時国際法という呼称は戦前に国際法を平時国際法と戦時国際法に大きくわけて論じられていたためである。現在では武力紛争法と呼ばれている。
戦時国際法は先述の交戦国間の関係を規律した交戦法規と、交戦国と中立国との関係を規律する中立法規から成り立っている。
しかし、現在は戦争違法化の考えが通説となっており、現在にもこれら法規が適用されうるのか問題があるがそれでも特に人道的なものや、武力紛争に際して適用可能なものは依然として有効であると考えられている。

これをさらに突っ込んで見てみると、第二次大戦後戦争違法化に伴い、違法行為である戦争が作り出す戦争状態には、何らの法も存在しないと言う理論が唱えら れ(戦争法の白紙理論)、大戦中に戦時国際法を逸脱したこと、そしてこれに変わる新しい戦時国際法が出来ないこともこの理論を裏付けているとされた。
しかし、国連に代表される集団安全保障体制の制裁措置が相手の抵抗にあえば必然的に戦争と同様の事態となり、この時交戦者を規律する法はやはり戦時国際法 しかなく、また自衛権に基づいて防衛戦を行う時も同じことで、事実上戦時国際法を適用せざるを得ないということになったのである。

そして、戦時国際法は戦争違法化とされながらも武力紛争が一向に減少しない現実から、武力紛争法として残存しつつ、さらに人道的要素をさらに拡充させた「国際人道法」の名の下に復権していった。
国際人道法とは、先述の1949年のジュネーブ4条約をはじめとする捕虜や一般人を保護するための規則や、交戦手段の規制などを含んだ従来の戦時国際法の 交戦法規をさらに充実させたものであり、人道原則の確保の下、戦争違法化の煽りを受け萎縮することなく、現在でも存在意義があるとされる。そして従来の戦 時国際法もこの目的に添うものは組み込まれ適用されると見られている。


以上からわかる通り、戦争法規はハーグ条約に代表される敵対行為を規律した法規と、ジュネーブ条約に代表される戦争犠牲者の保護を規律した法規という二元 構造となっているのが特徴である。そしてこれらは戦争の防止を目的としながらも戦争発生時には戦争を規律するという皮肉な法であると言えよう。

4.我が国の交戦権否認と自衛権の関係(判例)
さて、戦後昭和憲法下に於いて我が国はこの問題をどう扱っているのかという本題に入ることとする。
大学で憲法の講義を受けた者ならおそらく扱ったであろう長沼事件(もっとも憲法の講義では恐らく裁判所の司法審査の範囲の問題で扱ったであろうが・・・)の判例から裁判所の見解をまず確認してみたい。

ちなみに長沼事件とは防衛庁が北海道長沼町の山林にナイキ(対空)ミサイル基地を建設しようとしたところ、それに反対する住民が建設の為に同予定地の保安 林指定を解除したことを取り消すよう求めた行政訴訟である。結果的に第一審では自衛隊の存在そのものが違憲であるかという問題となり、住民側の勝訴。控訴 審では第一審を破棄した上、この問題は極めて政治性が強い問題であるので司法審査の対象外であるとした。

で、話を戻し、その第一審では交戦権について次のように述べている。

「『交戦権』とは、国際法上の概念として、交戦国が国家として持つ権利で、敵の兵力を破壊したり、都市を攻撃したり……(中略)……。この交戦権を、ひろく国家が戦争をする権利と解する立場は、一項の「国権の発動たる戦争」と重複し、妥当ではない。」

と、している。
我が国では上記1節で述べるところの第二の見解の立場をとっているとわかる。
当時の政府見解では当然第二の立場を踏まえつつ、自衛権も否定しないとしている。つまり、自衛権は主権国家に認められた国の生存を保持するための固有の権能であり、交戦権を否認することによってこれが否定されるものではないという考えである。
この問題についてさらに突っ込んだ判例を見てみる、、砂川刑特法事件である。

これは米軍立川飛行場拡張工事に伴い、デモ隊が基地に侵入した事件。普通の刑法ではなく安保条約三条に基づく刑事特別法違反として起訴されたものである。 第一審では日米安保による米軍駐留そのものが憲法9条2項に該当し違反とする判決が示されて、最高裁までもつれこんだ事件である。ではその最高裁の見解を 見てみたい。

「憲法9条は我が国の過去の軍国主義的行動を反省し、わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。同条は戦争を放棄し、戦力の保持も禁止しているが、しかしこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない。
しからば、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことと いわなければならない。そのためにとられる方法は国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されるものではなく、憲法9条はわが 国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない。」

と、自衛権を認めると共に、自衛の為の必要措置を講じることも容認している。
が、この判決はまだ続きがある。この事件が米軍の駐留に対する事案であることを踏まえつつ、よく言質を捉えて頂きたい。

(続き)
「同条一項は、いわゆる侵略戦争を放棄したものであり、二項において戦 力の不保持を規定したのは一項において永久に放棄することを定めた侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためである。二項がいわゆる自衛のた めの戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同項がいうその保持を禁止した戦力とは、わが国が主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国軍隊はたとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力に該当しないと解すべきである。」

そういうことである。
自衛権が否定されないからといって即座に自前の戦力を保持できるわけではないとクギを刺しているわけである。そして日本の防衛はアメリカ様に任せろと言わんばかりの記述には苦笑を隠せないところである。
話を戻し、「わが国が主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力」は保持できないとするならば、当然自衛隊の存在そのものが違憲ということになってくるわけで重大な問題と言えよう。

この判例を踏まえて、我が国が自衛行動をとるにあたり、その正当性をどう理屈付ければよいのだろうか。
例としてこのような考えがあるので紹介したい。

「我が国は交戦権の否認により国際法上権利として、敵の兵力を殺傷、破 壊したり都市を攻撃したり、中立国に対しても一定の条件の下に船舶を臨検或いは拿捕することは出来ないが、占領地軍政を除き、その他の行為を行った場合、 自衛権を援用してその違法性を阻却し、賠償請求を退けることができると解することも考えられる。つまり権利としてはなしえないが、なした行為の違法性を阻 却させることは可能といういうことになる。当然自衛権の援用という形をとる以上厳格な要件を充足することが求められる。(要旨)」

しかしこれでは交戦権を否認して、相手国兵力へ損害を与えることが国際法上合法と言えるのかどうか明確ではないと言えよう。
さらに言えば、我が国がこれら戦力を保持できるか否かという問題は放置されているのである。

5.我が国の交戦権否認と自衛権の関係(国会答弁)
昭和憲法の制定を審議した第九〇帝国議会での当時の政府答弁を紹介したい。
この交戦権否認の意味について貴族院にて牧野英一議員が質疑に立った。
まずは交戦権についての認識を質すと、政府から金森国務大臣が次のように答弁している。

「交戦権と云うのは、私は此の語を詳しく知りませぬが、聴いて居りまする所では、戦争を行うと云うことに基づいて生ずる種々なる権利であると・・(中略)・・。
(交戦権が否認されるならば)戦争中に外国の船舶を拿捕することも出来ないし、戦争と云うのは事実上の戦争の如きものを始めましても、外国の船を拿捕する と云うことも出来ないし、或いは又其の占領地と云うものも、国際公法に認める保護を受けないし、俘虜などと云うことも起こって来ないということに依りまし て、大部平和の実現に近い条件になるものと考えて居ります。」

魂までも骨抜きにされたか・・・と嘆かざるを得ない。
例え攻められてもこれに抵抗することを得ず。或いは自衛権を援用して防衛戦を行ったとしても、我が方の兵が捕らえられても捕虜として保護されず、それ以前にこの答弁の仕方だと自衛権援用の防衛戦も可能かどうか怪しいものであろう。

さて、牧野氏はさらに「戦力不保持規定と交戦権否認規定は重複規定であって、交戦権否認規定は無用ではないか、それとも特別の意味があるのか」と質した。これに対して同大臣は

「第二項の所は重複すると云う風に御取りになりましたが、そう云う風に 申し上げたのではなくて、前段は事実力を持ち得ざらしむるものであります。武力と云うのは事実の変化を起こし得る物的なものと、物的とは限りませんが、或 いは人的も含みますが、兎に角何か働きをする、有形的なものと考えて居ります。後段の方は法律上の保護を現して居ります。
それで決して此の二つのものは内容的に重複する可能性のあるものでは御座いませぬ。(後略)」

では、戦力不保持でありながら交戦権を行使するような状態が考えられるのかという疑問が生じてくる。
この点を牧野氏はさらに追及した。

「若し是が重複関係がないと致しますると、戦力がなくても交戦を行う場 合が想像し得られるので、そう云う場合には戦力を用いない交戦権と云うものがある。それをも封じて居る、そう云う意味にならねば論理を全うし得ないように 思いまするが、そう云う特別な場合があると云う風に心得て宜しいもので御座いましょうか。」

続いて同大臣の答弁を見てみよう。

「戦力のない戦争を予想することは甚だ困難であります。併し法はあくま で法でありまして、其の違反のある場合も法の上では予見しなければなりませぬ。…(中略)…。だから二段構えで防衛すると云うことは理由があるのである。 平素から武力を保存してはならぬ。是は明瞭なことであります。併し極切羽詰まった場合に、此の規定の精神を破って、急に間に合わせの武力を何らかの方法で手に入れて、事を始めると云うことがあるとは申しませぬけれども、懸念をすればあり得るのであります。」

かなりの珍答であろうが、つまりこう言いたいのであろう。
(国防の為の)常備軍を持つことは当然許されないとする、これが9条二項前段部分であり、しかしこれだけだといざ有事の際に慌てて何か間に合わせの武力を 集めるなりして対処するという事態には対処できない。よってあえて交戦権否認を挿入し、これを防ぐものであるということである。

牧野氏もこの答弁について

「只今の御説明で大分理解することが出来ました。結局竹槍を以て交戦権を行使すると云う場合も、想像出来るわけになりますが、其の場合に於いても其の交戦権は許さない、そういう意味になり得るものかと心得ました。」

と述べている。
この問題について高柳賢三議員からも同大臣に対し質疑を行っている。
特に牧野氏がいう「竹槍を以て」といういわゆる郡民蜂起についての見解を質しているので見て頂きたい。

「外国の軍隊に依って侵略を受けた場合に、所謂国際法で知られて居る郡 民蜂起と申しますか、ルヴェー・アン・マス、正式に国際法の要件を備えた郡民蜂起の場合には、防衛の為に郡民蜂起が起こる。そう云うような場合に、その国 際法上及び国内法上の地位はどうか。私は国際法的には是は適法であって、交戦者は戦闘員として矢張り取扱われ、又俘虜たる待遇を受けると云うことになると 思いますが、国内法では国の交戦権を否認した憲法上の規定に反することになるということになると思いますが、其の点はどうでありますか。」

これに対して、

「左様の場合はどう云うことになりますか、新しき事態に伴う種々なる法律上の研究を要すると思いますが、緊急必要な正当防衛の原理が当てはまって、解釈の根拠となるものかと考えて居ります。」

続けて高柳氏は
「今の御答えは国際法的に。」
同大臣
「国内法的に。」


これを見ると、先の答弁との辻褄が合わなくないだろうか。
そもそも金森大臣の言うところによれば、「急に間に合わせの武力」で事を起こす、つまり郡民蜂起もこの一例になるわけであるが、それを禁止する為に交戦権否認規定があるはずである。
また、国際的に認められている権利を国内法が否定することが出来るかという、国際法と国内法の優位問題にも発展すると言える。我が国民は世界の国より不自 由を強制されるということでもあり、金森大臣は苦し紛れに「正当防衛」を持ち出してきたのであろうが、問題の解決にはなっていない。

6.まとめに
我が国の交戦権否認は結局のところ自らの首を絞めることになりかねない結果となっている。
もし戦争或いは武力紛争に至った場合、我が国は交戦権を否認しているので、我が方のみが当然認められている保護を受けられず、その上、相手方に戦時法の順 守を要求する権利もまた交戦権と解されるならば、そうした要求も出来ず、軍人だけでなく一般国民・文民の保護を定めたジュネーブ諸条約の適用もまたなされ ないという事態も考えられるわけである。端的に言えば、戦争法で認められている如何なる権利も憲法により相手方に対し要求は出来ないということである。こ れは国民としては不利益を強要されていることとなる。
何も戦争法は国だけが主体ではなく戦闘行為を行う個人も又主体なり得る場合があることは先述の通りであるからだ。

また我が国も批准しているジュネーブ四条約の規定では例えば「捕虜の待遇に関する義務」や「戦時における文民の保護義務」などがあるが、これは我が国が交 戦権を放棄していようと守らねばならない義務である。これはウィーン条約法条約の定めるところであり、すなわち国内法を理由に条約の不履行を正当化できな い為である。

よって我が国は交戦権否認により権利は持てないが義務だけを背負うということになるのである。これが結論である。
念のため述べておくと、交戦権否認により交戦法規も適用されないという考えはあり得ない。なぜならそれは交戦者の負うべき義務の放棄となり、関係条約違反となるからである。そもそも交戦法規の適用を前提に交戦権が論じられることから考えても当然のことであるが…。
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