日経の元敏腕記者が明かす、崩れ始めた広告モデル

日経の元敏腕記者が明かす、崩れ始めた広告モデル
2012年7月11日(水)15:20
http://president.jp/articles/-/6644

(プレジデントオンライン)
24年間お世話になった日本経済新聞社を退社・独立して1年が経った。衝動にかられて辞めたわけではない。かねて私は「新聞」が500年ぶりの大変 革期を迎えていると考えていた。その中で、経済専門紙である日経新聞はまだ優位性があると見ていたが、業界全体の地盤沈下の中で、残念ながらそれも難しい と見切ったのだ。
もっとも縮小均衡の経営でいけば、私の60歳定年(2022年のはずだった)までは世間相場以上の収入は得られただろう。だが、縮小均衡の組織の中では面白い仕事は望めないし、ジャーナリストの命である「自由」は保てない。
500 年ぶりの大変革期とは何か。日経の特派員として勤務したドイツには、世界最古とされる「新聞」がある。国境のボーデン湖に近い修道院で見つかったもので、 1605年と記載されている。この「レラツィオン」は、ヨハン・カルロスという製本職人が副業として始めたもので、発行部数は150部であった、という。 世界最古とされる「日刊紙」も、やはり17世紀に創刊され、世界に広がった。
新聞が生まれた背景にはイノベーション(技術革新)があった。 1445年にヨハネス・グーテンベルクが発明した活版印刷の普及と、1516年にフランシスコ・ダ・タシスという人が欧州域内で始めた郵便の普及である。 つまり、大量に印刷して、短時間に届ける、という仕組みだ。そこにはルネサンス以降の「個」の確立もあった。個人(市民)が個人とつながって「情報」に価 値を見出す社会になった。この時代、情報の信頼の基礎は「個人」にあった。伝達者である「××」という個人を信用するから、その情報を信じるというわけ だ。
19世紀以降の近代国家の成立とともに新聞は大躍進を遂げた。その背後にも、電信の発明・発達や近代郵便制度の広がりというイノベー ションがあった。一方で、「個」に置かれていた信頼の基礎は「組織」へと移っていった。人々は「××」という記者個人よりも「朝日新聞」「中外物価新報 (日経新聞の前身)」といった組織に信頼を置くようになったのだ。「個」から「組織」の時代への変化が近代新聞社を生んだのである。
この組織の時代の新聞社が音をたてて崩れているのが、この20年の変化である。パソコンの普及で誰もが簡単に大量の情報を印刷でき、「インターネッ ト」によって、瞬時に多人数宛に情報を伝達できるようになった。輪転機と製版社員が必要だった新聞社は「装置産業」だった。巨大な資本と大量の社員と、販 売店網によってはじめて可能なビジネスだったのだ。この前提が新しいイノベーションによって崩れたわけだ。
その結果、「組織」にあった信頼が再び「個」に戻り始めた。ジャーナリストの田原総一朗氏のツイッターのフォロワーは現在35万人(4月13日現 在)。週刊経済誌の発行部数をゆうに上回っている。つまり「××新聞」が言うよりも「田原」という個人の言説のほうが影響がある状況になりつつあるのだ。
加えて広告モデルという構造も壊れた。大資本が必要な時代はメディアは寡占だったので、広告モデルが成り立った。大資本が必要でなくなり、寡占も崩れれば、期待収益率が低くなるのは資本主義の帰結だ。新聞は儲からない商売になったのである。
この広告モデルは情報への対価を不透明化するという点で麻薬だったといえる。読者は月額4383円(日経の場合)を情報料と思って支払っているが、 実際にはそのかなりの部分が販売店の維持費を含めた“配送コスト”に消えている。一方で、ネット上には無料の情報が多くある。読者からすれば、「4000 円以上も払っているのに、情報の質が低い」という不満が出てくる。「広告収入が減ったから情報の質が下がった」では読者は許してくれないのだ。
組織の時代から個の時代へ。これはいわば「原点回帰」である。大新聞という権威が崩れ、その発信する情報への信頼が揺らぐ一方、立脚点を明確にした 個人の情報発信への信頼が高まっている。個人が発行する有料メールマガジンも広がり、月1000円ほどの情報料で1000人以上の会員を集めるジャーナリ ストも出てきている。

だからといって組織ジャーナリズムが不要になったなどとは言わない。今後ますます増える個と個のネットワークに「場」を提供する機能が一段と求めら れるのは間違いない。ジャーナリズムを貫くのにも個では非力だ。だが縮小均衡を進める経営ではジリ貧だ。会社は、成長すれば利益が出るのを見ればわかる通 り、縮小すれば赤字が出る。縮小して均衡することはありえないのだが、日経を含め既存メディアの多くがこの縮小均衡のワナにはまっている。
弱体化させられた「市場」という軸足
日経には優位性がある、と書いた。経済という専門を持っているからだ。歴史的に日経の軸足は「市場」である。マーケットだ。市場は経済の鏡と言われ るが、日経という新聞はその市場の鏡の役目を果たしてきた。つまり、大企業や政府や特定の業界の利益を守るのではなく、資本市場の公正さを維持し、資本市 場を発展させていく機能を担っていた。それが経済専門である新聞の不偏不党、公正中立ということであったのは、昔の縮刷版を見れば一目瞭然である。資本市 場の成長とともに日経新聞が急成長を遂げたのは、半ば当然だった。
日経の編集局には「証券部」という部署がある。日経が市場に軸足を置いている一つの象徴のような部だ。私はそこで育った。機能は大きく分けて3つ。 証券会社や取引所など「市場」そのものを取材するグループ、株式市場に上場する「会社」を担当するグループ、債券市場や金融市場を取材する「公社債」を見 るグループの3つだ。
一番わかりにくいが象徴的なのが「会社」グループだ。上場企業を取材するが軸足は資本市場にある。市場が会社を適正に評価するための情報収集を担 う。決算情報や会社のM&A(合併・買収)戦略、長期の経営計画などを取材する。日経には企業に軸足を置いて取材する「産業部」もあるが、この2つが揃っ て日経の強さがあった。違う角度の2点から対象を見ると立体視ができるようなものだ。
証券部は自由だった。上意下達の組織型取材ではなく、記者ひとりが60社近くを担当し責任を持つ。新人記者でも一国一城の主だ。会社担当に配属され た若手記者は必ず「株主の金儲けの情報集めをしに新聞記者になったのではない」と不満を持つ。それに対してベテラン記者は「それは違う。正しい企業情報を 集めることで公正な市場を守っているのだ」と言ったものだ。
だからオリンパスのような事件が起きたら、証券部記者は怒ったものだ。オリンパス一社の問題ではない。市場そのものの信頼を揺るがす事件だからだ。 多くの証券部の先輩が、企業の不正を追及し、企業情報開示制度や会計・監査制度に大きな関心を持って取材してきたのはこのためだ。
ここ10年ほど経営陣は証券部を明らかに弱体化させてきた。それが主流派の非主流派潰しであったのかどうか、私には興味がない。小泉・竹中改革に 「市場原理主義」のレッテルが貼られ、自由主義市場経済型の政策そのものへの批判が強まったここ5年は、さらに顕著だった。市場に軸足を置いていれば、既 得権者ともいえる大企業や霞が関の神経を逆撫でするような記事を掲載することになる。当然、波風も立つわけで、それを嫌う幹部が増えたのだろう。
最近、日経の経営者は証券部を再強化すると言っているそうだ。だが縷々述べてきた立脚点を取り戻すのは簡単ではない。国内資本市場の衰退は政策によ る帰結だ。日経のレーゾンデートル(存在意義)が揺らいでいるのも、この「国のかたち」と無縁ではない。新聞を取り巻く歴史的な大転換と、市場よりも国家 という政策の流れの中で、日経を再成長路線に導くには確固たる信念と経営手腕が必要だろう。日本経済が成長力を取り戻すためにも、経済メディアの再興が不 可欠である。
※すべて雑誌掲載当時
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