伊藤博文著『憲法義解』の現代語訳

■□■□■ 伊藤博文著『憲法義解』の現代語訳(HISASHI)■□■□■
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htm

■■■ オロモルフによるまえがき ■■■

 以下は、インターネットにおける論客のお一人であるHISASHIさまによる、伊藤博文著『憲法義解』(大日本帝國憲法義解)の現代語訳(口語訳)です。
 昨今、現行憲法の改正についての議論がさかんになされておりますが。
 現行の憲法は占領下において占領軍が策定して施行された憲法であるため、その改正の手続きや考え方につきましても、さまざまな意見があります。
 現憲法をもとにして、その一部を改正するという意見もありますし、現憲法はいったん廃止して、明治に伊藤博文らによって策定された大日本帝國憲法(通称明治憲法)を改正する形式をとるべきだ、という意見もあります。
 読売新聞の案は前者のようですし、維新政党・新風の案(当保存頁に有り)は後者の意見による案です。
 どのような形にせよ、日本の近代的憲法は明治憲法にはじまるのですから、これの解読は議論する人の必須と思います。
 明治憲法の解説書としてもっとも有名なのは伊藤博文による『憲法義解』ですので、これを読むことから始めるのが、憲法改正論議の正統的な方法だろうと思います。
 しかし明治の文章であるため、我々素人には読みにくく、なかなか意味がくみ取れません。
 そこで、HISASHIさまに、その現代語訳をお願いしましたところ、多忙な時間をさいて連載して下さいました。
 これを読んでオロモルフが感じた最大のことは、
「伊藤博文たちが、『古事記』『日本書紀』にはじまる日本の歴史古典を十二分に研究して、それらを踏まえて上で、欧米の憲法を勉強して、明治憲法をつくっている点」
 ――でした。
 明治憲法といいますと、戦後は一般的に封建的とか軍国主義的とか、そういう話しかありませんので、本訳文はまことに啓蒙的であります。
 HISASHIさまに厚く御礼申し上げます。

 なお、法律の専門家である解法者氏による解説(連載中に発表されたもの)も、巻末に掲載させていただきました。
 解法者さまへも感謝いたします。


■■■ HISASHI氏による序文 ■■■

 本日より、お約束の憲法義解(伊藤博文著)の現代語訳を試みて行きます。原点は、国立国会図書館収蔵の書籍で、これは国立国会図書館のHPにある「電子図書館の蔵書」の「近代デジタルライブラリー」で読む事が出来ます。

・国立国会図書館HP
 URL:http://www.ndl.go.jp/index.html

なお、今回の試みは、オロモルフ様のHPの掲示板と私のHPの掲示板で行います。

・オロモルフ様のHP
 URL:http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/

・私のHP
 URL:http://www.nn.iij4u.or.jp/~yoshida0/index1.html

 さて、現代語訳とは言うものの、出来るだけ原書の雰囲気を大切にしたいと思い、熟語に付いては、国語辞典で引けるようなものに付いては、そのまま使用し ています(単なる手抜きか?)。また、訳文で所々おかしい所(表現として不適切な部分)が有るかもしれませんが、私の力量不足ですのでご容赦下さい。十分 な訳文では決してありませんが、原文を読んでいただく時の一助になればと思っています。

 また、私は憲法の専門家ではありません(法律の専門家ですらない)ので、法の解釈に付いては、ご容赦下さい。(まぁ、どう思うぐらいは言えますけれども)


■■■ 伊藤博文による序 ■■■

 謹んで思うには、皇室典範は歴聖の遺訓(歴代の天皇が残された教訓)を受け継いで記し、後世へ常軌しめしおくるもので有る。帝国憲法は、国家の大経を綱 挙(大綱を掲げること)して、君民の区別を明確にする。意義は精確で明らかであり、日や星のように文理は奥深く、書かれた言葉の美しさを誉め称えるところ は無い。これは全て、遠くまで見渡した大いなる計画で、ひとえに聖裁によるところで有る。博文、密かに属僚とともに研磨考究した事を、余さず記録して筆記 とし、原稿を判り易く繕写して、名づけて義解という。敢えて大典の解説や説明とするのではなく、いささか備考の一つに付け加えられる事を冀うだけである。 もしそれ、精通し類推して意味を押し広めて解き明かす事は、後の人に望む事であり、博文の敢えて企てる所ではない。謹んで書き記す。

明治二十二年四月 伯爵 伊藤博文


大日本帝国憲法義解

 謹んで思うには、わが国の君民の区別は既に建国の時点で定まり、中世ではしばしば、変乱を経て、政綱の統一を緩めてしまったが、大命が下り維新において 皇運が盛んになり、貴い詔を公布して立憲の大いなる計画を宣言され、上は元首の大権を統一し、下は股肱の力を広げ、それは臣下の輔弼(助け)と議会の翼賛 (力添え)によって組織は各々その所を得る。そして臣民の権利及び義務を明らかにして、益々その幸福を進める事を確信する。これは全て祖宗(歴代の天皇陛 下)の遺業であって、その源を解き明かして、その流を通すもので有る。


■■■ 第一章 天皇 ■■■


◆◆◆ 第一条 ◆◆◆

第一条 大日本帝国は萬世一系の天皇之を統治す(大日本帝国は、万世一系の天皇によって統治される。)

 謹んで思うには、神祖(神として祭られている先祖)が建国されて以来、時には盛衰が有りはしても、世の中に治乱が有りはしても、皇統一系の貴い位の盛ん である事は、天地とともに有り終わりが無い。本条は憲法の最初に立国の大義を掲げて、我が日本帝国は一系の皇統とともに終始し、今も昔も永遠にあり、一が あって二がなく常があって変がないことを示して、それによって君臣の関係を永遠に明らかにする。
統治は、大位(天皇の位)に就いて大権を統べ、国土と臣民を治めることである。古典には天祖の勅を挙げて、「瑞穂国(日本)は我が子孫が王となるべき地で ある。皇孫よ行って治めなさい」といわれた。また、神祖を称えて祭り始御国天皇(はつくにしらすすめらみこと)といわれた。日本武尊の言葉に「私は纏向 (まきむく)の日代宮(ひしろのみや)で大八島国(おおやしまのくに)を知ろしめす(治めておられる)大帯日子淤斯呂和気天皇(おおたらしひこおしろわけ のすめらみこと)の御子」とある。文武天皇(もんむてんのう)即位の詔に「天皇の御子が次々に継いでこられた大八島国を治める順」といわれた。また、天下 を調査し平穏にされ、公民に恵みを与え慰撫された代々の天皇は、皆、このことによって伝国の大訓とされ、その後の「御大八州天皇(おおやしましろしめすす めらみこと)」ということで、詔書の例式とされた。所謂「しらす」とは即ち統治の意味に他ならない。蓋し、歴代の天皇はその天職を重んじ、君主の徳は八州 臣民を統治するためにあって、一人一家に享奉する私事では無いことを示された。これは、この憲法のよりどころであり、基礎とするところである。
倭が帝国の領域は、古に大八島というのは淡路島[即ち今の淡路]、秋津島[即ち本島]、伊予の二名島[即ち四国]、筑紫島[即ち九州]、壱岐島津島[津 島、即ち対馬]、隠岐島佐渡島をいう事は、古典に記載されている。景行天皇が東の蝦夷を征伐し、西の熊襲を平定し国土が大いに定まった。推古天皇の時には 百八十余の国造があり、延喜式に至り六十六国及び二島の区画を載せた。明治元年、陸奥出羽の二国を分けて七国にし、北海道に十一国を置く。ここにおいて全 国合わせて八十四国とした。現在の国の境は、実に古の所謂大八島、延喜式の六十六国及び各島、並びに北海道沖縄諸島、及び小笠原諸島とする。蓋し、土地と 人民とは国を成立させる根本であり、一定の国土は一定の我国を成り立たせ、そして、一定の憲章がその間で行われる事により、一国は一個人の如く、一国の国 土は一個人の体躯の如くをもって統一完全な領域をなす。


◆◆◆ 第二条 ◆◆◆

第二条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す(皇位は皇室典範の定めに従って、皇統の男系の男性子孫が継承する。)

 謹んで思うには、皇位の継承は祖宗以来、既に明快な遺訓があり、皇子孫に伝え永遠に変わる事が無い。もし継承の順序に至って新たに勅定する皇室典範にお いて、これを細かな点まではっきり記載し、それを皇室の家法とし、さらに憲法の条章にこれを掲げる事を用いないのは、将来、臣民の干渉を要れないことを示 している。
皇男子孫とは、祖宗の皇統における男系の男子をいう。この文は皇室典範の第一条と同等である。


◆◆◆ 第三条 ◆◆◆

第三条 天皇は神聖にして侵すべからず(天皇は神聖であり、侵してはならない)

 謹んで思うには、天地が別れて神聖位を正す[古事記]。蓋し、天皇は天が許された神慮のままの至聖であり、臣民や群類の上に存在され、仰ぎ尊ぶべきであ り、干犯(干渉し権利を侵すこと)すべきではない。故に、君主は言うまでも無く法律を敬重しなければ成らないが、法律は君主を責問する力は持っていない。 しかも、不敬をもってその身体を干涜(干渉し冒涜すること)のみならず、指差して非難したり議論したりする対象外とする。


◆◆◆ 第四条 ◆◆◆

第四条 天皇は国の元首にして統治権を総攬しこの憲法の条規により之を行う(天皇は国家元首であり、統治権を統合して掌握し、憲法の規定により統治を行う)

 謹んで思うには、統治の大権は、天皇がこれを祖宗から受け継ぎ、子孫に伝える立法行政百揆の事など。おおよそ国家に臨御し(帝位について治めること)、 臣民を綏撫(安心するように抑えしずめること)するところの者は、一に皆、これを至尊に全てその綱領を集めるのは、例えば人の身に四支百骸(手足と骨)が あって、精神の経絡は全てその水源を首脳に取る事と同じで有る。故に大政の統一は、あたかも人心が二つも三つも無いのと同じで有る。ただし、憲法を親裁し 君民が共に守る大典とし、その条規に尊由して誤らず取りこぼさずの盛意(有難い思し召し)を明らかにされるのは、即ち自ら天職を重んじて世運と共に永遠の 規模を大成する者で有る。蓋し、統治権を総攬するのは、主権の「体」である。憲法の条規によってこれを行うのは「用」である。「体」があって「用」が無け れば、これを専制に失ってしまう。「用」があって「体」が無ければ、これを散漫に失ってしまう。
附記:欧州で最近、政治理論を論ずる者の説に言うには、「国家の大権は大別して二つで有る。立法権・行政権であり、司法権は実に行政権の支派である。三権 各々その機関の輔翼によってこれを行う事は、ひとえに皆元首に淵源する。蓋し、国家の大権は、これを国家の体現で有る元首に集めれば、これによってその生 機を持つことが出来なくなる。憲法は即ち国家の各部機関に向けて適当な定分を与え、その経絡機能を持たせるものであって、君主は憲法の条規によって、その 天職を行う者で有る。故に彼のローマで行われた、無限権勢の説はもとより、立憲の主義ではない。そして西暦18世紀の末に行われた三権を分立して君主は特 に行政権を執行するとの説の如きは、国家の正当なる解釈を誤るもので有る」と。この説は我が憲法の主義と相発揮するに足る物があるので、ここに附記して、 参考に当てる。


◆◆◆ 第五条 ◆◆◆

第五条 天皇は帝国議会の協賛を以て立法権を行う(天皇は帝国議会の協賛により立法権を行使する)

 謹んで思うには、立法は天皇の大権に属しており、そして、これを行使する時は必ず議会の協賛の上で行使する。天皇は、内閣に起草させ、或いは議会の提案 により、両院の同意を経た後に、これを裁可して始めて法律を作る事が出来る。故に至尊は独り行政の中枢であるばかりでなく、また立法の淵源でもある。
附記:これを欧州の状況を参考すると、百年以来、偏理の論(偏った理論)が時の移り変わりと投合して、立法の事を主として議会の権利に所属させ、或いは法 律を以て上下の約束として君民共同の事柄とすることを重点にするのは、要するに主権統一の大義を誤るもので有ることを免れない。我が建国の体にあって国権 の出所は、一があって二が無いのは、たとえば、主の一つの意思は、よく百骸(体全体)をしし指使(指揮して人を使うこと)するようなもので有る。議会の設 置は、元首を助けて、その機能を完全にし、国家の意思を精錬強建(よく鍛え、強くすること)にしようとする効用を認めるのにほかならない。立法の大権は、 もとより天皇の統合掌握されるところであり、議会は協翼参賛(共同し力をあわせて賛同すること)の任にある。本末の関係は厳然として、乱れるようなことを しては成らない。


◆◆◆ 第六条 ◆◆◆

第六条 天皇は法律を裁可し其の公布及び執行を命ず(天皇は法律を裁可して、その公布と執行を命じる)

 謹んで思うには、法律を裁可し、形式に則って公布させ、執行の処分を命令する。裁可によって立法行為を完結し、公布により臣民尊行の効力が生じる。これ は、全て至尊の大権である。裁可の権限が至尊に属するもので有るときは、裁可しない権限もこれに従う事は、言わずと知れたことで有る。裁可は天皇の立法に おける大権の発動するところで有る。故に議会の協賛と経ていると言えども、裁可が無ければ法律として成立しない。蓋し、古の言葉に「法を読みて、宣(の り)とす」と播磨風土記に云う。大法山[いま、名勝部岡]品太天皇(ほむたのすめらみこと)[応神天皇]「この山において大法を宣られた。故に大法山とい う。」との言葉は、古伝遺族を徴明(しるしを明らかにする)する一大資料で有る。そして、法律は即ち王言であることは、古人が既に一定の釈義があって、誤 る事は無い。
附記:これを欧州の論を参考してみると、君主が法案の成議を拒む権限を論ずる者、その説は一つではない。英国においては、これにより君主の立法権に属し、 三体[君主及び上院下院をいう]の平衡の兆證とし、仏国の学者は、これにより行政の立法に対する節制の権限とする。控えめに見て彼の所謂、拒否権は消極的 な主義であり、法を立てる者は議会であり、これを拒否する者は君主で有る。或いは、君主の大権により行政の一偏に局限し、或いは君主は立法の一部分を占領 させる論理に出る者であるに過ぎない。我が憲法は、法律は必ず王命によるという積極的な主義を取るもので有る。故に裁可により始めて法律として成立する。 それは、ただ王命による故に、従って裁可しない権限もあり、これは、彼の拒否の権と似ているが、実は天と地の差があるものである。


◆◆◆ 第七条 ◆◆◆

第七条 天皇は帝国議会を召集し其の開会閉会停会及び衆議院の解散を命ず(天皇は帝国議会を召集し、その開会・閉会・停会及び衆議院の解散を命じる)

 謹んで思うには、議会を召集するのは、もっぱら至尊の大権に属する。召集によらず議員自らが会集するのは、憲法の認めるところでは無い。そして、その議論・議決する全ての事は、効力が無い。
 召集の後の議会を開閉し、両院の終始を制御するのは、また均しく至尊の大権による。開会の初、天皇自ら議会に臨み、または特命勅使を派遣して勅語を伝え させるのを形式とし、そして議会の議事を開始するのは、必ずその後に行う。開会の前・閉会の後において議事を行う事は、全て無効にする。
 停会は、議会の議事を中断させることで有る。期限のある停会は、其の期限を経て会議を継続する。
 衆議院を解散するのは、さらに新選の議員に向って、与論の所属するところを問う事とで有る。これに貴族院を対象にしないのは、貴族院は停会すべきであり、解散すべきで無いからで有る。


◆◆◆ 第八条 ◆◆◆

第八条 天皇は公共の安全を保持し又は其の災厄を避くる為緊急の必要に由り帝国議会閉会の場合に於て法律に代わるべき勅令を発す
この勅令は次の会期に於て帝国議会に提出すべし若議会に於て承諾せさるときは政府は将来に向て其の効力を失うことを公布すへし
(天皇は公共の安全を保持し、その災厄を避けるため緊急の必要があり、かつ帝国議会が閉会中の場合は、法律に代わる勅令を発する
この勅令は、次の会期に帝国議会に提出しなければならない。もし、議会において承認されなければ、政府は将来その勅令の効力が失われることを公布しなければならない)

 謹んで思うには、国家の一旦急迫が発生した時や国民に凶荒な疫病が発生したり、その他災害が発生した時は、公共の安全を保ち、その災厄を予防救済するた めに力の及ぶ限り必要な処分を施さなければならない。この時に議会が偶々開会していなければ、政府は進んでその責任を司り勅令を発して、法律に代え手抜か りの無いようにするのは、国家の自衛と保存の道において、もとより止むを得ざるものである。故に前五条において立法権の行用は議会の協賛を経てと言ったの は、その常の状態を示したのであり、本条に勅令を法律に代える事を許すのは、緊急時の為に除外される例を示す物で有り、これを緊急命令の権とする。よくよ く緊急命令の権は憲法の許すところであり、また憲法のもっとも乱用を戒めるところである。憲法は公共の安全を保持し、又は災厄を避けるために、緊急で必要 な限りこの特権を用いることを許し、そして利益を保護し幸福を増進するという通常の理由により、これを乱用することを許さない。故に緊急命令は、これを発 令するときに本条に準拠することを宣言する事を形式とすべきである。もし、政府がこの特権に託し容易に議会の公議を回避する方便として、また容易に既定の 法律を破壊するに至る事があれば、憲法の条規は空文に帰し、一つも臣民の為に保障をなすことが出来なくなる。故に本条は、議会にこの特権の監督者としての 役割を与え、緊急命令を事後に検査して之を承諾させる必要のある事を定めた。
本条は憲法の中で疑問の一番多いものだ。今、逐一問いを設けて之を解釈しようと思う。
第一、この勅令は法律の欠けている部分を補充する事に止まるのか、又は現行の法律を停止し変更し廃止する事が出来るのか。
曰く、この勅令は既に憲法により法律に代わる力を持っている時は、おおよそ法律が出来る事が出来るのは、すべてこの勅令の出来る事である。ただし、次の会 期において議会がもし承諾しなかったときは、政府はこの勅令の効力が失われる事を公布すると同時に、その廃止又は変更した法律をすべ元の状態に戻さなけれ ばならない。

第二、議会において、この勅令を承諾するときは、その効力はどのようになるのか。
曰く、更に公布しなくても、勅令は将来に渡って法律としての効力を継続する。

第三、議会において、この勅令の承諾を拒むときは、政府は更に将来効力を失う旨の公布しなければならない義務を負うのは何故か。
曰く、公布によって始めて人民が尊由する義務を解く事が出来るからで有る。

第四、議会はどのような理由により、その承諾を拒む事が出来るのか。
曰く、この勅令が憲法に矛盾し、又は本条に掲げた要件(緊急かつ議会が閉会中)を満たしていない事を発見した時、又はその立法上の意見によって承諾を拒む事が出来る。

第五、この勅令を政府がもし次の会期に議会に提出しなかったとき、或いは議会が承諾を拒んだ後、政府が廃止するとの命令を発令しない場合は、どのようになるのか。
曰く、政府は憲法違反の責任を負う事になる。

第六、議会がもし承諾を拒んだときは、以前に遡って勅令の効力の取り消しを求めることが出来るのか。
曰く、憲法は、既に君主が緊急勅令を発して法律に代える事を許している。その勅令が存在している間は、その効力を有する事は当然で有る。故に議会がこれを 承諾しないときは、単に将来法律として継続して効力を持つ事を拒む事が出来るだけであり、そして、過去に拒否の効力を及ぼす事は出来ない。

第七、議会は、勅令を修正した後承諾する事が出来るのか。
曰く、本条の正文によれば議会は、これを承諾するか承諾しないかの二つに一つを選ぶ事が出来るだけである。だから、これを修正する事は出来ない。


◆◆◆ 第九条 ◆◆◆

第九条 天皇は法律を執行するために又は公共の安寧秩序を保持し及び臣民の幸福を増進する為に必要なる命令を発し又は発せしむ但し命令を以て法律を変更す る事を得ず(天皇は、法律を執行するため、又は公共の安寧と秩序を保持し、及び臣民の幸福を増進する為に必要な命令を発令するか発令させる事が出来る。た だし、命令で法律を変更する事は出来ない)

 謹んで思うには、本条は行政命令の大権を掲げたもので有る。蓋し、法律は必ず議会の協賛を経て、そして命令はもっぱら天皇の裁定によって出る。命令の発 令するところの目的は二つ有る。一つは、法律を執行するための処分並びに詳説(詳しい説明)を既定する。二つ目は、公共の安寧・秩序を保持し及び臣民の幸 福を増進する為の必要において行う。これは全て行政の大権により、法律の手続きによらずに一般尊由の条規を設ける事が出来る。蓋し、法律と命令とは、均し く臣民に尊守の義務を負わせるものである。但し、法律は命令を変更できるが、命令は法律を変更する事が出来ない。もし、双方が矛盾する事態になったなら、 法律は常に命令の上に効力を有すべきである。
命令は、均しく至尊の大権による。そして、その勅裁にでて親署を経るものを勅令とする。その他、閣省(内閣と省庁)の命令は、全て天皇大権の委任による。本条に命令を発令し、または、発令させるというのは、この両方の命令を兼ねて言い表している。
前条に掲げた緊急命令は、法律に代わる事が出来るが、本条に掲げる行政命令は法律の範囲内で処分し、又は、法律の欠けている部分を補充する事が出来るけれ ども、法律を変更し、及び憲法に特に掲げて法律を要するところの事件を既定する事は出来ない。行政命令は常に用いる物であり、緊急命令は変事に用いるもの である。
附記:これを欧州の論を参考にすると、命令の久息を論ずるものは、その主義は一つだけではない。
第一にフランス・ベルギーの憲法は、命令の区域をもっぱら法律を執行するのに止め、そしてドイツの憲法は、またこれを模倣したのは君主の行政の大権を狭局 (狭い局所)の範囲の中に制限するという誤った考えである事を免れない。蓋し、所謂行政はもとより法律の条規を執行するのに止まらず、なんとなれば法律は 普通準縄の為にその大則を定める能力があって、そして様々な事物の活動に対して、逐一それに応じた処置を指示する事は出来ないのは、あたかも一個人の予定 する志は、行動の芳香を指導すべきだと言っても、変化は極まりない事情に順応して、その機宜を誤らないのは、また必ず臨時の思慮を要す事と同じである。も し、行政で法律を執行する限りの所で止まらせると、国家は法律が欠けた部分において当然職責をつくすための根拠がない事になる。故に、命令は独り執行の作 用に止まらず、時宜の必要に応じて、その固有の意思を発動することである。
第二に法理を論じる者は、安寧・秩序を保持する事が、行政命令の唯一の目的とする者があるのは、これまた行政の区域を定めるのに適当な釈義を欠く者であ る。蓋し、古の欧州各国政府は、安寧を保持するのを最大の職責とし、内治においては、ひとえに仮初に主としたのであり、人文が漸く開け政治が益々進むに及 んで、始めて経済及び教育の方法により、人民の生活及び知識を発達させ、その幸福を増進する事の必要性を発見するに至った。故に行政命令の目的は、独り警 察の消極的手段に止まらず、更に一歩を進めて経済上で国民を富殖し、教育上でその知識を開発する積極的手段を取る事を務めなければならない。但し、行政は もとより各人の法律上の自由を犯すべきではない。その適当な範囲で勤導扶掖して、その発達を喚起すべきである。行政はもとより法律が既に制定した限界を離 れないようにして、法律を保護し、それにより国家の職責を当然の区域の内につくすべきである。


◆◆◆ 第十条 ◆◆◆

第十条 天皇は行政各部の官制及び文武官の俸給を定め文武官を任免す但し此の憲法又は他の法律に特例を掲げたるものは各々其の条項に依る(天皇は、行政各 部の官吏の制度、及び文武官の俸給を定め、文武官を任免する。但し、この憲法、又は他の法律で特例を既定した場合は、その条項に従う。)

 謹んで思うには、至尊は建国の必要から、行政各部の官局を設置して、その適当な組織及び職権を定めて、文武の人材を任用したり罷免したりする大権を執 る。これを上古に見てみると神武天皇が大業を定めて国造・県主をおいた事が立官として始めて歴史にみえるものである。孝徳天皇が八省を置いた事で、職官が 大いに整備された。維新の初に大宝律令の官制は旧式であるため、職官を増減した。その後、数度の更新拡張を経て、官制及び俸給の制度を定められた。そし て、大臣は天皇が親しく任免し、勅任以下の高等官は、大臣の上奏により最下を経てこれを任免する。均しく全て至尊の大命に出ないものは無い。但し、裁判所 及び会計検査院の構成は、勅令によらず法律でこれを定め、裁判官の罷免は裁判により行うのは、憲法及び法律の掲げる特例によるものである。
官を分割し職を設ける事は、既に王者の大権に属するときは、俸給を給与することも、大権に付属すべきである。
附記:これをドイツの歴史上の事柄を検討すると、昔、官吏の任免はもっぱら君主及び長官の随意に任せていて、十七世紀になって帝国大裁判所の裁判官は、裁 判によらなければその官を免ずる事が出来ないとし、この原則を帝国参事官にも適用した。その後、十八世紀に至って行政官吏の任職もまた、その確定権利に属 すると言う節が行われ、往々にして、各国が法律に採用するところとなったが、十九世紀の初に、官吏は俸給について確定の権利が有るといっても、その職につ いてこれを有することなし。故に俸給又は恩給を与えて、その職を罷免するのは、行政上の処分でたるという主義を論じる者が有る。この論理は、主にバイエル ンの官吏の職制法の掲げる所である。政府は、懲戒裁判によらずに行政上の便宜によって、官吏の官階及び官階俸を残して、その職務及び職務俸及び職服を解く ことを得させた。[1818年法]。ただ独り英国は、ドイツ各国とはもともと異なっていて、ある一部の官吏を除く他は、君主の随意に文武官を任免する特権 があるものとしているのは、今も昔の通りである。


◆◆◆ 第十一条 ◆◆◆

第十一条 天皇は陸海軍を統帥す(天皇は陸海軍を統率する)

 謹んで思うには、太祖は実に神武(神の武力)をもって帝国を建国し、物部・靫負部・来目部を統率して、後を継いだ歴代の天皇も内外に事が起これば、自ら 兵を率い征討を自ら行い、或いは皇子皇孫を代わりに行かせ、そして臣連の二造はその副将である。天武天皇は兵政官の長をおき、文武天皇は大いに軍令を修 め、三軍を統率するのに大将軍が一人いる。大将の出征には必ず節刀を授ける。兵馬の権は朝廷にあり、その後は兵事が武門に移り、政治の大綱がそれによって 衰えた。
今上中興の始め、親征の詔を発して、大権を総攬し、それ以後兵制を改革し、長年の悪弊を洗い除き、帷幕の本部を設け、自ら陸海軍を統率された。そして、祖 宗の光り輝く功績を再びその昔にかえすことが出来た、本条は兵馬の統一は、至尊の大権で、もっぱら帷幄の大令に属すことを示している。


◆◆◆ 第十二条 ◆◆◆

第十二条 天皇は陸海軍の編成及び常備兵額を定める(天皇は陸海軍の編成と常備軍の予算を定める)

 謹んで思うには、本条は陸海軍の編成と常備兵額もまた天皇が親裁する所であることを示している。これは、もとより責任大臣の輔翼によるといっても、帷幄 の軍令と均しく至尊の大権に属すべきであり、そして議会の干渉受けないものである。所謂編成の大権は細かく言えば、軍隊や艦隊の編成及び管区・方面から兵 器の備用、給与、軍人の教育、検閲、紀律、礼式、服制、衛戍、城塞及び海防、守港並びに出師準備の類、全て大権の中にある。常備兵額を定と言うときは、毎 年の徴員を定めることもまた、その中にある。


◆◆◆ 第十三条 ◆◆◆

第十三条 天皇は戦を宣し和を講じ及び諸般の条約を締結す(天皇は宣戦布告を行い、講和条約を結び、その他の条約を締結する。)

 謹んで思うには、外国と交戦を宣告したり、和親を講盟したり、条約を締結したりする事は、全て至尊の大権に属し、議会の参賛は不要である。これは、一つ 目は君主は外国に対して国家を代表する主権の統一を欲し、二つ目は和戦及び条約の事は、もっぱら時機に応じて謀は迅速であることを尊ぶことによる。諸般の 条約とは、和親、貿易、連盟の約束をいう。
附記;欧州の旧例では、中古各国の君主は、往々にして外交の事を自ら行い、英国のウイリヤム三世のごときは、自ら外務長官の任に当たり当時の人は、その外 交事務に長じたことを賞賛した。近年立憲主義が漸く進歩したことにより、各国の外交の事務は、責任大臣の管掌に属し君主はその輔翼によりこれを行う事は、 他の行政事務と同じになった。ナポレオンがフランスの執権であった時、両国の講和の所管を作り、直ちに英国の君主に送ったが、英国はその書簡を受けて、外 務執政(外務大臣)の書によって、これに答えた。今日国際法においては、慶弔の親書を除く外は、各国交際条約の事は、全て執政大臣を経由することを列国は 是認している。本条の掲げた所は、もっぱら議会の干渉によらず天皇は、その大臣の輔翼により外交事務を行う事を言っている。


◆◆◆ 第十四条 ◆◆◆

第十四条 天皇は戒厳を宣告す(天皇は戒厳を宣告する)
 戒厳の要件及び効力は法律を以て之を定(戒厳の要件及び効力は法律によって定める)

 謹んで思うには、戒厳は外敵・内変の時機の臨んで常の法律を停止し、司法及び行政の一部を挙げて、これを軍事的処分に委ねるものである。本条は戒厳の要 件及び効力を法律の定めるところとし、その法律の条項に準拠して、時に臨んでこれを宣告したり、又はその宣告を解除したりするのは、至尊の大権に帰す。要 件とは、戒厳を宣告する時機及び区域における必要な範囲及び宣告するために必要な規程をいう。効力とは、戒厳を宣告した結果により権力の及ぶ限界をいう。
包囲した地にあって、戦権を施行し臨時に戒厳を宣告することは、これをその地の司令官に委ね、処分してのちに上申することを許す。これは法律において便宜的に至尊の大権を将帥に委任するものである。[十五年三十号布告]


◆◆◆ 第十五条 ◆◆◆

第十五条 天皇は爵位勲章及び其の他の栄典を授与す(天皇は爵位、勲章、及び其の他の栄典を授与する)

 謹んで思うには、至尊は栄誉の源泉である。蓋し、功績を賞賛し、労に報い、卓越した行いや善い提案を表彰し顕栄の品位記章及び殊典を授与するのは、もっ ぱら至尊の大権に属する。そして臣下が盗み弄ぶ事は相容れないものである。わが国の太古は簡単で素朴な世の中で、姓(かばね)を用いて貴賎を分けていた。 推古天皇が始めて冠位十二階を定めて諸臣に分け賜れた。天武天皇は四十八階を定められ、文武天皇は賜冠を廃止して変わって位記を用いた。大宝令が掲載する ところ、おおよそ三十階。これは今の位階の始まりであり、また勲位十二等は武功を賞し、及び孝弟力田の人に賜った。中古以降は武門の専権の時代で、賞罰の 事柄は幕府に移ったといっても、叙授の儀典は朝廷に属する事は失われず、維新の後に明治二年には位制を定めて一位より九位に至る。八年には勲等の賞牌の制 を定め、十七年には五等爵の制を定めた。これは全て賞奨を明らかにして顕栄の大典を示すものである。


◆◆◆ 第十六条 ◆◆◆

第十六条 天皇は大赦特赦減刑及復権を命す(天皇は、大赦、特赦、減刑及び復権を命令する)

 謹んで思うには、国家は既に法廷を設け、司法を置き正理公道で平等に臣民の権利を保護させる。そして、なお法律が未だに諸般の事情を事細かに出来ず、時 には犯人の事情により同情すべき者がある。立法および司法の行為により、不足を補えないことを恐れる。故に恩赦の権は、至尊の情け深い特典で法律の及ばな いところを補い、民に温情を得られない者が無いようにするためである。
大赦は、特別の場合に特別な恩典を施行するものであり、一つの種類の犯罪に対してこれを赦す。特赦は一個人の犯人に対してその刑を赦す。減刑は、既に宣告された刑を減ずる。復権は既に剥奪された公権を復ことである。

第四条以下第十六条に至るまで、元首の大権を列挙する。よくよく元首の大権は、憲法の正条でこれを制限する他は、及ばない所が無い事は、あたかも太陽光線 の遮蔽の外に映射される所が無いことと同じである。これはもとより、逐一列挙されることによって存在するわけでない。そして憲法に掲げる所は、既にその大 綱を挙げ、またその節目の中の要領を羅列して標準を示すに過ぎない。故に貨幣鋳造する権や度量を定める権などは、いちいちこれを詳らかにする必要がなく省 略しているだけで、これらを包括する所のものである。


◆◆◆ 第十七条 ◆◆◆

第十七条 摂政を置くは皇室典範の定むる所に依る(摂政を置くのは皇室典範の定めるところによる)
 摂政は天皇の名に於て大権を行う(摂政は天皇の代理として大権を行使する)

 謹んで思うには、摂政は天皇の職務を代わって行う。故に凡そ至尊の名分を除く外は、一切の大政全てを天皇の代理として行い、及び大政に付いてその責務を 任される事は天皇と同じである。但し、第七十五条の場合に制限する所が合うことを除けば、「天皇の名に於いて」というときは、天皇に代わってといえるのと 同じである。蓋し、摂政の政令は即ち天皇に代わりこれを宣言し布告することである。
摂政を置くのは、皇室の家法による。摂政として王者の体験を総攬する事は、こと国憲に係る。故に後者はこれを憲法に掲げて、前者は皇室典範の定める所によ る。蓋し、摂政を置くことの逃避を定めるのは、もっぱら皇室に属すことであり、そして臣民が容喙することでは無い。よくよく天子に違例の事があり、政治を 自ら行うことが出来ない事は、稀に見る変局であり、そして国家動乱の機会もまた、往々にこういった時期に内在している。彼の或る国では、両院で協議し摂政 を設ける必要性を議決することを憲法に掲げるような事は、皇室の大事を民議の多数に委ね皇統の尊厳を干渉し冒涜する糸口を啓く者に近い。本条は、摂政を置 く要件を皇室典範に譲り、これを憲法に載せないのは、もっぱら国体を重んじ、僅かなことにも用心して大事を防ぎ兆を慎む。


■■■ 第二章 臣民権利義務 ■■■

第二章 臣民権利義務

第二章は第一章に続き臣民の権利及び義務を掲げる。蓋し、祖宗の政治は、もっぱら臣民を愛重して、名づけて大宝(おおみたから)の称号をもってした。非常 の赦しの時に検非違使を使わして、囚徒を抑える言葉に、公御財(おおみたから)となし御調物(みつぎもの)を備え進と云った。[江家次第]歴世の天子の即 位の日には、皇親以下天下の人民を集めて、大詔を述べられ、その言葉に集まり侍る皇子等、王、臣、百官の人等、天下公民、諸々聞きなさいと詔され、史臣が 用いる公民の字は即ち「オホミタカラ」の名称を訳した。その臣民にあって、自ら称えて御民と云う。天平六年に海犬養宿禰岡麻呂が詔に答えた歌に ミタミワ レ、イケル、シルシ、アリ、アメツチノ、サカユルトキニ、アヘラク、オモヘハト 詠んだのはこれである。蓋し、上にあっては愛重の意を邦国の宝をもって表 し、下にあっては大君に服従し自ずと顕れて幸福の臣民とする。これはわが国の典故旧俗に存在し、本章に掲げる臣民の権利義務もこれを源流とするのに他なら ない。よくよく中古、武門の政治は武士と平民との間に等族を分かち、甲者(武士)を公権の専有者として、乙者(平民)の預からない事としたのみならず、そ の私権をあわせて乙者が享有(生まれながらに持っていること)する事が全く出来なかった。公民の義は、これに依って減絶して、伸びる事はなかった。維新の 後に、数々の大令を出し、氏族の特異な権利を廃止し、日本臣民である者が始めて平等にその権利を持ち、その義務を盡くすことを得られた。本章に掲載すると ころは、実に中興の美果を倍殖して、これを永久に保ち明らかにするものである。


◆◆◆ 第十八条 ◆◆◆

第十八条 日本臣民たるの要件は法律の定むる所に依る(日本臣民であるための条件は法律の定めるところによる)

日本臣民とは、外国臣民とこれを区別するための言葉である。日本臣民であるものは、各々法律上の公権及び私権を享有している。この臣民である条件は、法律 で定める必要があある。日本臣民であるには、二種類あり、第一は出生によるもの。第二は帰化又はその他法律の効力によるものである。
国民の身分は、別の法律で定める所による。但し、私権の完全な享有と、公権はもっぱら国民の身分に随伴するので、特に別の法律で定める旨を憲法に掲げる事 を怠らない。故に別の法律に掲げる所は、即ち憲法の指令するところであり、また憲法における臣民権利義務の係属するところである。
選挙、被選の権、任官の権の類を公権とする。公権は憲法又は其の他の法律でこれを認定し、もっぱら本国人の享有するもので、外国人に許さないのは各国の普 通の公法である。私権に至っては、内外の間に懸絶の区別をしたのは、既に歴史上の往時に属し、今日では一・二の例外を除く外は、各国でも大抵、外国人を本 国人と同ようにこれを享受出来るようにする傾向がある。


◆◆◆ 第十九条 ◆◆◆

第十九条 日本臣民は法律命令の定むる所の資格に応じ均しく文武官に任ぜられ及び其の他の公務に就くことを得(日本臣民は法律命令の定める資格に応じて均しく文武官に任命され、及びその他の公務に就くことが出来る)

文武官に登用任命し、その他の公務に就くのは、門閥(出身)に拘わらず、これを維新改革の美果の一つとする。往昔は門地で品流を差別され、時には官が家に 属し、族によって職を世襲し、賎類の出身者は才能があっても顕要の職に登用されることが出来なかった。維新の後、陋習を一掃して、門閥の弊害を除き、爵位 の等級は一つも官に就く事の平等性を妨げる事はない。これは、憲法で本条が保ち明らかにするところである。但し、法律命令で定める相当の資格、即ち年齢、 納税及び試験での能力の諸般の資格は、官職及び公務に就くための条件であるのみ。
日本臣民は、均しく文武官に任命され、その他の公務に就く事が出来るというときは、特別の規定がある場合を除き、外国臣民にこの権利を及ぼさないことを知るべきである。


◆◆◆ 第二十条 ◆◆◆

第二十条 日本臣民は法律の定むる所に従い兵役の義務を有す(日本臣民は法律の定めに従って、兵役に就く義務がある)

日本臣民は日本帝国成立の分子であり、共に国の生存独立及び光栄を守る者である。上古以来わが臣民は、事ある時に自分の体や家族などの私事を犠牲にして、 本国を防御することを以て丈夫の事とし、忠義の精神は栄誉の勧請と共に人々の祖先以来の遺伝に発し、心肝に浸透して、一般の気風を結成した。聖武天皇の詔 に言うには大伴佐伯の宿禰は、常に言っているように、天皇の朝廷を守り仕える事に自己を顧みない人たちであり、汝等の祖先が言い伝えてきたことのように 『海行かば水積く屍、山行かば草生す屍、王の辺にこそ死なめ、のどには死なじ(海に戦えば水につかる屍、山に戦えば草が生える屍になろうとも王のお側近く で死のう、それ以外ののどかな死に方はしない)』と言い伝えている人たちだと聞いている」と。この歌は、即ち武臣の相伝えて以て忠武を教育することの成せ る事である。大宝以来軍団を設け、海内の壮丁で兵役に堪えうる者を募る。持統天皇の時に国毎に正丁の四分の一を取っ他事は、即ち徴兵の制度がこの事により 始まったことを示している。武門執権の時代に至って、兵と農の職を分離し、兵武の事を以て一種族の事業とし、旧制が久しく失われていたが、維新の後、明治 四年に武士の常職を解き、五年には古制に基づいて徴兵の例を領行して、二十歳に達した全国男子は陸軍海軍の兵役に当たらせて、平時の毎年の徴員は常備軍の 編成に従って、それ以外に十七歳より四十歳までの人員は、悉く国民軍として戦時に当たって臨時召集する制度とした。これは、徴兵法が現在行われている所で ある。本条は、法律の定める所によって、全国臣民を兵役に服する義務を執らせ、類族門葉に拘らず一般にその士気身体を併せて平生に教育させ、一国の勇武の 気風を保持して、将来失墜させないようにすることを期するのである。


◆◆◆ 第二十一条 ◆◆◆

第二十一条 日本臣民は法律の定める所に従い納税の義務を有す(日本臣民は、法律の定める所により、納税の義務がある。)

納税は、一国が共同して生存するための必要に供応する者であり、兵役と均しく臣民の国家に対する義務の一つである。
租税は古言に「ちから」と云い、民力を輸送するという意味であり、税を科するのは「おふす」と云い、各人に負わせるという意味である。祖宗は、既に統治の 決意をもって国に臨まれ、国庫の費用はこれを全国の正供にとる。租税の法律の由来は、久しく孝徳天皇が祖・庸・調の制度を行い、維新の後に租税の改正を行 う。これを税法の二大変革とする、その詳細は書籍に備わっているので、詳らかにこれを注釈することはしない。蓋し、租税は臣民が国家の公費を分担する物で あり、徴求に供応する献饋の類ではない。また承諾に起因する徳澤の報酬でもない。
附記:フランスの学者は、その偏理の見方で租税の意味を論じている。千七百八十九年にミラボー氏がフランスの国民に向って国費を募る公文に言うには「租税 は、受けた利益に報いる代価である。公共の安寧の保護を得るための前払いである」と。エミル・ド・ヂラルヂン氏は、説を発表して言うには「租税は権利の享 受、利益の保護を得る目的のために国と名づけた一会社の社員より納める保険料である。」と。これは全て民約主義に淵源し、納税で政府の職務と人民の義務と を相互交換する物とするものであり、その説は巧みであると言っても、実に千里の誤りであることを免れない。蓋し租税は、一国の公費であり一国の分子である 者は均しくその共同義務を負うべきである。故に臣民は独り現在の政府のために納税するべき物ならず、前世、過去の負債のためにも納税しなければならない。 独り得た利益のために供給すべきだけでなく、その利益を享受しなくてもこれを供給しなければならない。よくよく経費は所及ばず倹省してほしいと思い、租税 は所及ばず薄くあって欲しいと思う。これはもとより政府の本務であり、そして議会が財政を監督し、租税を議定するに於いて立件の要義もまたこれに他ならな い。しかるに、もし租税の義務を以てこれを上下相酬の市道であるとし、納税の諾否はもっぱら受ける利益と乗除相関る者とするなら、人々は自らその胸の臆に 断定して、年祖を拒む事が出来てしまう。そうなれば、国家の成立が危殆にならないようにと思っても、危殆に瀕してしまう。近頃の論者は、既に前節の非を弁 論して余蘊なからしめ、そして租税の定義は僅かに帰着するところを得た。今、その一・二を上げると、「租税は国家を保持するために設けるものである。政府 の職務に報いる代価ではない。なぜならば政府と国民との間には、契約が存在しないからである」(フランス、フォスタン・エリー氏)「国家は租税を賦課する 権限がある。そして、臣民はこれを納める義務がある。租税の法律上の理由は、臣民の純然たる義務にあり、国家の本分とその目的とに欠くべからざる費用があ るのに従って、国の分子である臣民はこれを供納しなければならない。国民は無形の一体として、国家である自個の職分のために資需を供すべく、そして各人は 従ってこれを納めなければならない。なぜならば、各人は国民の一個の分子であるからである。彼の国民及び各個の臣民は、国家の外に立、その財産の保護を受 けるための報酬であるとして、租税の意味を解釈するのは、極めて不提である誤説である」(ドイツ、スタール氏)ここに記載して、参考に当てる。


◆◆◆ 第二十二条 ◆◆◆

第二十二条 日本臣民は法律の範囲内に於いて居住及び移転の自由を有す(日本臣民は、法律の範囲内で居住と転居の自由がある)

本条は居住及び移転の自由を保明する。封建時代は藩の国境を画り、各々関柵を設けて人民が互いに�
\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
■□■□■ 伊藤博文著『皇室典範義解』現代語訳(HISASHI)■□■□■


『帝國憲法義解』に続きまして、『皇室典範義解』もHISASHIさまが現代語訳してくださいました。
 いま憲法改正問題とともに、皇室典範改正も話題になっておりますが、これらについて発言するには、現在の典範だけでなく、明治の皇室典範も理解しておく必要があります。
 みなさまが、この翻訳によって、知識を増やすことを願っております。
(オロモルフ)

*******************

筆者 伊藤博文 訳者 HISASHI


◆◆◆ 皇室典範 ◆◆◆

謹んで思うには、皇室の典範があるのは、益々その基礎を鞏固(きょうこ=強固)にし、尊厳を無窮(むきゅう=永遠)に維持するにおいて、無くてはならない憲章である。
祖宗が国を創めて、一つの流れを相承り、天壌とともに無窮にのる。これは蓋し、言説によらず既に一定の模範が有る。以って不易(ふえき=不変)の基準に因 らないものではない。今、人文漸く進歩して遵由の路は必ず憲章による。そして皇室典範を作るのは、祖宗の遺意を明微(めいび=明らか)にして、子孫のため に永遠の銘典を胎す所以である。
皇室典範は皇室自ら、その家法を条定するものである。故に公式により臣民に公布するものではない。そして将来止むを得ざる必要により、その条章を更定する ことがあっても、帝国議会の協賛を経る必要は無い。蓋し、皇室の家法は祖宗より承り、子孫に伝える。既に君主が任意に作るものではなく、また臣民のあえて 干渉するところではない。


◆◆◆ 第一章 皇位継承 ◆◆◆

第一条 大日本国皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承する(大日本国の皇位は祖宗の皇統であり、男系の男子がこれをけいしょうする)

 謹んで思うには、皇位の継承は祖宗以来すでに明訓があり、和気清麿が還って来て奏上した言葉に「国家が開闢して以来、君臣の区別は定まっている。いまだかって臣下をもって君主とすることは未だに無い。天の日嗣は必ず皇緒を立てよ」と。
皇統が男系に限り女系の所出に及ばないのは、皇家の成法である。女系を採用しないのは上代だけでなく、神武天皇より崇峻天皇にいたるまで三十二世全て女帝 を立てた例は無い。故に神功皇后は国に当たること六十九年間、摂政の位をもって終わられた。飯豊靑尊は政に摂し清寧天皇の後を受け継いだが、この方もまた 即位されなかった。清寧天皇が崩御され皇子がなく又近親の皇族男子がなく、そして皇妹春日大姫がおられたが即位されず、群臣は従祖・履中天皇の孫の顕宗天 皇を推挙した。これは、上代において既に不文の常典があって、簡単に変えるべきでない家法をなしていたことを見るべきである。その後、推古天皇以来、皇后 皇女が即位された例が無いわけではないが、当時の事情を推原するに、一時的に国政を行うに当たって、幼帝が成長するのを待って、位を伝えようとする権宣に 外ならず、これを要するに祖宗の常憲ではなく、そして後の世の模範と為すべきではない。本条の行為の継承をもって、男系男子に限り、そしてまた第二十一条 に於いて皇后皇女の摂政を掲げるのは、蓋し先王の遺意を紹述するものであり、苟も新例を創るものではない。
祖宗の皇統は一系の正統を承る皇胤をいう。そして、和気清麻呂の所謂皇緒なる者とその解義を同じくするものである。皇統にして皇位を継ぐのは必ず一系に限 る。そして二三に分割するべきではない。天智天皇の言う「天に二つの太陽が無いように二王は無い」と。故に後深草天皇以来数世の間、両統互いに代わり遂に 南北二朝に至ったのは、皇室の変運であり、祖宗の典憲の存在するところではない。
以上、本条の意義を約説するに、祖宗以来皇祚継承の大義はあきらかであり、日星のように萬世に渡って容易く変わらないものは、蓋し継ぎの三大則とする。
 第一 皇祚を践むのは皇胤に限る
 第二 皇祚を践むのは男系に限る
 第三 皇祚は一系であり分裂してはならない


第二条 皇位は皇長子に伝ふ(皇位は天皇の長男に伝える)


第三条 皇長子在らざるときは皇長孫に伝ふ。皇長子及びその子孫在らざるときは皇次子及びその子孫に伝ふ。以下皆之に例す(天皇の長男がいない時は、長男の子に伝える。長男及びその子孫がいない時は、天皇の次男及びその子孫に伝える。以下すべて之を例とする)

慎んで思うには、莵道稚郎子(うじのわかいらつこ)が言われるには「兄が上に弟が下に、古今の常典です」と。葛野王(かどののおおきみ)が持統天皇に進奏 して言うに「我が国家の法です。神代以来、子孫相承り天位を継ぐ。もし兄弟に引き継がれると世が乱れる。」と。これは祖宗以来、子孫直系相伝え長幼の区別 に従う事をもっt天位継承の正法とする。そして、その兄弟相伝える事は、反正天皇が履中天皇の後を継いだこと、允恭天皇が反正天皇の後を継いだ事に始ま り、みなやむを得ざる事により出て、正しい有り方ではない。第二条第三条が継承の法を一定にして後の王の為に常典を貽し、敢えて権宜左右することを出来な いようにするのは、蓋し祖宗の遺範を慎んで永く乱の芽を後裔に絶つところである。凡そ子孫といえるのは、曾孫以下みなその内にある。[古典に天神の孫也と あるのは(日本書紀巻二)天祖の裔孫をいう。また五世孫七正孫とある(同書巻十)これは、姓氏録の慣用するところである]長子の子孫は、次子より優先され るのは、宗統を重んじることである。長子の子孫がいない時に始めて次子に移る。次子の子孫から第三子以下に於いてもまた同例とする。
次条に皇庶子孫の皇位継承するのは、皇嫡子孫が総て無くなった時に限るという時は、第二第三条は嫡子孫に付いて、その長を択ぶ事をいう。そして、嫡子孫全て無くなった時は、庶子孫においてその長を択ぶのも法による事を知るべきである。


第四条 皇子孫の皇位を継承す�

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