ねずさんの ひとりごと 日米戦争の原因


時代が替わって、日米戦争の原因が真珠湾攻撃と言うのは不適切である。
物心が付いてから永らく日米戦争の原因を求めていたが、日本国側の
原因は理解できるが、アメリカ側の意図が不明である。
アメリカは戦争の意志を持っていた、それも不純な意志があった。
歴史の検証はルーズベルトの野心に気付く。
日本は自己の意思にかかわらずも載せられた様相があからさまになる。
WGIPはいまも日本に根付いて影を落としている。






ねずさんの ひとりごと

日米戦争の原因
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1499.html
着底し傾いたアリゾナ



不思議なことに、戦後書かれた日米戦争に関する歴史書は、内外を問わず、ことごとく真珠湾事件から始まっています。
何故、日本が真珠湾を攻撃しなければならなかったのか、その因果関係についてが触れられていません。

突然日本の軍人が平和に暮らす真珠湾を攻撃した。
だから日本を懲らしめるために、国が立ち上がった、軍隊は暴力装置であり、その装置が暴走して無謀にも圧倒的国力を持つ米国に対して侵略を開始した、というわけです。

しかし、これは理屈に合わないことがすぐにわかります。
ちょっと考えればわかることです。
第一に、日本の軍隊は、日本国の正規軍です。
正規軍は国家の意思のもとに動きます。
支那の軍閥ならいざ知らず、何の理由もなく国軍が動くことはありません。

第二に、日本に侵略意図があったのなら、真珠湾であれだけの戦果を挙げ、かつ無傷だった日本は、そのまま米国本土まで侵攻するか、すくなくともハワイ全土を占領することもできたはずです。
にも関わらず、日本は、米軍の艦船だけを攻撃し、そのまま引き揚げています。
つまり、日本に米国侵略の意図など、まるでなかったということです。

第三に、戦争というものは、何の脈絡もなく、突然はじまるものではない、ということです。
国家の意思と関わりなく突然始まるものは、事件または事変です。
日米は戦争です。
戦争には戦争目的があり、かつその目的を生むだけの経緯があるものです。

しかし、米国の歴史家モーゲンソーによれば、近代ではすべての戦争責任は敗戦国に押しつけられる慣習になっており、自国に都合の悪い歴史研究は喜ばれないと書いています。(「真珠湾」)
理不尽な話です。

そこで真珠湾事件をちょっと遡ってみると、面白い事実がぞろぞろと出てきます。

直前の昭和16(1941)年11月のハルノート要求、
7月の米国の日本資産凍結やABCD包囲網、
5月からの支那南部における米陸軍航空隊の義勇軍を偽装した宣戦布告のない対日攻撃、
昭和14(1939)年の通商航海条約の一方的破棄、
昭和12(1937)年の支那事変勃発時における日本の講和仲介依頼への拒否、
同年の蒋介石への15億ドルに上る軍事援助事件、

などなど、米国による反日戦争行為が沢山出てきます。
それ以前にも、米国の強い日本敵視方針が見られます。

「戦争は外交(国際戦略)の延長である」と言うのは、有名なドイツプロイセンの戦略家クラウゼビッツの言葉です。
では戦前の米国は、どんな極東戦略で日本を敵視し、何故日本を滅ぼそうとしたのでしょうか。

戦前の日本の対米姿勢は言うまでもなく一貫して友好に努めました。
常に四海に和を求めようとする日本の姿勢は、いまも昔も変わりません。

ワシントンの桜は有名ですが、これは戦前に日本が日米友好のために贈ったものです。
また米国産業界にとっても日本は世界第三位の、支払いで問題を起こさない、上得意の輸出国でした。
日本の対米輸出は、現在と違って生糸ぐらい。
米国の対日貿易収支は、大幅な黒字になっていたのです。
それなのになぜ、ルーズベルトは牙をむき、日本を追い詰め、米国は最後に原爆まで落としたのでしょうか。

いまでも多くの大学では、日米関係史において、パーセプションギャップ(誤解)が原因であったと教えています。
日米が互いに政策を誤解して戦争になったという考えです。

しかしこれは史実を調べると全くあり得なかったことです。
実際には、米国に追い詰められて日本が自衛上反撃したのです。

ヘレン・ミアーズ女史は戦争前の外交記録を調べれば、米国が日本を一方的に圧迫した事は誰の目にも明らかであると記しています。(「アメリカの鏡日本」) 

日米戦争の発端とされる真珠湾事件については、グルー大使の日本の攻撃計画の警報は事件の十か月前にハル長官に通報されており、現在インターネットで公開されています。

<ご参考>
駐日大使グルーの国務省あての公電報
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-773.html

前年からの日本暗号解読の事実は、昭和20(1945)年8月末に、米国で公表されているのです。
ということは、真珠湾事件は米国にとって「奇襲」でもなんでもなく、既知の出来事であったのです。
にもかかわらず予想外の被害が出たのは、米海軍が日本の新型浅海用航空魚雷を知らなかったためです。

要するに、米国の対日戦争は明らかに準備されていました。
ではその動機は何で、その政策はどこまでさかのぼるのでしょうか。

実は、この問題をずっと遡ると、満州がクローズアップされてきます。
簡単にいうと「米国は満洲が欲しかった」ということです。
この一点で、米国の対日敵視政策の謎が全部解けてしまいます。

多くの人は、あれほど広い領土を持つ米国が、満洲など狙うはずがない、と思うかもしれません。
しかし当時の米国は、白人の「植民地主義国」の一つに過ぎません。

米国人は「民主主義」を自慢しますが、その実態は「人間は平等である。但し有色人種は除く」というものです。
米国の白人は、欧州の強欲な白人国家と同様、アジアに植民地を欲していたのです。

米国の極東進出戦略は、明治32(1899)年のジョンヘイ国務長官の「支那門戸開放機会均等」宣言に始まっています。

米国は西部開拓が終わると太平洋に進出し、ハワイを占領し、スペインから独立したばかりのフィリピンを武力占領して植民地にしました。
そして次の標的が清朝滅亡で統一政権が失われて軍閥が割拠していた支那満洲だったのです。

米国は、日露戦争では日本に好意的でした。
しかしそれは目的があってのことです。
当時、ロシアが満州全土を占領しようとしていた。これを阻むために、日本に手を貸したにすぎません。

日露戦争後に交されたポーツマス講和条約では、南満州鉄道権益が日本に割り当てられていますが、米国は後から取り上げるつもりであったとされています。
実際、小村全権の帰国前に米国鉄道王ハリマンが日本政府に対して、南満州鉄道の買収を申し出ています。

日本政府が小村の意見で、この申し出を断ると、米国の対日姿勢はガラリと反日に180度転換しました。
これはハリマン提案が単なるビジネスではなかった証拠です。
この後米国の対日政策は一貫して敵意と反感に満ちたものに変わりました。

ただし、米国本土から八千Kmも離れた支那満州への直接介入は、米国民に対して正当化が難しいものです。
そこで米国は、支那の軍閥をひそかに援助することで、対日条約違反行為をやらせていました。
日本が協定違反を抗議しても、まったくの放置です。

米国の元外交官マクマレーは、大戦後の極東情勢を正確に予測して、日米戦争の回避に努めたことで有名ですが、彼は1920年代のワシントン体制を一番守ったのは日本であり、破壊したのは米国であったと明確に記しています。

日本は、張学良の排日行為の激化により、昭和6(1931)年の満州事変で、自衛上やむなく張学良を追い出しました。
すると、米国は早速、スティムソン国務長官が満州国否認宣言を発表しました(昭和7(1932)年)。
満洲にこだわっていた米国の意思がわかります。

そして同年、国際連盟が満洲の白人植民地宗主国による共同支配を要求したので、松岡全権はこれを断固拒否して連盟を脱退しました。
この決議の裏で糸を引いていたのが米国です。

この後米国は、昭和7(1937)年、ソ連が蒋介石を使って支那事変を起こすと、日本の講和仲介を断るだけでなく、反対に蒋介石に、当時のお金で15億ドル(いまの30兆円くらいの価値)という、途方もない金額の軍事援助を与えて戦争を継続させました。
まさに火に油を注いだのです。
満洲獲得のために、先行して日本を戦争に駆り立て、日本を疲弊させることが望ましかったのです。

昭和20(1945)年に日本が降伏すると、米国の朝野はこれで支那満洲が手に入ると期待しました。
ルーズベルト大統領は、ヤルタ協定でスターリンと約束し、帝政ロシアの支那利権や日本の固有領土など米国の腹の痛まない権益を代償として満洲を代理占領してもらい、その後蒋介石を傀儡に支那満洲を支配する予定でした。

しかしスターリンは代償を手に入れると、あれほど堅く約束したヤルタ協定をあっさり破り、満洲を蒋介石ではなく毛沢東に渡してしまいました。
原爆投下の脅しも、ソ連スパイ大統領特別補佐官アルジャー・ヒスによって米国政府内の厭戦気分を知っていたスターリンには無効だったのです。

この結果昭和24(1949)年、支那満洲全土は共産化し、米国は19世紀から営々と築いてきた支那の全拠点から追い出されてしまいました。
マッカーサーは、
「支那の喪失と共産化は、米国太平洋政策百年の最大の失敗であった」と総括しています。

日本の占領はそれ自体が米国の目的ではなかったのです。

米国の占領政策は、これを機会に、日本の武装解除から自衛促進にガラリと方向性が変わります。
支那満洲進出が不可能になった以上、日本の占領は米国に何の利益もなく、却って国防代行が負担になってしまったのです。

そこで日本を早期に再軍備させるために独立させることにしました。
ただ吉田首相は朝鮮戦争の直前だったので、新日本軍が国連軍名目で朝鮮半島の激戦地に送られることを恐れ、詭弁を弄してダレスの再軍備要請を断りました。

そして日米は安保条約を結び、今日に至っています。

マッカーサーは、昭和26(1951)年に更迭された、とされていますが、これも、彼の失政によるというより、国際情勢の変化に伴う役割の終了に他なりません。

マッカーサーが議会で大東亜戦争を日本が自衛のために行ったと述べたのは、個人的な歴史観ではなく、米政府から指示されて日本の再軍備を促進するために行った発言です。
彼の占領統治中の反日宣伝で洗脳された日本人を解放するためでもあったのです。

以上が日米戦争の原因と今日にいたる経緯です。
こうした米国の極東政策の変遷は、表面的には大きく変わりましたが、自国の利益を追求すると言う意味では一貫しています。

戦前、米ソの傀儡であった蒋介石は、戦後米国から役割終了で一度は見捨てられ、その後冷戦で関係が改善しましたが、彼は「米国という国は、それまでの関係にこだわらず、一夜にして百八十度の政策転換をする国であるから常に注意する必要がある」と述べています。

戦後の日本人は、米国人に狎れ過ぎていて、その恐ろしさに気づきません。
日本人は国際関係の冷厳さを知り、早く自主独立することが必要です。
また現在の米国もそれを求めています。

「過去は学ぶもの、未来は築くもの」といわれます。
戦後教育は、常に歴史は「評価」するもの「批判」するもの教えてきましたが、これはおかしな理屈です。
なぜなら、歴史を現代の価値観で批判や評価したところで何の意味もないからです。
他方、批判や評価とはまったく逆に、過度に歴史を誇るという姿勢も決して感心したものではありません。
なぜなら、いまがだらしなければ、決して良い未来は築けないからです。

70年前、私たちの国は、米国と大戦争を行い、我が国は、壊滅的とってよい、大打撃を被りました。
その傷跡は、いまなお、私たちの国に深い傷跡を与えています。
これだけ大きな影響のあった日米戦争について、我が国がこれまで、開戦原因についてきちんとした究明を行なって来なかったというのは、はなはだ不思議な出来事です。

疑問を正しく究明することは、日米友好の維持に反しません。
むしろ国際政治の厳しさを日本人に再認識させるし、対米友好関係を強めるためにも、必要不可欠な要素といえます。
なぜなら、過去を冷静に学ぶことこそが、現代を生き、未来を築く礎となるからです。

※以上の記事は、東近研の落合さんの文章をもとに、ねずきちが落合さんのご了承のもとに勝手に加筆したものです。


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