いすけ屋の戯言 黄文雄の「日中戦争真実の歴史」

いすけ屋さんには素晴らしい記事の紹介を感謝します。
言われてみれば当然ですが、歴史問題の解決は史実の共有が欠かせません。
是まで各人が各々に行ってきた事を良い記事で共有する事が誤りを質すのに
有力な橋頭堡を築き上げてくれます。


いすけ屋の戯言

黄文雄の「日中戦争真実の歴史」
2013/04/07 19:32
http://isukeya.iza.ne.jp/blog/entry/3043915/
(いすけ屋)
 今日は天気予報では強烈な春一番の風が吹くとされていたが、案外低気圧は早く去ってしまい、比較的穏やかな一日だった。こういった気候と政治はリンクしないはずだが、このところ国会でも大した論議はなされていない様に思う。竹島、尖閣問題も小康状態だし、北の「雄叫び」も最近では「お笑い」に近い。
 
 先日の米韓合同軍事演習「フォールイーグル」(野戦機動演習)にステルス戦闘機F22が参加し、さらにはステルス戦略爆撃機B2が3月27日夜、米国ミズーリ州ホワイトマン空軍基地から約15時間をかけて韓国中西部、全羅北道郡山の韓国空軍射撃場にやってきて、その威力をみせつけるように一度も着陸せず、模擬爆弾投下訓練後はそのまま米国に帰還したという。
 
 専門家によると、「ステルス戦闘機F22はおそらく平壌上空に侵入しただろう。通常なら国際社会に『米帝が領空侵犯の暴挙』などと騒ぐはずだが、これまで一切反応してこなかったのは「捕捉不能なステルス戦闘機に北朝鮮空軍機は緊急発進すらできなかったから」だと言う。これでは金正恩も震え上がったのではないか。
 
 さて、我々日本人は戦後教育で、「日本は中国を侵略した」と洗脳され、いまだにそれを信じ込んでいる人が多い。正しい歴史を系統だって教えられていないからだ。私をして近現代史を再勉強させる気にさせたのは、井沢元彦著「なぜ中国人、韓国人に媚びるのか」と言う本であったが、自分の平和ボケ度を恥ずかしく思わせたのは、黄文雄著「日中戦争真実の歴史」であった。何はともかかく、その本のさわりの部分、「はじめに」を紹介する。
 
 
はじめに
 
◎日中戦争を語るのに必要な姿勢とは 
 
 
 あるテレビ討論番組に出演したとき、一人の政治家先生から、「それではあなたは日本が中国侵略をした史実を認めないのか」と質されたため、私は「まったくそう思っていない」「日中戦争とは中国内戦への日本の人道的、道義的介人だった」と即座に返した。これは、私が数十年、アジアの近現代史に関心を持った末に得た、総括的な日中戦争史観である。
 
 たしかに多くの日本人は、中国を 侵略した過去があると信じて疑わない。反省や謝罪を繰り返してきたのも、それなりに理由があるわけだ。「侵略史観」はすでに日本で定着し、「常識」になっ ているのだろう。日米収争については「帝国主義間の戦争」あるいは「日本の正当防衛」と見ても、日中戦争だけはやはり「侵略戦争」だとする者は民族派のな かでも多い。
 
 満州事変後、松岡洋右外相は国際連盟での演説で、「日本はむしろ被害者だ」と論じたが、当時の常識は、今日の非常識になっている。日中戦争に閏して、現在そうした提え方をすることは皆無に近い。
 
 私は日中戦争を新興の日本帝国VS復活を目指す中華帝国の戦争と考えているが、こうした見方はあまりないようだ。
 
 私はよく台湾や中国の問題での国際シンポジウムに出席するが、欧米人の間で「日本は中国を侵略した」と考えている者は、予想外に少ない。「日本の常識は世界の非常識」とは、こういった面でもいえそうだ。 つまり日本人の敗戦ショックは、今でも歴史観に影を落としているということだろう。
 
 日本政府はよく、「過去の一時期」において「中国に迷惑をかけた」などとして、謝罪と反省を繰り返してきた。
 
 この一時期とはいつかといえば、中国のいうところの「八年抗戦」、つまり盧溝橋事件を発端とする支那事変のこと、あるいは同じく「十五年戦争」というところの満州事変以降のことだろうが、今ひとつ明確ではない。
 
 ちなみに本書では、盧溝橋事件以後の八年にわたる日中の衝突を当時の呼び方どおり「支那事変」と記し、満州事変以後の十五年のようにより広義な意味での日中衝突を「日中戦争」と呼んで、区別している。
 
 中国で「日本の中国侵略」といえば、日清戦争から大東亜戦争の終結までを指す とするのが常識だが、最近では明治維新直後の琉球処分に「侵略」の起点を求める説も有力になりつつある。さらには驚くことに、豊臣秀占の「征明」(朝鮮出 兵)、または倭寇の時代にまでそれを遡らせる主張もよく闘かれるようになった。要するに日本は伝統的に「侵略国家」であるというわけで、こうした「侵略史 観」「日本悪玉史観」がすっかり定着しているわけだ。
 
 そうした中国の幼稚な歴史の提え方は別としても、史実を考える上では、「過去 の一時期」だけに限定してそれを論じたところで、必ずしも真実を見出せるとは限らない。なぜなら歴史とはさまざまな出来事の積み重ねだからである。仏教が いう囚縁、囚果、つまり超歴史的な視点に立たなくても、少なくとも日中の歴史問題を論じるなら、まずは近代という歴史背景から検証しなければならないだろ う。
 
 よく指摘されるように、戦後の日本人は、戦後の価値観で歴史を語る者が多 い。、しかしいかなる時代でも、そのときそのときの主流価値というものがあり、主流の精神というものがある。その時代ごとの「限界」というものもあるだろ う。たとえば古代の中国では、王道、覇道は語りつくされたが、「民道」(民主主義)については欠落している。なぜなら人権や自由といった概念は、あくまで も近代になってから生まれた主流価値だからだ。だからそうしたものをもって近代以前の歴史を論じても、それは偏見でしかないのである。
 
 十九世紀に支配的だった人類の理想といえば、植民地主義である。それは二十世紀における社会主義のようなものだろう。しかし二十一世紀の今日、今なお社会主義を理想とする者は主流ではなくなっているのだ。
 
 十九世紀から二十世紀にかけての列強の時代には、もちろんその時代の精神があり、その時代の限界があった。当時の日本の歴史問題についても、まずは戦後の主流史観などに同調せず、その時代の精神と限界を考慮しながら、史実を求めていかなければならない。
 
 私はそのような姿勢から、日中戦争というものを語ろうと思う。
 
◎日本の東亜大陸進出前の中国の惨状  
 
 大航海時代以降の地球規模の変化といえば近代化である。つまり優勢となった西洋的価値体系の拡散にともなった世界の植民地化である。それが当時の不可抗力ともいうべき一つの時代の潮流だった。
 
 それは、ユーラシア大陸の東端に位置する東亜世界に限って見れば、十九世紀に入って西風東漸だけでなく、ロシアの東進と南下、アメリカの西進、西来というかたちとなって現れた。
 
 このような時代変化のなかで国際的力学関係も人きく変わり、日本も中国も鎖国を維持することは不可能になった。そうしたなか、東亜世界は大漬帝国を中心に、旧態依然のままだったというより、没落の一途をたどり、それまでの大朝朝貢秩序という東亜世界秩序は崩壊へと向かったのだった。
 
 同大陸では、漬帝国とならぶもう一つの世界大国オスマン・トルコも崩壊へと向かった。それはなぜかといえば、これらの老大国が、列強の時代のなかで、列強の仲問入りを果たすべく近代国民国家造りに邁進したものの、それに失敗したからである。
 
 ところが非西洋世界で、日本だけはそれに成功した。その理由はもちろん単一ではないが、重要なことは当時の東亜世界のなかで、日本だけが特別だったからだ。逆にいえば日本以外の地域は、中国をはじめどこでも悲惨な社会状況にあったからである。
 
 台湾、朝鮮、満州も基本的には同様だが、とくに中国の場合は少なくとも次のような五つの惨状が挙げられる。
 
 1 水旱が頻発し、災民、流民が溢れ、餓死者が百万人、千万人単位で発生することも珍しくなかった。
 2 衛生環境が劣悪で、疫病が流行し、内戦中も病死者が戦死者を上回った。
 3 匪賊が跋扈し、この武装勢力は正規車の十倍もあった。
 4 内乱、内戦がえんえんと続き、太平天国の乱や回乱のように人口の五分の一や十分の一が消滅するほどの大乱もあった。
 5 貪官汚吏による苛斂誅求によって民草は、毛沢東の言うところの「一窮二白」(一に貧窮、二に文化水準が低い)のどん底にあった。
 
 以上のように、つまり日本以外の地城では、とても近代化ができるような状況ではなかったのである。
 
◎日本の東亜新秩序建設の真義  
 
 十九世紀から中国は、自然環境と社会環境の連鎖的な崩壊が加速度的に拡大し、それにともない内戦、内乱という有限資源の争奪戦が頻発するといったカオス状態に陥っていた。こうした天下大乱の状況もまた、先に挙げた「五つの惨状」の背景になっていたのだ。
 
 このような社会秩序を維持し、国際社会における。川家として存在させるために は、列強が駐兵を行うしかなかった。義和団の反乱での中国国内の外国人やキリスト教徒への襲撃、虐殺事件を受け、一九〇〇年に北清事変が起こり、その結果 清国は、列強との間での条約で各国の駐兵権を承認した。その列強の中には、日本も含まれていた。
 
 そしてなによりこの日本が、中国=東亜世界の秩序の再建と維待に大きな役割を果たすのである。中国のカオス状態がようやく収拾へと向かったのは、日中戦争によって日本がこの国に進出し、大きく平和安定の勢力を扶植したことによる。
 
 中華世界、さらに東亜世界の秩序が崩壊したのは、しばしば日清、日露戦争で日本が進出しかからだとされるが、それはまったくの歴史捏造である。なぜなら日清戦争以前、秩序崩壊はすでに昂進していたからだ。それについては本書で詳述する。
 
 日本が「五つの惨状」を持つ東亜世界に対して行った貢献とは何かというと、それは「戦争」だった。
 
 開国維新で殖産興業、文明開化という近代化を果たし、富国強兵という列強の道をつき進んだ日本は、まず清国とぶつかり、日清戦争の結果、台湾が日本に割譲され、それまで「化外の地」(文明の及ばない土地)、「瘴癘の島」(風土病蔓延の島)とされていた台湾が近代化した。
 
 つづいて日露戦争の後、ほとんど国家の体をなさず、東亜の安定にとって障害となっていた朝鮮(韓国) が日本と合邦し、近代国民社会が形成された。次の満州事変では、満州国の建国によって「荒蕪の地」だったこの地が一大産業国家として生まれ変わった。もち ろん近代化にともない、これら地域では匪賊が消滅して治安が確立され、近代社会が打ち建てられて衛生環境は改善され、法治社会の下で苛斂誅求は禁じられ、 農業の発展で食糧不足が改善され、かくして「人の住める地」となし、人口が倍増したのである。
 
 そして支那事変(日中戦争)が起こると、日本の占領地では汪兆銘の雨京政権が樹立され、反内戦の近代的な平和建設が着手されたのだった。
 
 これが日本による近代化という名の東亜世界秩序の再建の真実である。
 
 真実というからには物的証拠がある。戦後は、日本が台湾、 朝鮮、満州を「植民地」とし、住民への搾取、略奪を行ったといわれているが、それが事実なら今日のこれらの地域と、アジア、アフリカなど欧米の旧植民地と を比較したらいい。後者は近代国家の支配を長年受けながらも、現地住民の性格や文化に大きな変化が見られず、独立後も近代化に苦労しているが、前者の場 合、たとえば台湾、韓国は近代国家として発展し、満州も中国産業の屋台骨を支える役割を果たしてきたのである。これこそがだれも隠蔽しようがない証拠である。
 
 しかしそれに対して中国では、戦後なぜ近代化が遅れたかといえば、それは日本 が新秩序建設の途上で敗戦し、ふたたびそこが内戦、内乱世界に逆戻りしたからである。 日本が日中戦争に敗れたため、中国の平和建設、近代化建設が後退し たという史実を直視するべきではないだろうか。
 
 大日本帝国は東亜世界のために戦い続けた「功労者」であるとともに、その過程で中国から攻撃を受け、ついには大東亜戦争で崩壊し去った「被害者」なのである。
2005年6月 黄 文雄
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