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ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』(その1)



しばらく、更新できずいた事をお詫びしたい。
下記は、紹介記事である。

日本再生研究会SC
海外在住の日本人からの発言

終戦直後にアメリカ人が書いた驚くべき日本を擁護する著書の紹介(その1)
2009/1/20(火) 午前 11:10
http://blogs.yahoo.co.jp/japanrebirth/8472514.html

ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』(その1)
1995年 角川学芸出版 伊藤延司訳
(原著 Mirror for Americans: JAPAN by Helen Mears, Houghton Mifflin Co. Boston, 1948, レジメ作成に使った図書は2005年5月31日角川学芸出版の初版です。)
報告:井上雍雄

この図書は、1948年に和訳され、日本での出版を占領軍に申請したが、マッカーサー総司令官に出版禁止の指示を受けた、いわくつきのものである。彼の占領政策を真っ向から批判するものであったからである。
マッカーサー占領軍総司令官は1946年9月に、日本民族は太平洋地域の他のの民族――中国 人、マレー人、インド人、白人――と異なり、何世紀にもわたって戦争技術と武士階級の忠実な信奉者であった。彼らは太平洋で武力をふるうべく生まれついた 民族であった・・・ また、あるところでは、日本人は野蛮な民族で日本人の性格を徹底的に改革しなければならない、といっているが、どのような証拠からこ のようにいうのであろうか。彼はこのように、日本の占領に際して、日本人は生まれつき好戦的な民族だから侵略的だとマッカーサーは信じていたようだ。しか し彼の先祖は北米大陸に生存していた先住民のアメリカ・インディアンを虐殺したり、追い払い、またアフリカから多数の奴隷を輸入して自分達の利益を追求し たという歴史と18世紀にイギリスに反抗して独立したという歴史ももっている。このことからアメリカ人こそが好戦的といえるのではないか。このようなこと は日本にはないからだ。このようなアメリカ人が、17世紀から19世紀末まで外国へ進出せず、平和を維持してきた日本人を好戦的だと思い、その根性と制度 を改革しようとしたのは、いかにも傲慢すぎるのではないだろうか。
 本書を通じて著者がいっていることは、明治以後日本が近代化をすすめる中で、国際社会の荒波の中でどのように行動してきたか、その結果として日米戦争に 突入し、なぜ負けたのか。そして敗戦後日本はアメリカを中心とする対日占領軍により「懲罰」を受け、日本社会の制度をどのように「改革」させられたのか。 満州事変以後の次の主な出来事を取り上げ、著者の歴史観を紹介し、レジメとする。
(1)満州事変、(2)アメリカのモンロー・ドクトリンと門戸開放政策 (3)日本海軍による真珠湾攻撃、(4)原子爆弾投下と主要都市への焼夷弾爆撃、(5)日本への懲罰、(6)日本占領の論理
(1)満州事変
 この事件について、日本は有罪かどうか、日本国民がうけている懲罰は妥当だといえるのか、という問題である。アメリカ人の告発には、日本人の「戦争を好 む本性」と1931年にさかのぼる日本の軍事行動が含まれている。しかし、告発できるだけの証拠はまったくない。満州事変までの日本の「暴力と貪欲」は、 欧米民主主義国がつくった国際法で許されていた。それは欧米先進国が行っていたからだ。
 日本軍は満州に出兵し中国軍部隊を追い出し、武力で「独立」傀儡国家である満州国をつくってしまった。中国はこの行動を侵略として国際連盟に提訴した。 連盟は日本の行為を批判し、満州国独立の合法性を認めなかった。そのため日本は連盟を脱退し、満州から撤退するどころか、中国内部に向けて着実に南進して いった。1937年7月7日の日中両軍の兵士が衝突し、第二次世界大戦につながる日中事変が起きた。アメリカは、この時期の日本を中国国民に対する暴力と 貪欲な行為で有罪とする。
 しかし、懲罰と平和の問題は、単純ではない。第一に、満州事変に対する一般的見方が、きわめて複雑な事件を極端に単純化しているからだ。第二に、一般に 行われている日本非難は道義と人道を基盤にしているが、外国の侵略をおしとどめるのは道義ではなく、国際法である。当時、「法と秩序」と日本の手段の「合 法性」という言葉で議論されていたのである。満州事変も「合法」かどうかなのだ。欧米列強は韓国問題では日本を無罪とし、満州事変では有罪とした。しか し、侵略行為で有罪としたのではない。国際連盟もアメリカも、日本が満州を侵略したという非難はしていないのだ。日本は国際条約を破り、条約当事国の満州 における権利を侵したから有罪なのである。それだけでなく、中国も日本と並んで有罪とされた。しかも、中国に言わせれば、日本と中国を非難している欧米列 強も日本と同じくらい罪が重いのだ。
 国際関係を正しく議論しようと思ったら、道義と国際法はまったく関係ないという事実を直視すべきだ。日本を有罪とするアメリカの世論は、満州事変を明白 な侵略行為と考えている。しかし、事実はまったく違うのである。アメリカ政府と国際連盟は「9カ国条約」、「門戸開放」政策、「パリ不戦条約」を持ち出 し、一方、日本は「合法的自衛権」で対抗した。日本がいうのは「文明国家が国民と海外の権益を守る」権利、「自決」の原則に基いて行動する権利であるから である。(p271~273)
 満州事変をめぐる日米両国政府の主な争点は、一つには通商競争力という単純で直接的な問題だった。アメリカの極東政策の基本は「門戸開放」である。スチ ムソン国務長官が1932年2月に明らかにしている。それによると、「門戸開放」政策は、二つの原則からなっている。すなわち(1)対中国貿易におけるす べての国の機会均等、(2)そのために必要な中国領土と行政の保全であるという。日本人、中国人がこれを素直に読めば、'アメリカの政策の基本は結局は通 商機会であり、中国の領土保全はそのための必要条件でしかないと解釈する。だから日本は、自分たちの主張は十分通ると思ったのだ。ところが事実をみると、 スチムソン長官の政策説明は非現実的である。なぜならば、1937年末までのアメリカの中国への投資と経済的関心は無いに等しかったからだ。すなわち、ア メリカの輸出総額のうち、中国向けはたったの1.5パーセントにすぎなかったのだ。ただ、アメリカの企業からは、中国の「4億の客」という幻想に取り付か れたようである。一方、日本はは小さい島国だ。農地にも原材料にも恵まれていない。近代に入ってから80年足らずで、日本の人口は2倍以上にふくれあがっ た。1853年当時、農民は人口の80パーセントだったが、1931年には52パーセントを下回った。日本列島の耕地面積は狭く、食料の自給体制をとるこ とができないのだ。(p309)
 ヨーロッパ諸国とアメリカは移民を法律で規制していたから、日本人移民は中国と満州しか出て行くところがなかった、先着の欧米列強は、日本の攻撃的競争 力を怒るのだ。満州なら困難ながら道が開けそうだった。1931年当時、満州の人口は比較的少なく、資源は未開発だった。現地の情勢が「安定」すれば、移 住者に生活の場を、紡績産業に綿などの原材料を、軍需産業や近代産業には石炭と鉄を与えることが出来る、と日本は考えていた。何故、ありあまるほど持って いるアメリカが、その時点で誰もとくにほしあがっていないものをもらおうとする日本を許さないのか、日本にはわからなかった。(p311)
(2)モンロー・ドクトリン、門戸開放について
 19世紀半ばに欧米列強が中国と韓国を切り取ってその影響圏内にいれ、独占的支配領域にすることは、日本にとって絶対に認めるわけにはいかなかった。そ れより少し前、日本ほど情勢が切迫していないアメリカがモンロー・ドクトリンを打ち出し,ヨーロッパに対して南アメリカを植民地に組み入れてはならないと 警告した。この地域は歴史的、文化的つながりは何もなく、北米大陸から遠く離れているのに、また自分達の大陸に十分開発できる領土をもっているにもかかわ らず、ヨーロッパ諸国が植民地や勢力圏をもつことさえ、アメリカの主権を脅かすものと宣言した。さらにアメリカは1900年に「門戸開放」政策で、中国に 対しても同じ姿勢を打ち出した。このような政策がアメリカにとって重要ならば、日本にとってはもっと重要だった。1932年にはアメリカのスチムソン国務 長官が再度門戸開放政策を宣言している。(p248)
 このようにアメリカは、国土が狭い土地に縛られて、しかも人口の多い日本に考慮をはらうことなく、まことに勝手にドクトリンやら宣言を発して他国に警告 を出している。それに少しでも反する国に対しては武力をもって制限している。これが次に述べる真珠湾攻撃に始まる日米開戦につながることになる。
(3)真珠湾攻撃
  真珠湾攻撃はどうしておこったのか。この疑問には答えがない。数百万語にのぼる証拠と新事実を盛り込んだ何種類もの公的調査と報告がだされてはいる が、答えは依然はっきりしない。攻撃はアメリカ人にとっては日本のスニーク・アタックであると思おうとした。ハールハーバーは裏切りの象徴となり、アメリ カ人の心に渦巻く憎悪と恐怖、不安と怒りはことごとく日本人にむけられていった。パールハーバーの諸要因は政府の説明よりずっと複雑であることが、公式調 査の過程でわかってきた。(p30)
 アメリカ人はアメリカに対し「一方的かつ計画的攻撃」をしかけたというパールハーバーの定義が日本告発の基礎なのだ。しかし、日本は日本の行動はあくま で「自国の安全保障」のためであったと主張する。日本の言い分を根拠の無い、でたれめな反論と決め付ける前に、双方の証拠をもっとよくしらべてみる必要が ある。たとえば、アメリカは経済封鎖によってパールハーバーを「挑発」いたという日本側の主張には、それなりの根拠があるのだ。アメリカがイギリス、オラ ンダと共同して行った対日経済封鎖は、アメリカの「防衛」とヨーロッパで戦うイギリスを支援するためだった。東京裁判で日本側は「封じ込め」を逆非難し、 「正当防衛」を主張した。これには強力な裏づけがあったために、アメリカはパールハーバーを中心訴因から外し、「少なくとも、いわゆる満州事変発生時の 1931年から」日本が企ていた「世界征服」の「陰謀」まで訴因を拡大せざるをえなくなった。(東京裁判でのキーナン検事の発言)また、1932年から 10年間に駐日大使だったグルー氏や日本の戦争指導部から事情聴取した米国戦略爆撃調査団が1946年7月、大統領に提出した報告は次のようにいう。
 「日本の指導部が国家の存亡に関わる利益のために戦っていると固く信じて、戦争を始めたことは明らかである。これに対して、アメリカは単に自分たちの経 済的優位と主義主張を押し付けようとしたのであって、国家の存亡に関わる安全保のために戦ったのではない、と彼らは信じていた」アメリカの「存亡にかかわ る利益が脅かされた」と判断したら、大統領は世界のどこであれ、その国あるいは国々を攻撃する権利をもつというのだ。日本にとっては、その点が肝心なの だ。米国大統領は、アメリカの存亡に関わる利益とその侵犯者を決める権利をもっているというが、自国の国益を定義し、それを誰が脅かしているかを決める権 利がアメリカにあるなら、日本にも同じ権利があるはずだ。もしないなら、なぜないのか。しかもアメリカは「敵が自国の海岸に上陸してくるまで」待つつもり はないといっている。それなら、日本が「国家の存亡」を守るために、何処で、いつ、誰と戦うかを決める権利も許されると、日本が考えてもおいかしくないだ ろう。(p84~86)



終戦直後にアメリカ人が書いた驚くべき日本を擁護する著書の紹介(その2)
2009/1/20(火) 午前 11:58
http://blogs.yahoo.co.jp/japanrebirth/8474314.html

ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』(その2)
1995年 角川学芸出版 伊藤延司訳
(原著 Mirror for Americans: JAPAN by Helen Mears, Houghton Mifflin Co. Boston, 1948, レジメ作成に使った図書は2005年5月31日角川学芸出版の初版です。)
報告:井上雍雄

(4) 原子爆弾投下と主要都市への焼夷弾爆撃
 1944年5月の段階では、アメリカ海軍は思いのまま作戦活動ができるところまできており、太平洋の制海権を握ったと伝えられていた。そして米軍は何回 か日本本土の目標に対して爆撃している。1945年3月21日の記者会見で、ジョージ・C・ケニー中将は「前年の9月1日以来日本空軍は1万機の飛行機を 失った」ことを明らかにし、「日本空軍は壊滅した。もはや脅威ではない。仮にわれわれが日本に飛行機を与えても、日本にはそれを操縦できるパイロットも維 持点検できる整備兵もいない。」と語っている。
 このように、日本の攻撃力の壊滅がはっきりしているにもかかわらず、アメリカは1945年3月9日、10日にかけ、東京に対して大規模な焼夷弾の絨毯爆 撃を行った。さらに主要都市にも爆撃をくわえた。3月の東京爆撃以後、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた。大都市を焼き払 い、市民を殺戮するために全力をあげるというのは、初めてのことだ。アメリカ国民は何の抗議もせずにすんなり大爆撃を受けいれた。ニューヨーク・タイムス の軍事専門記者の特派員が伝えたところによると、この焦土作戦によって、「日本の都市工業地域158平方マイルが焼かれ、推定850万人の市民が家を失う か、死亡した。」(p105~107)
 同記者は別の記事で次のように書いている。「空軍が行った空の大要塞作戦の戦果は、史上最大、圧倒的なものだった。あらゆる戦争のなかでも最も激しい今 度の戦争の、その中でも前代未聞といえる破壊を空軍は成し遂げつつある。しかも、わが方には人的、物的損失がほとんどない。この9日間に、B29一千機を 3班に分けた大編成部隊が、敵本土の14の主要工業施設と三つの主要石油所蔵施設に1万4000トンの焼夷弾と破壊用爆弾を投下した・・・」(p109)
 1945年7月26日に出されたポツダム宣言という連合国が提示した「無条件降伏」の最後通告には回答に対する期限が付いていなかった。日本での6人の 政策決定グループでの討議の結果は意見が割れた。  アメリカは和平支持派に反対派を説得する時間的余裕を与えなかった。たった11日間待っただけで、い きなり一発の原子爆弾を、そして2日後(原文のママ)にはさらにもう一発を、戦艦の上でもなく、軍隊の上でもない、軍事施設の上でもない、頑迷な軍指導部 の上でもない、二つの都市の約20万の市民の上に投下した。しかも、犠牲者の半数以上が女子供だった。米国戦略爆撃調査の正式報告は、日本の独裁体制に確 実なショックを与えるというスチムソンの説明に対し、そのようなショックは必要なかったというのだ。(p148) また、すでに事実上戦争に勝っていると いうのに、1秒で12万人の非戦闘員を殺傷できる新型兵器を使う方が、次項に述べる山下将軍よりはるかに恐ろしいことではないのか。(p41)
(5)日本への懲罰 
 「マレーの虎」として知られた山下奉文将軍がマニラで戦犯として処刑された。彼が有罪とされたのは、大きく分けて「人道に対する罪」と「崇高なる軍人信 仰の冒涜」によってであった。具体的には、日本軍がマニラを「非武装都市」と見なすことを拒否したこと、一般人と捕虜を虐待したこと、フィリピン作戦中に 民間人を虐殺したこと、などの罪である。山下は、自ら大量虐殺や虐待を命令したという理由で有罪とされたのではない。配下の部隊を統制できなった罪を問わ れたのである。
 山下将軍を裁いたのは軍事法廷である。しかし、有罪の認定と不名誉な条件での死刑判決は、マッカーサー将軍、米最高裁、トルーマン大統領の審理を経て確定した。つまり、山下裁判はアメリカの司法基準に基いて心理されたものとして記録されたのだ。(p37)
 また、日本占領は妥当で、人道的で、正当であるかのように見えるが、多くの問題がある。国は大人、子供、何千万人から成り立っている。だから、一国を 「罰する」ことはむずかしい。その意図がどんなに正しくても、国民を罰しないで国だけを罰することなどできるはずがないのだ。アメリカ社会でも、人一人を 罰するには、間違いなく有罪かどうかの証拠探しにたいへんな努力がはらわれている。しかし、日本に対しては、戦争中の感情的宣伝を証拠にして、全国民を一 括処罰しようというのだ。日本国民全体を罰するというアメリカ人の権利の基盤は非常に脆弱である。いったいアメリカ人は公正な裁判官を自任できるほど潔白 で聡明なのか。アメリカ人は自問自答したことがない。日本側の言い分を聞いてみたことがない。罪状がはっきりしている戦争犯罪人に関しては、軍と行政府の 戦争指導者を区別し、犯罪の種類と軽重を決めている。ところが国民と文明に関しては、釈明も聞かずに、いきなり有罪と断定していのだ。
 アメリカ文明は個人の権利と尊厳の尊重を基盤にしているはずだった。そうであるなら、審問抜きの大量懲罰は、アメリカの法と正義の哲学に著しく反しているというほかはない。(p82)
                                                                         
(6)日本占領の論理
 歴史の解釈は、解釈する人の立場によって変わる。だから、日本人の戦争原因に対する考え方が、アメリカ人と違うことはありうるだろう。それでも、日本人もアメリカ人も自分達の解釈は正しいと信じて疑わないのだ。(p208)
 マッカーサー司令官は日本人が抱く武は常に勝利するという自らの不敗性を確信し、武士階級の英知に対する神話的信仰は、日本民族の文明の基礎となった、 という。この信仰は全政府機関のみならず、日本人の肉体、感情、精神にまで浸透し、支配しているのであるともいう。(東京、1946年9月2日) また、 彼は次のようにいう。「キリスト教は我々の国家が拠って立つ土台を作ったのです。底には、倫理の偉大な力がありました。我々が日本帝国の心臓部に向けて怒 涛の攻撃をかけるとき、我々の銃座を確固として支え、的確に的を絞らせてくれたのはこの力でした。」(1947年1月12日、宗教教育国際会議事務局長レ ス博士に宛てた書簡) だから日本占領は日本が武装解除を完全になしとげた後も「戦争願望を形成する経済・社会制度」と日本人の性格を「改革」するという 論理で正当化されていった。占領の正当化は一つの仮説に立っている。すなわち、日本人は異常に侵略的な習性をもっているという仮説である。そして、アメリ カ人はそのわけを知っていると信じている。だから、アメリカ人は日本人の好戦的根性と制度を「再教育」し「改革」することができるというわけだ。
 しかし、人はこの仮説を信じようにも、日本人を侵略的民族ときけめつけるアメリカの理由が余りにも曖昧だから、はたと行き詰ってしまうのだ。アメリカ人 は、日華事変、パールハーバーに始まり第二次世界大戦中の全事件を説明するときは「日本人は生まれつき好戦的な民族だから侵略的なのだ」という。そして、 この論理を日本人の歴史、伝統、文化全体に拡大してきた。こうした日本人観が熱っぽく語られ、広く喧伝されてきたから、かなりのアメリカ人は本当のことだ と信じてしまった。
まとめ
 ヘレン・ミアーズが本書を通して主張していることは、(1)アメリカに不平等条約を押し付けられ、それを改正するために日本は西洋化、近代化に邁進し、 欧米先進国がアジアで行ってきた侵略を学習した。先生たるべき国々が行ってきたと同じことを実施したのに、生徒である日本を非難することはできないこと。 (2)1920年代からパールハーバーにいたるまでの日米関係について、アメリカは日本人の移民制限、貿易差別という基本問題を解決しようとした形跡が全 くないこと。(3)アメリカは自分達の行為なら犯罪と思わないことを日本の行為を有罪と認定していているのは、正義ではないこと、そして満州事変以後の日 本の行動を有罪とするならば、西欧民主主義国の罪も拭えないこと。
「雌鵞鳥(グース)のソースは雄鵞鳥(ガンダー)のソ-スにもなる=西洋人に許されるなら、日本人にだって許される」という表現が引用されている。(p299)(続く)



終戦直後にアメリカ人が書いた驚くべき日本を擁護する著書の紹介(その3)
2009/1/20(火) 午後 1:15
http://blogs.yahoo.co.jp/japanrebirth/8477617.html

ヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』(その3)
1995年 角川学芸出版 伊藤延司訳
(原著 Mirror for Americans: JAPAN by Helen Mears, Houghton Mifflin Co. Boston, 1948, レジメ作成に使った図書は2005年5月31日角川学芸出版の初版です。)
報告:井上雍雄

読後感
 アメリカ人の立場ばかりでなく、日本の立場を充分に理解していることに共感を覚える。満州事変から日本の敗戦にともなう占領初期にわたる近現代史をまこ とに公平に見ており、日本の立場をも堂々と擁護し、アメリカ人でありながら欧米諸国の政策を鋭く批判している。したがって、本書の発売当時はアメリカで無 視されたのは故なしとしない。本書はアメリカ人でなく、日本人が書いているような錯覚さえおこさせるほど、日本に同情している。 アメリカ人であるヘレ ン・ミアーズが日米戦争に勝利した直後に、日米戦争勃発の遠因をさぐり、アメリカの政策を批判し、日本の立場を公平に書いていることに対し著者に敬意を捧 げたい。出版に際して、かなりの勇気が必要であったろうと推察する。アメリカ人が勝利に浮かれているときに、パールハーバーの事件を日本側だけに責任を押 し付けるのではなく、ルーズベルト大統領の策略があったのでないかと推論していること、また「南京虐殺」のことは一言も触れていないことも注目に値する。
 それにしても、原書の翻訳が半世紀以上も経過してからでしか日本で公開されなかったことには日米関係、日本の近代史を専攻していいる歴史家や私たちのの怠慢であった、と思わざるを得ない。
 現在、翻訳は抄訳版でしか入手できないかもしれないが、本書がきわめて重要なものであるから、いまだに戦後の自虐史観にとらわれている多くの日本人に読 んでもらいたいと思う。そしてミアーズが述べている中で当時日本はどの点で政策が間違っており、どの点が間違っていなかったのかを検証し、国際関係の中で 間違っていなかったと思われることを世界に向かって堂々と主張し、国際社会から理解されるように務めることが必要である。このことは現在生存している私た ちの子孫に対する責務であると思う。
                                         以上
著者の略歴:1900年ニューヨークで生まれ(1898年説あり)、メリーランド州のガウチャー女子大学を卒業し、1925年友人の誘いを受け中国の京北 に1年ほど滞在し、その間日本へも足をのばしている。帰国後ジャーナリストとして活躍し、1935年にミアーズは再び日本へ行き、2・26事件が起きる前 の約1年間、日本における庶民の生活習慣や神道にいたるまで実際にフィールドワークし、日本人と一緒に過ごした体験を基に、1936年フォーチュン誌の 「日本特集」の編集委員となり、1942年に日本体験をまとめた『亥年』(Year of the Wild Boar) を出版し、日本専門家として全米の注目を集めたという。戦争中はミシガン大学、ノースウェスタン大学などで陸軍省の占領地民政講座で講義し、日本占領に備 える要員の養成に携わった。1946年にGHQの諮問機関「労働政策11人委員会」のメンバーとして来日し、敗戦国日本の労働基本法の策定にたずさわっ た。1948年に Mirror for Americans: JAPAN を著す。
 本書の発売当初、ミアーズは全米の注目の的となったが、彼女の主張はアメリカ人にとって不愉快なものであり、次第に無視されるようになり、この本ととも に彼女は世に出ることなく、いつしか忘れ去られていった。本書がアメリカで出版された直後、著者から寄贈された翻訳家の原百代氏が進駐軍に翻訳出版を申請 したが却下されている。 なお、伊藤氏の訳本が角川学芸出版社から2005年5月31日に刊行され、10日後に、角川書店から抄訳版が出版された。前者に ある第1章「爆撃機から見たアメリカの政策」と第4章「伝統的侵略性」が抄訳版から削除されている。

(完)














































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