私的憂国の書 呪われた日、5月3日 ~ 現行憲法がある限り、戦後は終わらない

あと一週間後には歴史的な選挙が投開票される。
不在者投票は率も良く、好調さを感じさせる。

安倍晋三首相が演説で問題は勝ち方だと強調するが、憲法改正に2/3の議員を擁するのは
並大抵の事ではない。憲法こそ、マッカーサーの呪いである。
交戦権の否認と軍備の不保持は、独立国の体裁では無い。メデイアは96条改正に躍起で
あるが、憲法制定以来、一度も国民投票を経ない、国民主権は幻の権利である。
憲法学者は、邪道だと言うが、学者の頭にはくもの巣が貼ってある。
行使されない権利は、権利の名に値しない。集団的自衛権も同様である。
国連に加盟して、自然権として付与されながら、憲法9条によって不行使となる理由が
存在しない。そもそも、自然権を封印する事は、生存権を認めないことではないのか。
米軍が駐留し、憲法が自然権を封印する不都合は、日本国の独立は、いまだ遠し。

私的憂国の書さんのブログを紹介させて頂く事にする。
近頃、ブログを見るとは、コメントの細部まで見る事と理解してきた。

Alinamin2011さんが、憲法の出自に触れるべきでは無いというが、
銃を突きつけられての承諾は無効である。

憲法学者と弁護士は、現憲法に安住して未来を封印している。
現憲法が駄文の列記でしか無い事は明瞭である。

憲法が、広く国民各層の約束事であれば、国民による確認が必要である。
国民投票を邪魔立てする政党は、日本国の政党ではない。

民主党、生活、社民党、みどり、共産党、公明党は立党の基盤を確認すべきであろう。
これらは、不要な政党である。


江藤淳 氏は言う。
「交戦権」の回復は、もとより戦争への道を進むことを意味せず、実は核武装すら意味しない。それは主権の回復のみを意味し、日本が強制された憲法上の拘束 によってではなく、自らの意思によって選択した基本的政策として、平和維持のあらゆる努力を継続することを意味するにすぎない。つまり、それは日本が通常 の自由な主権国家となり、ふたたび事故の運命の主人公になるということを象徴する行為にすぎない。




私的憂国の書
呪われた日、5月3日 ~ 現行憲法がある限り、戦後は終わらない

2013/05/03 Fri 10:21
http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-1216.html
 今日5月3日は、一般的には憲法記念日と呼ばれる祝日である。なんでこんな日を祝う必要があるのか。会社員にとって休日は有難いのだが、かと言ってこん な日を祝う気になれるはずもない。1947年5月3日、現行憲法が施行されたことを記念する日とされているのだが、個人的には、記念するどころか屈辱感し か覚えない。憲法は1947年のこの日に施行されたが、その前の年の1946年5月3日は、極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷した日である。GHQはこ の日の施行を狙ったのだろう。そういう意味では、5月3日は“呪われた日”なのだ。
 以前ブログで書いたとおり、GHQは日本を占領する過程で、徹底的な検閲を行った。昭和21年にCCD(民間検閲支隊)が発布した「検閲指針」全30項目には、このような禁止事項があった。

(3) SCAPが憲法を起草したことに対する批判
(4) 検閲制度への言及
(5) 合衆国に対する批判
(6) ロシアに対する批判
(7) 英国に対する批判
(8) 朝鮮人に対する批判
(9) 中国に対する批判
(10)他の連合国に対する批判

上記の(5)から(10)に至る検閲対象を見て、勘の良い方なら憲法のある部分を連想されると思う。現行憲法は、この(5)から(10)の項目を、見事に憲法に盛り込んでいる。憲法前文である。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

検閲による批判禁止対象(5)~(10)が、憲法前文の「平和を愛する諸国民」という言葉にすり変わったのだ。
  前述の通り、CCDの検閲は、合衆国、ソ連、英国、朝鮮人、中国その他の連合国の批判を禁じ、第三次世界大戦の可能性や冷戦の進展を論評することを禁じ て、日本人の心の中にすべての連合国が「公正と信義」にもとづいて平和共存し、日本だけが戦前戦中のために孤立させられているという、虚の世界像をつくり 出すことに全力を傾注した。
 一九四六年憲法の前文に描き出されている世界像は、CCD当局がつくり出したこの虚構の世界像と完 全に一致している。換言すれば、CCDの検閲方針の意図した虚像は、憲法前文に採り入れられることによって、占領が終了し、CCDの検閲制度が廃止された あとになっても、憲法そのものが改廃されぬ限り、日本人をいつまでも拘束しつづけることになったのである。
江藤淳著 「一九四六年憲法 ―その拘束―」より

  要するに、この憲法前文というのは、連合国が彼等の守るべき戦後秩序という空間に、日本を永遠に閉じ込めようとした産物なのである。この前文が破棄されな い限り、日本は戦後何十年経とうとも、敗戦国としての国柄を維持し、いわゆる戦勝国と呼ばれる国々に従属しなければならないのだ。

 この 日は、色々な談話が飛び交う。憲法が今夏の参院選の争点となるが予想される中、社民、共産などの護憲派談話は、議席配分に比べて多く取り上げられる。民主 党の細野モナ夫幹事長は、「本当にこの国を戦争のできる国にするのか」と語ったという。9条信仰だ。社民党福島瑞穂と寸分違わぬ言質である。

 これにも江藤さんに答えてもらおう。
  「交戦権」の回復は、もとより戦争への道を進むことを意味せず、実は核武装すら意味しない。それは主権の回復のみを意味し、日本が強制された憲法上の拘束 によってではなく、自らの意思によって選択した基本的政策として、平和維持のあらゆる努力を継続することを意味するにすぎない。つまり、それは日本が通常 の自由な主権国家となり、ふたたび事故の運命の主人公になるということを象徴する行為にすぎない。
江藤淳著 「一九四六年憲法 ―その拘束―」より


  サヨクと呼ばれる人たちは、交戦権とか自衛隊というものを誇大に取り上げる傾向が強い。交戦権が認められ、自衛隊が正規の軍隊として明文化されることで、 結果として戦争が起こると言う発想・・・これは言霊である。交戦権の回復とは、江藤氏が言うとおり、主権の回復に他ならない。言い換えれば、これなくして 独立国家とは言えず、日本は戦後というものをいまだ克服していないということになるのだ。

 この憲法を主導したダグラス・マッカーサーは、1946年1月30日、来日した極東諮問委員会の代表に対して下記のように語った。
 どんなによい憲法でも、日本人の胸許に銃剣をつきつけて受諾させた憲法は、 銃剣がその場にとどまっているあいだだけしか保たれないというのが自分の確信だ、と彼(マッカーサー)は語った。占領軍が撤退し、日本人の思い通りになる 状況が生まれたとたんに、彼らは押し付けられた諸観念から独立し、自己を主張したいという目的だけのためにも、無理強いされた憲法を捨て去ろうとするだろ う。これほど確かなことはないと彼はいった。
ジョージ・H・ブレークスリー「極東委員会―国際協力の研究」より

  マッカーサーは、この占領憲法が施行される遥か1年以上も前に、押し付け憲法の短命を予言していたのである。このマッカーサー談話とは裏腹に、憲法は今日 に至るまで生き永らえた。即ち、今日この瞬間も、日本は半ば占領された状態にあるということだ。佐藤栄作元首相はかつて、「沖縄の祖国復帰が実現しない限 り、わが国の戦後は終わらない」と語ったが、「自主憲法の制定・施行が実施されない限り、戦後は終わらない」と言い換えるべきだろう。

江藤淳著 「一九四六年憲法ーその拘束」



今回は、残念
コメントタイミングが遅れましたが、今回の記事には正直、くみできないです。
出自は押し付けであったにせよ、日本国憲法は日本の国会議員が日本の国会で全会一致で決めたものです。仮にこれが日本人の本意でなかったとしても、日本を復活させるために先人たちが命がけで判断したことです。
日本に国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を銘記したこと自体は評価できるし、それを掲げることによって国際社会に復帰できたことも事実。
当時と変わったのは、前文にある前提が通用しなくなったということ。すなわち、
「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に 従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」という前提が、成り立たないことを疑わせる事態が国際社会に 増えてきたということ。だから、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」を見直す議論をすべき時期で はないかと言っている。これは、この憲法を受継ぐ我らの世代の責務であると言える。
この状況、我らの責務に目をつぶり、憲法に指一本触れてはならないとしか叫ばず、我らと子孫を危険に晒すことを無視を決め込む護憲派を批判するのは納得できる。しかし、押し付けられた出自を以て恨みがましく言う論法は、品位に欠けていると言わざるを得ない。
植民地時代に国のインフラ整備が進んだことを取り上げずに日韓併合を恨む朝鮮と極めて近い論法とさえ言える。
あんな品位のない未来志向を否定する論法では、賛同者は減る。
日本の憲法は、日本人のもの。改憲は日本人の専権事項で他国にとやかく言われる筋合いはない。
だからこそ、他国が口を差し挟む余地がないほど我らは我らの品位を保たねばならない。
品位のない輩から自国を守る力を持つことで国際的均衡を保ち、世界平和に名誉ある地位を占めたいと思うからこそ憲法を見直すのだと胸を張って示さねばならない。
特亜が口を挟もうとすればするほど、彼らの下劣さがあらわになり孤立していくほどの品位を我らは我ら自身の言動で示さねばならないと思います。
日本人が築き上げてきた現在の日本の国際的評価の高さを自覚し、それに見あった言動を心がけるべきだと思います。
Alinamin2011 URL | 2013/05/06 02:25


No title
品位の高低すら理解出来ない幾つかの嘘吐き国が揃って周辺にあり、自らの品位を保つべく一々の反論を控えてきた日本の現実を考えるとき、果たして「品位」で国益が守られるか?と思わずには居られません。

日本が彼らに貶められ続けてきた原因を追及すれば、当然現行憲法と隠蔽されたままの日本の歴史に辿り着きます。
この憲法が如何なる状況でどのようにして作られ、日本国にとってこれがどんな働きをしてきたか、を論じて何処が「品位に欠ける」のか、この問題を具体的にはどう論じれば「品位高く」なるのか、御指摘戴きたいと余所ながら思いました。

四海穏やかな時ならともかく、実際に今現在日本を囲む情勢は「品位」では戦え無い事がこれまでの日本政府の「業績」が物語って居ります。
言うべき時、(言論で)きっちり戦うべき時を失して日本はここまで来ました。
世界に政治的評価を得ている国々が格調高い訳でもありません。それらの国に、むしろ日本が品佳く対処してきた事を利用され続けてきたと思える事も少なくないと思います。
日本が普通の国として世界に伍するに欠ける事柄が明確に顕れている今こそ、品格以前に現実を重視するべきだと私は思います。
管理人様の姿勢がしっかり根を張って居られるので、多少言葉の印象が崩れている、ともしや感じられる方が居られても、それは所謂「賢こバカ」の余裕と思うのですが。
こはる URL | 2013/05/06 04:47



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