精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき

~荻原悦雄のフェイスブック(Fecebook)ブログ~
http://okinaogi.gunmablog.net/e247920.html
2012年08月12日
硫黄島玉砕戦の悲劇と教訓
硫黄島玉砕戦の悲劇と教訓
 硫黄島は、小笠原諸島の南端にあり、緯度は、ほぼ台湾と同じで、東京からは約千二百五十㌔の距離にある小さな島である。第二次世界大戦の末期、沖縄と同 様に日本本土防衛のための激しい戦いがあった場所として知られている。しかし、その戦闘がどのようなものであったかを知る人は少ない。
 その戦いがあった年から六十一年目になる平成十八年に、アメリカの俳優クリント・イーストウッドが監督になって、日米両者から見た硫黄島の戦いを描いて いる。「父親たちの星条旗」(アメリカ)と「硫黄島からの手紙」(日本)である。戦闘のシーンが多く、見るのが辛い場面も多いが、反戦の映画になってい る。映画の内容に多くは触れないが、国家の争いの中で翻弄され、死んでいった将兵の生き様の中に胸を打つものがある。
 梯久美子という作家が新潮社から『散るぞ悲しき』を出版している。取材記事を得意とする作家らしい労作として、大宅壮一ノンフィクション賞を受章した。 司馬遼太郎がそうであったように、関係者の取材や資料から真相を浮き彫りにしていく手法は、読者を納得させる。この人は、テーマが与えられれば、また良い 作品を書いてくれるに違いない。副題は、硫黄島総指揮官・栗林忠道である。
 栗林忠道は、硫黄島兵団の長として赴任した当時、陸軍中将であり、戦死後大将になっている。「硫黄島からの手紙」で栗林中将を演じたのが渡辺謙である。 映画にも、『散るぞ悲しき』の内容が使われたことが、文芸春秋の二人の対談記事でわかる。辞世の歌が三首残っている。その一首が
 国のため重きつとめを果たし得で
         矢弾つき果て散るぞ悲しき

であり、本のタイトルはこの歌の最後からとったものである。歌の意味は解説をするまでもなく平易であるが、この歌を打電された大本営軍令部は、新聞に報道 する時に、「散るぞ口惜し」と変えてしまう。軍人、しかも将官であれば、「悲しい」などいう情緒的で女々しい言葉は許されないという観念が当時は支配的で あった。この「悲しい」は、栗林自身のものではなく、多くの島で戦っている兵士の心情を代弁していると作者の梯久美子は捉えているのである。
 思い切って意訳すれば、「国のために、その重き任務を果たすことが出来ないのは、無念ではあるが、内地にいて図上による作戦の指揮をとる大本営諸君は、 充分な補給と戦略もなく、本土に暮らす同胞の米軍の空襲から危険を守るために必死に戦っている将兵のことが本当にわかっているのだろうか。最後は銃弾もな く、戦う術もなく死んでいかなければならないと思えばその心はなんとも悲しいというべきほかない」という栗林中将の抗議ともとれる。
 栗林忠道は、明治二十四年に長野県の松代に生れている。松代は真田十万石の城下町で、幕末の先覚者佐久間象山を輩出した地でもある。栗林家は松代藩の郷 士で旧家であった。旧制長野中学から、陸軍士官学校に進むが、英語が得意で一時は、新聞記者になろうと考えたこともあった。特筆したいことがある。高位の 軍人の子弟は、陸軍幼年学校から士官学校に進み、陸軍大学校を経て海外留学と、いわゆるエリートコースを歩む。留学先の多くが、ドイツ、フランスであっ た。A級戦犯になった東条英機もそうであった。英米に留学するものは比較的少なかった。
 栗林には、アメリカ留学の体験があった。三六歳の時で、騎兵大尉であった。アメリカの文化に直接触れ、その国力も知り
「アメリカは、日本がもっとも戦ってはいけない国だ」
と考えていた。このあたりは、海軍の山本五十六と通じるものがある。さらに、当時の時代比較で言うのだが、アメリカ人の長所である合理主義と人道主義も肌 にあうものがあった。栗林は、家庭を大事にした人で、家事詳細に渡っても良き父親であった。硫黄島に出征する前に修理できなかったお勝手の隙間風を気にし ながら、戦いの寸前まで妻や、子供に愛情のこもる手紙を書き続けた人でもあった。そのような栗林が、アメリカ軍の上陸作戦で最大の犠牲を払わせたのかは不 思議である。
 硫黄島の総指揮官は、小笠原諸島の父島から指揮をとることが許されていたらしい。前任者がそうであった。栗林は、最初からその気はなかった。ということ は、硫黄島が自分の死に場所であることを自覚していたということになる。硫黄島を守る兵士は、約二万一千人で、その先頭に立って戦うためには、現場指揮を とる必要があった。着任すると直ぐに、海岸線での陣地の構築を止めさせた。これには、反対が多かったが、水際作戦は、サイパンなどの戦いで悉く失敗に終っ ていた。上陸前の艦砲射撃や空爆で壊滅されていたからである。
 海岸線から一歩退き、地下壕を堀り、上陸前の攻撃に耐え戦う方針をとった。〝バンザイ突撃〟を禁じた。最後はゲリラ戦でも良いから、一日でも長く戦い続 けることを守備隊に命じたのである。その結果、アメリカ軍が五日で陥落できると考えていたのが三六日になった。しかも、アメリカの死傷者は日本を上回っ た。
 硫黄島には、川はなく食糧はもちろん水の確保が最大の問題であった。雨水をドラム缶などにためて飲料にしたのだが、アメリカ側からすれば多く見積もって も守備する兵隊の数は、一万三千人が限界だろうと予想していた。堅固な陣地の構築、生活物資の確保と抑制、無謀な戦い方の禁止、いずれは死ぬと分っていて も無駄死にならないようにすること。このような、戦闘方針が周知徹底されたために、信じられないほどの戦闘結果に繋がったと考えられる。
 しかし、いかに指揮官の命令があっても困難を将兵がともにできるわけではない。映画にも映し出されていたが、栗林は、現場を隈なく歩き、多くの将兵に声 をかけ励ました。また、高官だけが許される特別メニューは拒否した。一般の兵士と同じものを食べた。そうしなければ、兵士の実情が分らないと思ったからで ある。給仕するものが、
「これは決まりですから困ります」
と訴えると
「空でいいから器だけ出しておけよ」
と笑って応える場面があった。水も一日水筒に一杯と決めていた。
 こういうリーダーでなければ、部下は心底命令に服するものではないからである。
 戦争は国家間の紛争の解決の手段にしてはいけないことは、長い歴史の中で学んでいる。けれども、近年になってもアフガニスタンやイラクで戦争が行なわれ ている。フセイン大統領も裁判で死刑になったのは、つい最近の話である。北朝鮮は、核を保有したとして諸外国から放棄を迫られているが拒否し続けている。 そして、北朝鮮の多くの人が言論統制と餓えに苦しんでいると伝えられている。有事への緊張が増しているが、戦争によって犠牲をとなるのはいつも権力から遠 い人々である。
 戦争とまではいかなくとも、硫黄島のような状況、つまり生贄のような状況は平和な社会の中でも起こりうるのである。企業における無謀な事業展開、一部の人による独断経営によって倒産に至ることも大げさに言えば「硫黄島の悲劇」になる。
国と国との覇権争いの中に死んで行った、栗林中将始めとする将兵に
「硫黄島を死守せよ」
との権力の衣を着た大本営の参謀的な精神構造になんとも言えない嫌悪感を持った。
栗林中将は、最後は残された四〇〇人に余りの部下と最後の攻撃をして戦死したと伝えられている。その時肩書きを外していたので遺体が発見されなかったともいう。
最後の訓示の言葉は
「予ハ常ニ諸子ノ先頭ニ在リ」
であった。
 長い引用になるが、梯久美子の『散るぞ悲しき』の中から抜粋する。こちらは、的確で取材記者らしい冷静な文章になっている。
 「硫黄島に渡ってからの栗林の軌跡を辿っていくと、軍の中枢にいて戦争指導を行なった者たちと、第一線で生死を賭して戦った将兵たちとでは、〝軍人〟と いう言葉でひとくくりにするのがためらわれるほどの違いがあることが改めて見えてくる。安全な場所で、戦地の実情を知ろうともせぬまま地図上に線を引き、 「ここを死守せよ」と言い放った大本営の参謀たち。その命を受け、栗林は孤立無援の戦場に赴いたのである。平成六年二月、初めて硫黄島の土を踏んだ天皇は こう詠った。
  精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき
 見捨てられた島で、それでも何とかして任務を全うしようと、懸命に戦った栗林以下二万余の将兵たち。彼らは、その一人一人がまさに〝精魂込め戦いし人〟であった。
 この御製は、決別電報に添えられた栗林の辞世と同じ「悲しき」という語で結ばれている。大本営が「散るぞ悲しき」を「散るぞ口惜し」と改変したあの歌である。
 これは決して偶然ではあるまい。四十九年の歳月を越え、新しい時代の天皇は栗林の絶唱を受け止めたのである。死んでいく兵士たちを、栗林が「悲しき」と詠った、その同じ硫黄島の地で」。
 栗林の生地、松代にある皆神山には本土決戦に備えた巨大な地下壕が掘られた。大本営や政府、天皇の御座所を移すために。これが実現し、戦争が続行されて いたらば、日本民族は致命的な結果になっていたかも知れない。昭和天皇の聖断によって終戦となったことに、天界の栗林は安堵したことであろう。

          拙著『浜茄子』より

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

No title

大本営が悪というのは違います。何を嫌悪するのでしょう。
悪いのは陰で策動していた赤であり、それに操られていたホワイトハウス米国であり、有色人種を動物かそれ以下の物として扱ってきた植民地支配主義国でしょう。

本営の司令にあった方々も、誰に裁かれなくとも自ら責任を感じて自発的に自刃し亡くなっております。生きて必死に結果に対する償いをしています。
本営も送る軍が無かったのです、あとは戦うことが出来ない女子供老人病人に出撃させるしか在りません。あなたにそれが出来るでしょうか。
しかしそれをせざるを得ないほど困窮し手詰まりだったのです。
物資の差、人口の差が圧倒的に不利で仕方がなかったのです。
しかも最初から降伏していたら、今頃日本は無かったでしょう。
私たちも存在していないはずです。

見捨てたのではなく、どうにも手の打ちようが無かったのです。
硫黄島開戦2月、そして3月に米軍の爆撃により東京大虐殺が行われ、同じ3月に米軍は沖縄に侵攻しました。
沖縄を思い出してください。
沖縄も日本全国から軍を送り沖縄県民を守り戦い散華されましたがもう余力無く、兵も尽きて、沖縄の中学生や高校生までもが自存自衛をかけて戦いぬいて散華されました。硫黄島に送っていたら米軍は他を攻めてくるでしょうし、現に温存していた兵も沖縄戦で不足していました。
そういう状況だったのです。

ただし、併合下の朝鮮人は日本人でしたが、志願者を別とし日本は本当の最後の最後の最後の最期まで朝鮮人を大事に優遇して守り、降伏終戦する直前まで徴用していませんでした。
その前に年端もいかない日本人の学徒徴用をしていたのです、朝鮮人は日本人の学徒徴用と同時期、厳密には後です。
窮し、未成年の学生を徴用してさえも徴用しなかった朝鮮人をも徴用したほど兵は無かったのです。
ただし、実質徴用された朝鮮人は徴用されるも直ぐに終戦したので実際には危険な目にも酷い目にも遭わず、実際何もしないまま終戦しましたが。
日本人は学徒まで戦ったのです、それぐらい余裕が無かったのです。
私の曾祖父曾祖母、そして祖父母から当時の話は良く聞いております。

いづれにしても米軍が攻めてくるのは硫黄島だけではないのですから、そこにつぎ込む余力が無く切羽詰まった状況だったのです。

見捨てたとか、生け贄というのは違います。

戦い抜いた英霊方は決して贄なんかではありません、それは本営批判するにしても、硫黄島で戦い抜いた英霊方を侮辱するものです。
見捨てたというのも違います、英霊方は見捨てられておりません。
捨てたのではなく、もうどうにもならなかったのです。

もし見捨てた者があるとしたら私を含む戦後の私たちです。

未だに侵略勢力である赤の嘘に踊らされ先祖を傷つけ続けている
戦後の私たちです。
常に批判の矛先はご先祖です。
本当の邪悪な敵には批判の矛先を向けません、平和を愛する諸国民とでも勘違いしているのでしょうか。
そして常に重箱の隅をつついてまで日本のそこかしこを叩き批判し、日本軍を叩き、司令部を叩き、散華された英霊方々も叩き、陛下までも叩く。

そして本当に邪悪な敵を批判もしなければ叩きもしない、敵の正体を調べもしない。
真っ先に先祖を叩き、日本内の問題ばかりに固執して掘り起こす、掘り起こす物が無くなると捏造してまで貶め、いつしか侵略勢力の赤の手先になっている。
私の知る限り40年以上そればかり。
そしてこの先も続くのでしょうか。
しかも、そのご先祖様が残してくださった祖国を享受し家畜のような植民地支配からも免れ贅沢な立場を享受しつつ、恩をすっかり忘れて結果論だけみて過去を俯瞰して叩き批判する。

私は毎年靖国神社を参拝し、平成になってからは天長節の一般参賀の後に巣鴨へ慰霊の黙祷をしに行きますが、硫黄島へは黙祷しに行っておりません。
これは責められるべきことであり見捨てているに等しいことです。
私は遺骨を拾いに行っておりません。
他の激戦地にも行っておりません。
私は必ず硫黄島へも慰霊しに行かなくては行けません。
ですので現在の私はまさに余力があるのに見捨てているので罵倒も甘受いたします。
私は叩かれても仕方がありません。
しかし当時懸命に未来を考え働いたご先祖を批判する声には耐えられません。
実に自分で自分を裁き自決されている方も居られます。
また自決より遙かに苦しい生を敢えて選んで敗戦の償いを決意して日本の再興、戦後の復興、高度成長に寄与してきた方もおります。
その方々の胸の内はどうでしょう。
自分を責めながらも死ぬことを許さずひたすら無私の状態で日本の復興に尽し、私たちは彼らをどうして嫌悪し批判し叩くことができるでしょうか。
なぜ本当の諸悪の源である侵略勢力に矛先を向けないのでしょうか。
先帝も、五体が引き裂かれるほどお心を傷められました。


そして、硫黄島で地獄絵図の防衛戦を戦い抜いた英霊は、赤にあやつられていた米軍を長期足止めし本土の国民が避難する時間を作りました。
ご先祖は、必死に今を生き未来を手探りで予測し、國體を残し日本を残すことに成功したのです。
そろそろ重箱の隅をつつくのを終わりにして、労っても良いのではないでしょうか。
日本は第一に被害者なのです。
最新記事
プロフィール

tourokurad

Author:tourokurad
FC2ブログへようこそ!

最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
政治・経済
480位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
政治活動
210位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR