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なぜ「憲法が日本を亡ぼす」のかようやく国際的な現実に追いついてきた憲法改正議論

なぜ「憲法が日本を亡ぼす」のかようやく国際的な現実に追いついてきた憲法改正議論
2012.12.26(水)  古森 義久
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36830

首相に就任する自民党の安倍晋三総裁は憲法の改正を正面から検討し、推し進めることを宣言した。日本維新の会など自民党以外の政党も、いまの憲法の欠陥を指摘する傾向が広がってきた。前首相となる野田佳彦氏もいまや改憲論者として知られてきた。
 思えば、日本の政界の憲法への姿勢もずいぶんと変わったものである。私自身は長年にわたり、国外での報道活動を重ねるほどに、日本の憲法の欠陥を 意識するようになった。そして、その是正の必要を強く感じてきた。だから日本国内の現状には多数派の意見がやっと国際的な現実に追いついてきた、という思 いをも抱く。
 もちろん日本国憲法にはそれなりの効用もあった。とにかく、なにがなんでも武力は使わないという宣言は人類の理想の表明だと言えよう。他国の善意 や公正に信をおくという大前提も立派な思想ではあろう。実利面を見ても、東西冷戦の中で自国の防衛を同盟相手の米国に委ねて自国の経済繁栄に集中すること ができたのも、憲法のおかげだろう。
 だが、日本が独立した主権国家として、自国の安全を守る、国土や国民を防衛する、ということとなると、この憲法は明らかに制約が多すぎた。欠陥が 多々だった。多くの国家が利害を対立させる現実の世界で、“どんなことがあっても、たとえ自国を守るためであっても、武力を使わず、戦わない”と言うに等 しい宣言は、降伏や屈服という選択肢を残すだけである。

憲法第9条に書いてあること
 では、日本の憲法にはどんな欠陥があるのか。なぜ、そうなのか。
 そのあたりの解説を試みる本をこの11月に上梓した。『憲法が日本を亡ぼす』(海竜社)という本である。タイトルはやや大げさに響くかもしれないが、尖閣諸島や竹島という固有の領土に実際の脅威が迫るいまの日本にとって、現行の憲法では十分な国の防衛ができないという懸念を、深刻に感じるようになったのだ。
 2012年という激動の年が終わりを告げるに際し、わが日本にとっての憲法という古くて新しい課題を自著の骨子に沿って整理してみたい。
 論議の焦点となる憲法第9条の条文を、まず改めて点検してみよう。
 憲法の第2章「戦争の放棄」と題され、第9条の見出しの後には<戦争放棄、軍備不保持、交戦権否認>と記されている。その次に以下の記述がある。
 <日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。>
 以上の文章を普通に読めば、日本は一切の軍事力を持つことも、使うことも、すべて自らに禁じているように受け取れる。実際の解釈はやや異なるのだが、この読み方も実は正しいと言えるのだ。

日本を永久に非武装のままにしておくことを目論んだGHQ
 周知のように、日本国憲法の草案はすべて日本を占領中の米軍総司令部(GHQ)のスタッフによって書かれた。敗戦からわずか半年後の1946年2 月のことだった。しかも10日間で書かれ、そっくりそのまま日本側に押しつけられた。日本側には拒否や修正の権利は実質上なかった。
 私はその憲法作成の実務責任者であるチャールズ・ケーディス氏に長時間インタビューして、当時の実情や占領軍側の考えを詳しく聞いた(『憲法が日 本を亡ぼす』ではその記録を全文収録した)。占領軍がいかに大ざっぱに、一方的に、日本の戦後の憲法を書き上げたかを、ケーディス氏は米国人らしい率直さ で認めるのだった。
 同氏の明かした日本憲法の真実を簡単にまとめると、以下のようになる。
(1)新憲法は日本を永久に非武装のままにしておくことを最大の目的とした。
(2)日本の自国防衛の権利までを否定する方針で、その旨の明記が最初の草案にあったが、ケーディス氏自身の考えでその否定の部分を削除した。
(3)「交戦権」という言葉はケーディス氏にも意味不明であり、「国の交戦権を認めない」という部分はもし日本側から要請があれば、すぐに削除した。
(4)第9条の発案者が誰だったのかはケーディス氏には分からない。
(5)米国側は日本が新憲法を拒むという選択はないと見ていた。
 以上が米軍の意図だった。だから第9条の条文を読んで「日本はたとえ自国の防衛のためでも軍事力は使えない」という意味にとっても、おかしくはないのである。

自国の領土や国民の生命を守る権利を規定していない
 周知のように、日本側にとっては第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という注釈の挿入が認められた。前項の目的、つまり「国際紛争を解決」という目的以外の自国の防衛だけには軍事力の行使が認められる、ということになったわけだ。
 だが、こんな経緯もしょせん詭弁とか禅問答のように響く。屁理屈と呼んでもよいだろう。その屁理屈的な規定を受け入れてもなお、全世界で日本だけ は自国の領土や領海を越えれば、たとえ自国の防衛のため、自国民の保護のため、あるいは国際平和のためであっても、軍事力は一切、使ってはならないのであ る。
軍事力は、使わずに保つだけでも効用が大きい。もし特定の利権や領土などを獲得するために日本への侵略や攻撃を考える国があれば、当然、その実行に 踏み切った場合のコストを事前に考える。日本側から反撃を受け、大きな被害を受けることが確実ならば、日本への攻撃を再考するだろう。それが抑止の効用で ある。
 一方、日本が日頃から一切の軍事力も持たず、攻撃を受けても反撃はしないことが確実ならば、日本から何かを奪おうとする国は、軍事攻撃の可能性をほのめかして、威圧すれば、目的を達せられるのだ。
 軍事衝突を避ける絶対確実な方法は、相手の要求に応じることである。降伏してしまえば、戦争が起きるはずはない。
 こうした日本の制約は、世界でも異端の自縄自縛と言えよう。純粋な自衛のためだけといっても、現実の紛争ではその定義は難しい。外国の軍隊が明ら かに日本の尖閣諸島に軍事攻撃をかけてくる準備をしていても、その所在が日本領のちょっとでも外であれば、日本側は普通の自衛のためでも、予防のためで も、軍事行動は取れないのだ。
 憲法第9条は、そもそも日本が自国の領土や国民の生命を守る当然の権利を規定していない。自衛の権利さえきちんと認めていない。そのための日本軍 や国軍の存在を認めていないのだ。「外敵から自国を守る」という責務を負わない、あるいはその責務を曖昧にしたままの国家は、国際的な現実からすれば主権 国家の名に値しないだろう。

日米同盟の強化への障害となる「集団的自衛権」行使禁止
 日本憲法のこの特異性は、同盟相手の米国からも公然と指摘されるようになった。具体的には「集団的自衛権の行使禁止」への批判である。
 集団的自衛権とは、自国の安全や利害のために他国とともに自衛の軍事行動を取る権利を指す。同盟相手の米国との共同防衛行動、あるいは国連の平和 維持活動での他国の軍隊との共同防衛行動の権利である。国連も憲章でその権利の存在を明確にしている。世界のどの国も固有の権利として保有するし、自由に 行使もできることになっている。。
 ところがいまの日本は集団的自衛権は「保有はするが、行使はできない」とされている。憲法第9条の規定や精神を考えれば、「行使はできない」というのだ。
 その結果、日本の自衛隊は日本領海の1キロ外で日本防衛のために活動する米海軍艦艇が第三国の攻撃を受けても、支援はできない。北朝鮮が実弾ミサ イルを日本の方向に発射しても、その標的が日本だと確定できない限り、ミサイル防衛で撃ち落としてはならない。日本上空をかすめて、明らかに米国領土に飛 んでいくミサイルを阻止してはならないのだ。阻止すれば集団的自衛権の行使になるからだ。
 イラクに駐屯した自衛隊の平和維持活動でも、他の国の部隊と協力しての戦闘はどんな場合でもできない。自分たちが攻撃を受けても、自動的には反撃 できない。だからわが自衛隊はオランダやオーストラリアの軍隊に守ってもらうというブラックジョークのような現実が起きたのだった。
 米国は民主党、共和党の別なく、日本に対し、集団的自衛権行使禁止というタブーを解くことを公然と求めるようになった。集団的自衛権行使禁止は日米同盟の強化への障害になるというのだ。
 それはそうだろう。同盟というのは本来、概念的にも、現実的にも、相互の防衛、つまり集団防衛である。しかし日米同盟では、米国が日本を守って も、日本は米国や米軍を守ることはできない。日本自体への攻撃に対する狭義の自衛以外では、日本はたとえ同盟パートナーの米国とでも共同の、つまり集団的 な自衛活動をしてはならないとされているのである。
 この点は、憲法の現行解釈を変えさえすれば、修正はできる。だが事の根源はやはり憲法なのである。

憲法の弱みにつけこんでくる中国
 こうした日本の憲法の現況を、いま尖閣諸島に迫る中国からの軍事脅威と併せて考えてみよう。
 日本は日米同盟による共同防衛、つまり「日米安保条約の第5条の規定が尖閣諸島にも適用される」という言質を米側から取ることに必死となってきた。だが、もし中国がついに軍事力で尖閣諸島を占拠する構えを明白に見せてきたとき、日本はどうするのだろうか。
 日本領海の外での他国の軍事活動は、日本攻撃の狙いが露骨であっても、日本は侵略予防のための軍事行動を取ることができない。そもそも「紛争解決」の手段が戦争であってはならないのである。その制約は、純粋に自衛のための軍事行動にも自縄自縛のカセをかけてしまう。
 日本側のこうした制約は中国側に軍事力の行使の効用、あるいは威嚇の効用をますます高めさせることになる。中国とすれば実際に軍事力を使わなくて も、「使うぞ」と脅せば、日本側が憲法の制約を理由に反撃の自粛を早々と言明してしまう見通しが強いことになる。だから、軍事力の行使や威嚇がますます効 果的なオプションとなってしまうだろう。
 日米同盟がありながら、日本が憲法のために十分な協力ができないという具体例も多数ある(詳しくは『憲法が日本を亡ぼす』をお読みいただきたい)。憲法問題が新しい年の日本の主要課題になることは確実である。
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