「当てになる」米同盟国をめざせ 東洋学園大学教授・櫻田淳

【正論】
「当てになる」米同盟国をめざせ 東洋学園大学教授・櫻田淳
2014.4.24 03:08 (1/4ページ)[正論]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140424/plc14042403080004-n1.htm


バラク・H・オバマ米大統領が国賓として来日した。ロシアがクリミアを実質上、編入した事態は、米国に対しては、ユーラシア大陸の東西両端で「同盟」網を組み直す必要を痛感させたようである。事実、ポーランドなどに米軍地上部隊を配備する方針がすでに世に伝えられている。此度の日本を含むアジア4カ国歴訪にも、たとえば中国という1つの国への牽制(けんせい)というよりは、ロシアが走った「力を恃(たの)む」粗野な流儀に対して、峻厳(しゅんげん)な姿勢を表明するという新たな意味合いが付け加えられたといえよう。

 ≪マニュアル思考に陥る危険≫


 こうした米国の動きに呼応する意味で、日本に要請されるのは、特に集団的自衛権行使の許容にかかる議論を早々に落着させることであろう。過日、チャック・ヘーゲル米国防長官は訪日時に、行使許容を旨とする安倍晋三内閣の政策方針に「支持」を表明した。オバマ大統領もまた、同様の「支持」の意向を再度、伝えることになるのであろう。

 ただし、日本国内での実際の議論は、どことなく拡散し迷走しているような印象が濃い。目下、政府部内でも自民党を含む与野党各党でも、集団的自衛権行使の「条件」に絡む議論が行われているところである。しかし、こうした議論に際して、次に挙げる2つの点だけは、筆者は敢(あ)えて指摘しておくことにしたい。

第1に、集団的自衛権行使「条件」に絡む議論は、他面では「歯止め」の議論としての性格を持っているけれども、その「条件」を事前にいくら緻密に検討したとしても、それが実際の有事に用を成すかは定かではない。というのも、軍事・安全保障という政策領域では、「想定外の出来事」は当然のように生じるからである。

 故に、集団的自衛権に限らず、軍事にかかるすべての政策選択の「条件」や「歯止め」は、こうした「想定外の出来事」を前にして、それぞれの政治家が発揮する政治上の見識や責任意識でしかない。逆にいえば、こうした「条件」や「歯止め」を事前に用意された文書に記して安堵(あんど)しようという姿勢にこそ、軍事を統御する技芸としての政治にかかる「貧困」が反映されている。

 現下の議論は、こうした「政治の貧困」を克服するどころか、却(かえ)って放置する恐れがある。集団的自衛権行使許容を機に軍事・安全保障政策上の政策選択の余地が広がれば、政治家が「マニュアル思考」に陥らないようにする仕組みは大事になる。それが今、忘れられていないか。

≪集団的自衛権が鈍ら刀では≫

 第2に、そもそも集団的自衛権行使に際して、その権利を以(もっ)て日本が臨むべき国々の範疇(はんちゅう)は次に挙げる2つしかない。即(すなわ)ち、有事に際して軍事・安全保障上の相互協力を約した「同盟」諸国であり、国連安保理決議によって設定された軍事制裁活動、あるいは平和維持活動に際して、その活動に参加している「協働」諸国である。

 集団的自衛権行使許容という政策選択は、それによって、この「同盟国」や「協働国」に対して、どれだけ具体的な支援を提供できるかという考慮に結び付いていなければならないということである。喩(たと)えていえば、集団的自衛権という「刀」は、実際に抜いた折には「鈍(なまく)らな刀」であってはならず、その「刀」としての用を確実に成さなければならない。

 集団的自衛権行使許容には、特に中韓両国からの懸念を念頭に置いた異論が表明されているけれども、何よりも考慮されなければならないのは米国を含む先々の「同盟国」や「協働国」に対して確たる安心を提供できるかということである。これらの国々にとって、日本は先々、「同盟国」や「協働国」として、果たして「当てになる存在」たり得るのか。この問いを前にすれば、「限定容認」論を含めて日本で繰り広げられている議論は大方(おおかた)、日本国内での納得を得ることを優先させたという意味で、自閉的な色合いを拭い去ることができないものであろう。

≪往時の西ドイツに似た風景≫


 『アデナウアー回顧録』(佐瀬昌盛訳、河出書房刊)には、次のような印象深い記述がある。「戦争と戦後を経た今、ドイツ国民は自由を尊重するが、しかし、自由のために犠牲を払う覚悟をもたないという状態に陥っていた」

 1950年代、コンラート・アデナウアー西ドイツ首相が自国の再軍備とNATO(北大西洋条約機構)加盟を成就させた際、その過程で支障になったのは、このアデナウアーの回顧に示された往時の西ドイツ国民の「厭戦(えんせん)感情」であり、それを利用しようとする往時のKPD(共産党)やSPD(社会民主党)といった政治勢力の姿勢であった。

 現下の日本の風景は、60年ほど前の西ドイツの風景と相似を成している。集団的自衛権行使許容を機に、日本国民の大勢は、「自由は享受するけれども、それを護(まも)る労苦を厭(いと)う」という姿勢からは、果たして抜け出せるのであろうか。(さくらだ じゅん)
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