なぜ憲法に「非常時のルール」が必要なのか


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なぜ憲法に「非常時のルール」が必要なのか
投稿者:operatorC 投稿日時:2011/06/01(水) 00:00
憲法改正
なぜ憲法に「非常時のルール」が必要なのか
ドイツの政治学者はこう断じた。「緊急事態に対処できない国家は、遅かれ早かれ、崩壊を余儀なくされる」と。このような国家的悲劇を避けるためにも、憲法の大きな欠陥を正さなければならない。

 
◆露呈した憲法の欠陥
 東日本大震災後、秩序整然と行動した日本人のモラルの高さが海外から賞賛される一方、菅政権の指導力の欠如が浮き彫りとなった。米紙ニューヨークタイム ズは「日本のリーダーシップの欠陥が危機感を深める」と題する記事を掲げ、福島原発事故への菅政権の対応を批判した。現下の日本が直面しているのは、地 震、津波、原発事故に「拙劣な政治指導の四つが重なった複合災害」と手厳しく難じた日本の論者もいる。
 むろん、いずれの指摘も正しいが、大震災で露呈したのは、決して首相個人の資質の問題だけではない。それと同時に改めて浮き彫りになったのが法制 度の欠陥だと言える。それは他でもない、わが国の現行憲法には、今回のような非常事態に対処するための規定が欠けていることだ。
 世界の大多数の国は、大自然災害や武力侵攻などの国家的危機に際しては、非常事態宣言を布告し、一時的に全権限を政府に集中させ、事態の収拾に全力で当たる。そのために、憲法は「平時のルール」とは別に「非常時のルール」を定めている。
 ところが日本には、「平時」から「非常時」へ切り換えるための仕組みが国の根幹たる憲法にない。わが国が法治国家である以上、これは一内閣の指導力の問題とは比べようもないほど致命的な欠陥とも言える。
 今年の憲法記念日の社説(読売は翌日)では、各紙ともこの問題に触れている。産経と読売は、憲法に非常事態規定がないことを問題視し、同規定の新 設を「喫緊の課題」(産経)、「根本的な課題」(読売)と訴えた。一方、朝日と毎日は、「その前に現行法制と運用について議論する必要がある」(毎日)、 「現行法の枠内でも可能なことは少なからずある」(朝日)と、問題から目をそらしている。とりわけ朝日は、改憲への警戒心も露わにこう述べた。
 「大規模災害時に政府の権限を拡大し、国民の人権を制限する。当然、日本有事への即応に役立てることも念頭にある。/しかしそれは、同時多発テロ 事件後の米国に見られたように権力へのチェック機能が失われる危険をはらむ。民主主義体制そのものを浸食しかねない。/現行法の枠内でも可能なことは少な からずあるはずだ。そのうえで今の憲法や法体系にどんな限界があるのか、しっかり見きわめる。非常時だからこそ、冷静な姿勢が肝要である」
 むろん、朝日の主張は、護憲の殻に閉じこもるための詭弁に過ぎない。ただ、その護憲マスコミでさえ、憲法への非常事態規定を求める動きを頭ごなしに否定できなくなっていることは注目すべきである。東日本大震災の衝撃と多大な犠牲がもたらした副産物と言ってもよかろう。
 そこで、大震災後の現実も踏まえ、なぜ憲法に「非常時のルール」を定めることが必要なのかを論じたい。
 
◆「最悪の事態」に備える政府の務め
 「非常時のルール」が必要な最大の理由は、起こりうる最悪の事態を想定し、国の存立と国民を守るのが政府の最大の務めだからである。実際、今回の原発事 故について朝日は「最悪に備えて国民を守れ」という社説を書き、「最悪を想定して住民の安全を確保することが政府の務めである」と訴えた。「最悪に備え よ」と言いつつ、先のように政府の行動を「現行法の枠内」に縛り付けようとする朝日の主張には矛盾がある。
 特に日本のような民主主義国家においては、「平時のルール」を以てしては、戦争などの非常事態への対処はきわめて困難だ。西修氏も言うように、民 主主義的立憲国家の統治制度は、本質的に正常で平和な状況のもとで機能するように設計されており、非常事態のような急迫した状況には不十分だからである。
 だからこそ、民主主義国を含む大多数の国家は、「非常時のルール」を憲法で定めている。いわゆる国家緊急権と言われるものだ。あらかじめ非常事態 を想定し、その場合に政府や議会のとり得る「例外的な権限」や、一時的な人権の制限などを憲法に明記しているわけだ。これは国際社会の常識と言ってよい。 西氏によれば、一九九〇年以降に制定された九三カ国の憲法のうち、非常事態条項のないものは皆無であるという。
 主要国の中で、憲法で最も詳細に定めているのはドイツである。憲法(ドイツ基本法)は、緊急事態を「内的緊急事態」と「外的緊急事態」に二分類。 内的緊急事態とは、大規模テロなど国家の「自由で民主的な基本秩序」に対する危害や重大な自然災害などの事態をさす。一方、外的緊急事態とは、「防衛事 態」、その前段階としての「緊迫事態」、「同盟事態」などの類型に分かれている。
 詳しく触れる余裕はないが、それぞれの類型の要件や基本的人権の一時的制約などの措置も憲法で厳格に定めている。その特徴は、緊急命令の濫用を許さぬよう、立法や司法によるコントロールを確保しつつ、首相に権限を集中させる仕組みとなっていることとされる。
 朝日は非常事態規定を、「民主主義体制そのものを浸食しかねない」と言うが、全く逆なのだ。むしろ非常時にも「法の支配」を維持するために、「非 常時のルール」を定めているわけだ。ドイツの著名な憲法学者、コンラート・ヘッセは記している。「憲法は、平常時においてだけでなく、緊急事態および危機 的状況においても真価を発揮すべきものである。憲法がそうした状況を克復するための何らの配慮もしていなければ、責任ある機関には、決定的瞬間において、 憲法を無視する以外にとりうる手段は残っていないのである」と。
 一方、成文憲法のないイギリスはもちろん、アメリカの憲法にも国家緊急権の明示的な規定はない。だが両国では、英米法特有のマーシャル・ロー(戒厳)の法理などに基づき、政府や大統領に緊急事態対処のための絶大な権限を認めている。
 ちなみに、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(B規約)も、非常時には一時的な権利の制限を容認している。つまり、国家的危機に際しては、何より国の生存を確保するために最善を尽くすことが国際条約でも合意されているわけである。
 
◆「平時の憲法」の限界
 次に指摘したいのは、最高法規である憲法に「非常時のルール」がないことが、わが国の危機管理に関する法制度や政治指導者の行動を大きく制約していることである。
 例えば平成十五、六年に制定された武力事態対処の有事関連法制である。有事法制は構造上、日本防衛が達成されることが前提になっており、仮に防衛 に失敗した場合や閣議中にミサイル攻撃を受け、関係者が全員死亡した場合について「法案は何も語っていない」(潮匡人氏)。ちなみに米国ではそうした場 合、潜行中の原潜が報復措置を講じられる法体系となっていると言う。また有事法制では、国民への要請や運搬等の事業者に対する要請の際に国家が「義務を課 すことができなかった」(前原誠司氏)。これらの欠陥は結局、非常事態を想定していない「平時の憲法」のツケと言ってよい。
 こうした憲法の弊害は、今回の大震災への政府の対応にもうかがえる。例えば災害対策基本法に基づく「災害緊急事態」を布告しなかったことだ。同法 一〇五条は、「災害が国の経済および公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ甚大なものである場合」、首相が災害緊急事態を布告できると定めている。 これによって政府は、生活必需物資の配給、金銭債務の支払い延期などの措置を政令で実施できることになる。
 この規定を以て、憲法の非常事態規定は不要とする論者もいるが、首相自ら「国難」と称したほどの大災害でも「抜かずの宝刀」では意味がない。中西 寛氏は、「(憲法に)緊急時の対応は内閣の役割と定めておかないと、内閣が緊急事態に対応する法律上の権限行使を躊躇してしまう懸念がある」と言うが、ま さにその通りのことが起きたとも言える。
 ちなみに、このことは国会で追及されたが、答弁した内閣府参事官は、一〇五条が「国会閉会中」の規定であることに触れた上で、「国民の権利義務を 大きく規制する非常に強い措置であることにかんがみても、布告しないことが適切な判断だ」と述べた。今回ほどの国難に際しても、平時並みの「国民の権利」 を優先すべきと言うわけだ。非常事態を想定しない憲法の弊害はかくも大きい。
 とはいえ、「災害緊急事態」は物流確保・物価安定のためのいわば「経済戒厳令」であり、これで全ての問題が解決できるわけではない。そもそも平和 時の地方自治体の活動を前提とする災対法では、今回のような広域で甚大な原発事故には不十分とも言える。現に周辺住民を輸送する必要が生じたが、敬遠する バス事業者に「お願い」しかできなかった。「原子炉冷却に必要な人材や機材を、既成の法律にとらわれずに緊急輸送する措置が取られていれば、ここまで事態 は悪化しなかったのではないか」(読売)との指摘もある。
 朝日は、「今の憲法や法体系にどんな限界があるのか、しっかり見きわめる」などと、空とぼけているが、「限界」は余りにも明白である。
 
◆憲法が「想定外」の土壌となっている
 非常事態を想定しない憲法は、国民心理にも悪影響を及ぼしてきたと言える。それはすなわち、「起こりうる最悪の事態」から目をそむけ、すべてに「想定が甘すぎる」という「精神の病」(中西輝政氏)である。
 例えば今回の大震災や原発事故への対応をめぐり、政府首脳や東電関係者は「想定外」という言葉を決まり文句のように繰り返した。確かに、この大地 震は貞観年間以来の「千年に一度」の巨大地震とされ、津波は最大遡上高四十メートル近くにも達した途方もないものだった。その意味で、今回の地震や津波の 規模が想定し難かったことは理解できる。
 しかし、土木学会など三学会が震災直後、「われわれが想定外という言葉を使うとき、専門家としての言い訳や弁解であってはならない」と苦言を呈したように、原発の安全に責任を有する当事者が「想定外」という言葉を責任逃れの口実として使うことは断じて許されない。
 とりわけ原発の安全性については阪神大震災以降、多くの懸念が指摘されてきた。例えば、核化学の専門家の高木仁三郎氏による「核施設と非常事態」 と題する論稿である。阪神大震災を踏まえた防災対策の見直しが行われていた時期、原発関係者の間に、大災害を教訓に、原発が被災した場合の対策や老朽化原 発対策などを見直す姿勢がなかったことを憂え、警鐘を鳴らしたものである。
 論文は、「地震とともに津波に襲われたとき」にも言及するなど、今回福島で起きた「想定外」の事故のすべてを十分起こり得るものとして、その科学的根拠を示し「新しい設計概念や安全評価」を求めている。
しかし政府も東電も、この種の警告を否定し続けた。それはなぜか。さまざまな背景があろうが、要するに「原発は壊れない」という「建て前」に関係者が固執したためだと言える。そこには、「起こりうる最悪の事態」から目を背けるという戦後日本人に特有の心性がうかがえる。
 この「最悪の事態」から目を背けようとする心性は、「最悪の事態」を想定外としてきた憲法に起因するように思われてならない。国の最高法規である 憲法は、国民の価値観を規定づけるものでもあるからだ。日本の憲法は、非常事態を想定していないばかりか、前文や第九条などで、「平和を愛する諸国民の公 正と信義に信頼して……」などと、現実遊離の空想的世界像を想定している。
 かかる憲法の構えや世界像、それに基づく政治家や官僚、教師や言論人らの発言や行動が、「最悪の事態」から目をそむけ、いざ「最悪の事態」が起こると、「想定外」に逃げ込むような、卑怯な心性を培う土壌となったと言えるのではなかろうか。
 
◆護憲学者に潜む国家否定の考え
 さらに触れておきたいのは、憲法に「非常時のルール」を設けることに反対している人々の真意だ。特に国家緊急権を否定する憲法学者らの見解には、国の存続や国民の生命に無頓着と思われるものが目に付く。
 例えば山内敏弘氏は、「国家それ自体に内在する権限などというものは存在していない」との考え方に立って、言い放つ。「国民が生命の危機にさらさ れるというのであれば、国民は各人の正当防衛権なり緊急避難権を行使してみずからの生命と安全を守ればよいし、またそうする権利をもっている」と(「法学 セミナー」二八五号)。つまり、仮に敵軍が攻めてきたら、個人が徒党を組んで立ち向かい、生命と安全を守ればよいと言うわけだ。非現実的と言うよりは、何 とも無責任である。むろん、今回の大地震のような大自然災害には全く通用しない理屈である。
 岩間昭道氏はもっと露骨に、「国民の人権を保障することこそが国家の最も重要な任務であり、それ故にまた、個人の人権を保障するためには究極的に は国家の消滅も肯定され」、「実定法の枠内で対処し難い事態が発生した場合には、事態対処の任務は法理上は国家権力以外(社会的集団、最終的には個人)に 帰属する」と言う(『現代国家と憲法の原理』)。要するに、人権を侵害するような国家は不要であり、国家がなくても人権を守ることができると言っているの である。
 正体見たりと言うべきか、国家緊急権を否定する学者らは、「人権」を口にはするが、国民の生命と安全を本気で守ろうと考えているわけではなく、国 家否定の意図さえ有しているわけだ。しかし、国家が消滅すれば、彼らの妄想とは裏腹に、人権は守り得ない。今の世界の現実において、人権を究極的に保障す るのは、国家以外にはあり得ないからだ。
 今回の大震災では、政府はまがりなりにも機能し得たが、しかし三十年以内に七十%の確率で起こることが予測される首都直下型地震では、政治の中枢が破壊されてしまうことも十分考えられる。むろん、そうした事態は地震だけではなく、軍事攻撃などによっても起こり得よう。
 仮に現状のまま、そうした事態を迎えればどうなるか。確実に日本の国家機能は脳死状態となり、最悪の場合、日本はどこかの国の属国になりかねな い。例えばアメリカでは、大統領の職務継承順位が法律で十八番目まで決まっており、全員が一箇所に集まってはいけないということまで決まっているが、日本 には首相の職務継承の明確な規定はない(組閣時に臨時代理を五位まで指名)。ドイツ生まれの政治学者、カール・フリードリヒは断じている。「緊急事態に対 処できない国家は、遅かれ早かれ、崩壊を余儀なくされる」と。
 このような国家的悲劇を避けるためにも、憲法の大きな欠陥を正さなければならない。それこそは、この大震災で命を失った二万余の同胞の御霊に報いる道であると信ずる。(日本政策研究センター研究部長 小坂実)
 
〈『明日への選択』平成23年6月号〉


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