【朝日新聞/社説】アジアへの侵略責任をお詫びした村山談話は近隣諸国との関係の礎。

個人の見解と国家の見解を同一視する事は厳に慎まれたい。
国家は最終的な個人の集合体であり、村山富市氏の見解が即ち、全国民の総意とは言い切れないからである。

>だが、私たちが重きを置くべきはそこではないだろう。海外での武力行使や武器輸出はせず、経済の力で途上国を援助する。

朝日新聞の主張は、少しく妙な感じが否めない。
その奇妙感、異質感こそが、朝日新聞の主張に疑問を投げかける白眼視とも言うべき状況を生み出している。


>社会が共有してきた記憶は薄れ、歴史修正主義とみられる動きも出てきた。
>だが、日本が国際社会で生きていく以上、そうした態度を押し通すことはできない。

社会とは恐れ入る言葉である。ギョウカイと言うのが、精々であろうかと考える。
歴史修正主義とは、朝日新聞やメデイアには便利なツールである。

この背後に欧米のジョウシキである、ナチス礼賛やホロコーストがあると聞けば日本人は驚愕するであろう。
売春婦をSex Slave と呼んだ前例を髣髴させる事態である。同じ手が何度も通用しては決まりが悪い物である。
日本国内のデモを執拗に、ヘイトスピーチと呼んで報道する意図ともダブってくる。
うわべだけ、正義ぶる朝日新聞を断ち切る機会が来た。

朝日新聞の見識は70年前の時期には説得力があったであろうと感じる。
紅顔の美少年は、意地汚い爺に変貌して、元朝日新聞記者、植村と言う訴訟魔が朝日新聞から生まれ出た。

>政府は談話づくりにあたって有識者の意見を聴くというが、
>まずは首相が歴史観を示し、国会で論じることが不可欠だ。


物事には順序がある。朝日新聞の説明を厳断して、俎上にあげて真贋を見極める事が重要である。
従軍慰安婦の誤報について、謝罪もしない言論がとやかく言うものではないというのが、一般の考えであろう。
朝日新聞が言うべき資格は無いが、言論の自由と報道の自由を守るのは、文明人の勤めである。
韓国の様には、独裁国家ではないから、言い分は確認するが、順序は厳守すべきである。

朝日新聞の様に、人に迷惑をかけて、半人前の報道機関には、それなりのペナルテイが必要と思う。
戦争責任は、米国でも議論されている。ルーズベルトの責任が大きいと最近でも言われてきている。
そうしてみると、A級戦犯に全てがあるかのような朝日新聞の説明にも、疑問符がつく次第である。

武力占領下で、独立の為に東京裁判を受諾したのは、心から進んでとは言い難い。
その点で、朝日新聞の説明は大甘ちゃんといわざるを得ない。米国の占領政策が如何なる変化を
日本人にもたらしたかを、詳説する事が重要である。日本国憲法は進んで受け入れた、独立と引き換えに
しかも、戦争への気持ちは、現在の日本人とは比較にはならないであろう事は想像できる。

現状の脅威は、極東の軍事バランスの変化に伴って起きている。
そうして、中国と韓国とは、歴史問題を日本に対して抗争の材料として迫ってきている。
その肝心の歴史に対して、朝日新聞は譲歩、いや、土下座だって?
何をすれば良いと言うのか。

メデイアは民主党代表選挙の報道に余念が無い。
候補者3人は揃って安全保障法制の強化に言及した。集団的自衛権 については
各論に終始しているが、対案は無い、それが民主党の最大の弱点である。

もう一つ、共産党は大躍進に感激して有頂天になって、自民党との対決姿勢を
打ち出している。困ったものである。日本人から見れば、民主党も共産党も言い分に
区別をつけるのは不可能になって来ている。左傾化の象徴が共産党躍進である。
核マルなど恐ろしやが、素直な感情だと思う。

平和主義の歩みこそ、日本は誇り、守っていかねばならない。とは、如何なる行動か、
説明して頂きたいと思うものである。何を誇りとするのか、説明が聞きたいものである。
仕掛けられた戦いに何を守るのか、朝日新聞は知っているのであろう。
村山談話を掲げて、人民解放軍と殺し合いを演じるのが、朝日新聞の希望する誇りと言うものであろうか。
それとも、憲法9条を旗印に、話し合いでけりをつけるか、朝日新聞には是非先頭に立って頂きたいと
希望する。

中には、南スーダンの様に銃弾をもらって、文句を垂れる韓国政府の様な国もあれば、
朝日新聞が平和の使者となるのは、あながち、無理だとは思わない。
後、数年で中国の軍事力は、日本自衛隊を凌駕すると、中国自体が豪語している。
その中で、話し合いとは如何なる物か想像に難くない。

>うわべだけの「帝国の名誉」を叫ぶほど、世界は日本の自己欺瞞を見て取る。

不信の種は、とうに朝日新聞がばら撒いた。日本人はこの負担に耐えている。
世界に説明する責任は、朝日新聞に重く伸し掛かっている。
いまに生きる者の責任だ。じゃなくて、朝日新聞がすべき事柄の第一であろう。
不信を解くのは朝日新聞の責任が重い。



【朝日新聞/社説】アジアへの侵略責任をお詫びした村山談話は近隣諸国との関係の礎。安倍首相が台無しにする事は許されない[1/3]
http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1420278645/l50


1 :雨宮◆3.yw7TdDMs :2015/01/03(土)18:50:45 ID:OMc(主)
戦後70年。アジアや太平洋の戦場で、灯火管制下の都会で、疎開先の田舎で、多くの人たちがあの戦争を経験した。
その人たちが少しずつ世を去るとともに、社会が共有してきた記憶は薄れ、歴史修正主義とみられる動きも出てきた。
だが、日本が国際社会で生きていく以上、そうした態度を押し通すことはできない。70年かけて築いてきた国内外からの信用を損なうだけだ。

 戦後70年にあたり、安倍首相は新たな談話を出すという。50年の「村山談話」、60年の「小泉談話」に続くものだ。
アジアだけでなく、欧米諸国も注目する談話の中身は、まだわからない。しかし、首相が繰り返し「未来志向」を強調するのが気がかりだ。

 首相は過去2年の全国戦没者追悼式の式辞で、90年代以降の歴代首相が表明してきたアジアへの加害責任に触れなかった。

もし、「安倍談話」が式辞のように戦争責任を素通りしてしまったら、どうなるか。
村山談話は、植民地支配と侵略によってアジアの人々に多大の損害と苦痛を与えたと認め、痛切な反省とおわびを表明。
以後、安倍内閣まで引き継がれてきた政府の歴史認識の決定版であり、近隣諸国との関係の礎となってきた。その価値を台無しにすることは許されない。

 「未来志向」がいけないというのではない。だが、過去と真剣に向き合ったうえでのことでなければ、
被害を受けた側からは「過去は忘れようと言っているのか」と受け取られるおそれがある。
 政府は談話づくりにあたって有識者の意見を聴くというが、まずは首相が歴史観を示し、国会で論じることが不可欠だ。

 日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受諾し、主権を回復した。
戦争責任をA級戦犯に負わせる形で国としてのけじめをつけた。この事実は否定しようがない。

首相は一昨年暮れ、A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社に参拝した。
昨春には戦犯として処刑された元日本軍人の法要に自民党総裁名で追悼文を送った。
 首相に喝采を送る人たちがいる。しかし、首相の行為は単なる追悼の意味を越えて、
様々な思いをのみ込みながら「けじめ」を受け入れてきた人たちをないがしろにするものである。

 あの戦争を問い続けた劇作家の故・井上ひさしさんは、東京裁判には問題が多いと認めたうえでこんな言葉を残している。

戦争責任問題は、明治以来みごとな近代化を成し遂げ、戦後の焼け野原から奇跡の経済発展と平和で安全で平等な社会を築き上げた日本が、
「それでも過ちも犯したんだよ」と自己反省するまたとない材料なのです。過ちを犯したからといって卑屈になる必要はない。
過ちを犯さない国家などというものは世界中どこにもないのだから。しかし、過ちを犯さなかったと強弁することは自己欺瞞(ぎまん)であり、自らを辱めることでもある。

 (『初日への手紙 「東京裁判三部作」のできるまで』)

このところ政界でも社会でも、東京裁判を全否定したり、旧軍の行為をひたすら正当化したりする声が大きい。まるで、大日本帝国の名誉回復運動のように。
戦前・戦中のすべてが悪いわけではないし、「いつまで謝り続ければいいのか」という反発が背景にあるのかもしれない。

 だが、私たちが重きを置くべきはそこではないだろう。海外での武力行使や武器輸出はせず、経済の力で途上国を援助する。
これまで積み重ね、国際社会に高く評価されている平和主義の歩みこそ、日本は誇り、守っていかねばならない。

 うわべだけの「帝国の名誉」を叫ぶほど、世界は日本の自己欺瞞を見て取る。この不信の連鎖は放置できない。断ち切るのは、いまに生きる者の責任だ。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html

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