安保法制・反対派の無責任な煽動


安保法制・反対派の無責任な煽動
投稿者:operatorC 投稿日時:2015/07/01(水) 00:10
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安全保障・防衛
http://www.seisaku-center.net/node/857
 今回の安保法制は「法治への反逆」だと朝日がまたしても煽り立てている。「国会で審議されている法案の正当性がここまで揺らぐのは、異常な事態だ」――と。
 しかし、「異常」なのは一体どちらか。こちらから見れば、またしても彼らお得意の「自作自演」騒動劇としか見えない。衆院憲法審査会で今回の集団的自衛 権行使に関わる法案を、長谷部恭男早大教授が「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつきません」と述べたことを、まるで違憲判決が出たとでもい うかのごとくはやし立て、「廃案で出直すしかない」とまでいうが、そのどこが「説明がつかない」のか、筆者としてはもっと論理的に説明して見よ、といいた くなるほどだ。
 というのも、今回の政府見解を見ればわかるように、政府は「必要最小限度の自衛の措置のみ許される」との従来の解釈の枠組みを依然として堅持しているか らだ。これが昨年の法制懇の答申が勧めたように、いわゆる「芦田解釈」に変えたとでもいうのならまだしも、解釈の基本の論理は一貫して変ってはいない。そ のどこが「説明がつかない」のか、むしろ「説明」すべきはそちらの方だ。
 今まで「できない」といっていたことを「できる」としたことが問題なのだ、と彼らはいう。しかし、むしろそれはこれまでの政府の集団的自衛権解釈を適正 化したというべきで、これまではたださしたる理由もなく、集団的自衛権の行使は「必要最小限度の自衛の措置」にはなり得ない、と断じてきただけだったの だ。しかし、考えてみれば、その中にも、いわば進んで「他国」を助けに行くような他国防衛型だけでなく、あくまでもわが国にとり「必要最小限度の自衛の措 置」の範囲というべきケースもある筈で、その点を明確にしたことが今回の決定の意味なのである。一体そのどこが「法治への反逆」なのであろうか。
 筆者はこうした反対派の主張を見つつ、ならばあなた方はいつから「政府解釈」の側に変わったのか、と逆に問い質したくもなる。憲法学者の意見を尊重せ よ、と彼らは声を張り上げる。しかし、その学者たちというのは、日経社説が指摘するごとく、これまで自衛隊を「憲法の容認するものとみなすのは、憲法の真 意を曲げる論理の飛躍というべきである」(清宮四郎『憲法Ⅰ』)などと主張してきた人士だった筈だ。そうした立場からすれば、そもそも従来の「政府解釈」 そのものが認められない、となるのではないか。
  むろん、自分はとうにそんな自衛隊違憲論は卒業している、という学者もあるいはいるかも知れない。しかし、ならばそれはそうとして、かかる学者たちは、む しろ自分たちのそうした「解釈変更の理由」を、まず説得的に明らかにすべきだ、と逆にいいたい。というのも、それこそ「重大な解釈変更」であり、政府の解 釈変更を恣意的と指弾するのであれば、ならば自らの論理の一貫性はどうなのかを、まず示すべきだからだ。
 
 憲法学者だけではない。新聞も野党政治家も同じだ。彼らはかつてPKOへの参加をめぐり、今回のそれにも劣らない大々的な反対論を展開した。参院では四 泊五日の牛歩国会となったし、衆院では社会党、社民連の議員による辞職願提出騒動もあった。また、新聞は総じてこの法案を激しく攻撃した。朝日は「自衛隊 抜きPKO」を主張し、毎日はこれを「戦後とってきた国是の変更」だとし、「実質的になし崩しの解釈改憲」であり、「立法府の自殺行為」とまで説いたのだ (伊奈久喜氏の指摘)。しかし、それが今や総じてPKO評価が現実である。とすれば、こちらの方こそ説得力ある説明が必要なのではないか。
 問題は日本の存立だ。無責任な煽動はいい加減にすべきだ。(日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)
〈『明日への選択』平成27年7月号〉

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